2006.10.22 Sunday
トルキスタン音楽について。
かつて私は現在とは全然違う音楽を聴く人間であった。洋楽ならスミスとかキュアーとかスージー&バンシーズ、アズテック・カメラといったメジャーどころに始まり、「elレーベル」モノが総じて好きで、邦楽といえば・・・こりゃまた主に「トランス」系、たまに「ナゴム」系のインディーズ・バンドばかり聴いていた。(好きな映画はデレク・ジャーマンとかピーター・グリーナウェイ、クローネンバーグというサブカル少女ぶり、好きな本は・・・あまりに恥ずかしくてかけませんが大方の予想通りだと思います。バタイユやクロソフスキーはともかく夢野久作は読んで「いない」事だけが救いでしょうか。)
「トランス」が分からない人は、アサイラム、北村昌士(合掌)、ZOA、ソドム、幻覚マイムというキーワードで検索して欲しい。(ナゴムは、有頂天のケラが作ったインディーズ・レーベル。筋肉少女帯とか後の電気グルーヴとか田口トモロヲのばちかぶりが所属。)
80年代後半のサブカルに詳しい人なら、「へー、トランスギャル(当時はそういう言葉がありました・・・今のトランスとは違います。)だったんかい!」とピンとくるかもしれない。しかし、実はギャル(当時のギャルは20歳前後だった気がする)というには微妙に年齢がズレているのである。私は中学生(12歳〜)くらいだったからだ。そう、「トランスギャル(ナゴムより年齢層が高い)」の中では最年少だったのである。同じクラスの子は中学生の癖になんと10歳もサバを読んだりして、「ギャル」として振舞ってたりもしていたが(実は同い年なのに、ライブではいきなり超先輩ヅラされるという・・・)、私は到底サバ読みができる外見でもなく(超童顔)、酒も男も大嫌いで、ひたすら無意味な「ガキ」であった。さらには音楽すら好きでなく(←?!)踊るのなんてもっと嫌いで、新宿ロフトの白黒の床にうずくまって鼓膜が破れそうな「爆音」に耐えていているだけ。つまりは、1ドリンクと拷問を抱き合わせで2000円で買い、時間をドブに捨てていた、といってもいい。日々そのものが『ピノキオルート964』である。(…史上最凶の糞映画。中野武蔵野館にて上映。とにかく音がウルサクて死にそう。頭にきた私は友人にかたっぱしから薦めまくった。はい、悪魔です。そのうちの一人の真面目君は余りの轟音に本当に失神して、たまたま来ていた監督自らに介抱された。せりゅーべんだ!)内心、あー、ウルセー、もうこんなところに誘ってくれるな、悪友よ、嗚呼しかし夜は蛇よりも長く、他に朝まで何をしていいかわからないなあ・・・と思っていた。格好だけは見事に黒ずくめで今で言う「ゴスロリ」もどきで、腰まである髪をツインテールにして黒レースで飾りたてており(邪悪なセーラームーンのよーだ。)、100m先から見ても「インディーズが好きそう!」な感じではあったし、フールズメイトを毎号買って丸暗記し(例えばハナタラシの山塚アイちゃんて飲尿やってんだって〜というよーなトリビアをここから仕入れる)、池袋西口のマニアックな「貸しレコード屋(笑)」に通いまくったせいで多少は「詳しかった」のではあるが、本当は冷めまくり、というかバンド自体に「どんびき」している。言ってみれば、偽バンド少女である。当時の誰かの名言に「トランスギャルって××××臭くて、ナゴムギャルってションベン臭えよ」というのがあるのだが、私も回りを見渡しては全く同じことを感じており、どこかで「うう。こいつらと一緒にされるのはまっぴら。」とも思い、「やってこい!やってこい!陶酔の時!」と心密かに叫んでいた(笑)
そう、今思えば、居場所を間違えていたのである。・・・まだ私が幸福でからっぽで、誰にも愛されず、暇で暇でしょうがなかったころの話だからそれも許されたのだが。より詳しい情報→http://page.freett.com/cyberangelo/amadio-gothic5.html
ところが、私は学校では既に「インディーズ好きの人」、ということになっており、友人ドモは「○○ちゃんがバービーボーイズとか聴いてるくらいで、ちょっとマイナー通ぶってたけどさあ、うちらから言わせればちゃんちゃらおかしいよね〜」などと言ってくるような「サブカル選民」な雰囲気で、「そういうこと言うお前が一番痛いんだよ!売女め!」と心の中でしか言い返せない私は、もはや悲しいかな、小学生の時のようにベストテンやトップテンや夜のヒットスタジオを見ることも、サザンの「レコード」を買うことも、適わないのだった。(だから異常にメジャー音楽に弱い。カラオケも全く歌えず。今では「あなた余程真面目だったの?」と言われる。「違う、あたしは貴方がおにゃん子聴いてる時に、イカ天前夜の爆音の荒野を疾走してたのだああ!」などとは口が裂けても言えないので、「ハイ、真面目にお勉強三昧でしたv」と答えている。)
かくて私は、自分なりに心地よい音で、しかも周囲に恥ずかしくない音源を捜しはじめるのである。(なにやってんだか。。。)
そして戸川純のゲルニカ、というまた「アレ」なとっかかりから、私は1920年代〜レトロというジャンルを発見するのだ。
つまり、マレーネ・ディードリッヒや、李香蘭、笠置シズ子などを聴いていれば、まあ、体面も保て、聴くに耐えない演奏でもなく、ライブにも行かなくて済むのである!
私は「ふはは、ついに勝ったぞ。(何に?)」と喜んで、芸者の歌や軍歌を含めその手の音楽をしばらく夢中で聴いていた。(ついでにこの頃から吉屋信子も読み始める。嶽本野ばらのおかげか最近ブレイクしているが、私は生粋の同性愛者の癖になんでこんな生ぬるい話書くんだろうと不満だったものだ。)
しかし、ある日ディードリッヒの初期の歌を聴いていて突然気付いた。(初期のディードリッヒは後の退廃ムードとは違い、実はきんきんのアイドル声なのだ。『困っちゃうな』の山本リンダって感じ?つまりマレーネの退廃っぷりは小倉優子同様単なる演出なわけで、これはこれでかなり萎える。。。)
これって、昔の人にとっては「光ゲンジ(ま、今で言うKAT-TUNね。)」を聴いているのと変わらないんじゃ・・・という事に!
つまり今でこそ、戦前の音楽はマイナーであるけど、当時のディードリッヒや李香蘭なんてメジャーもメジャーだったのである。
猫も杓子も聴いていた音楽だったはずであり、当時で言えば、「倖田來未」とか「浜崎あゆみ」なわけだ。
私が当時生きていたなら、絶対にマレーネ・ディードリッヒなど「恥ずかしくて」聴かなかったはずだ。
なにゆえ「今」それを聴く・・・?
なんだか、白けてしまい、その後私の嗜好は結局メージャーすぎずマイナーすぎずなバンドに落ち着いていき(グニュウツールとか。)、さらには海外に住むようになってからは「現地音楽」のみを聴くようになる。
しかし、私は最近になって、レトロ音楽と同じことがトルコ音楽だのウズベキ音楽だの聴いてる人にも言えるなあ・・・と気付いてしまったのだ。
そう、レトロ音楽が時間軸をずらしただけのメジャー路線なのと同じで、「マイナー国」音楽は空間軸をずらしただけのメジャー路線だからだ。
洋楽とかなら「ちったあ気の効いた」音楽を聴いてたような人が臆面もなく「カザフスタンの超メジャー歌手」とかを聴いている姿は・・・結構痛い。カザフ・ポップスだから許されると思ったら大間違いだ。てか、がっかりだ。ベルベット・アンダーグラウンドとかニューオーダーとか聴いてた人が、プッシーキャットドールズやV6も大好き、なんてそもそもありえない話ではないか?(あ…アリなのか?私が知らないだけで。)
何故国が違えば(しかも英語圏とヨーロッパじゃだめらしい。インド、中東、中南米、東南アジアがヨロシ)よし、とするのか、理解できない。
「周囲の人と違うもの」であればなんでもいーのか?!歌詞が分からなければいーのか?
その昔私の洋楽コレクションを見た親戚の叔父さんが「我(わ)も若え頃はあっつの音楽聴いてたもんだが、今は演歌ばっかすだな。もう一遍聴いてみでえな。(青森訛)」と言ったのを覚えている。私は「こんなオヤジには演歌のが似つかわしいじゃん。無理すんなよ。」と思ったのだが、最近のおっさんは演歌に向かうのはさすがにデコトラ運転手みたいで恥ずかしいから、民族音楽に向かう・・・んじゃないのか?思えば特にイスラム圏とインドの音楽はくねくねしていて演歌に似ている。老いた血が求めるものと、「周囲に公表しても恥ずかしくないもの」のギリギリの折り合いが「トルキスタン音楽」なのでは?、と疑ってしまう。
まあ、あくまで常にメジャーを追うタイプの人ならいいのだが(良い例→マドンナが好き。平井堅が好き。タルカンが好き。ユルドゥズ・ウスマノヴァが好き◎筋が通ってます!)、多少なりともスノッブ気味だったはずの人が下手なトルコポップスとか聞いてたら・・・やはり加齢臭が漂う。「ハルマゲドンよやってこい・・・毎日は日曜日・・・灰色の静寂」「そして僕等は太陽が昇るのを見る、深い緑の海の端から・・・」などという繊細な音楽を聴いていたはずの人間が、「りんごほっぺの娘っ子にぶちゅうっとやりてえよおおお♪あの子は村一番のべっぴんさん、朝まで踊ろう♪それそれ!」みたいな、一番と二番の歌詞が同じだったりする歌で満足するわけがないでしょーよ。(ま、こんな田舎臭い歌もなかなかないけどね。)くだらん偽装やコケオドシは結構、中年の自意識なぞ感知したくもないし、だったら素直に北島サブローや氷川きよし聴けばあ〜?、と毒づきたくなる。
ま、(信じられないかもしれないが)これらは全部「自己批判」でもあり、私も勿論!勿論!トルコ・ポップス、ウズベク・ポップスを始めとする「トルキスタン音楽」「シルクロード・アーティスト」をずぶずぶと聴いていたのだ。
そう、どこからどう自己分析しても、これは老化現象以外のなにものでもない。
何故なら、私はそんなもの、好きでもなんでもないから。(そう、好きじゃない。これ重要。)
今日からやめよう。
さて、ライブに行くぞ!
♪接吻は理科室で 私によく似た女の子と 同じでなくては愛す価値がない 血の色の 夕日に溶けてもずっと続けて 嫌われ者の貴方が好きなの・・・・・・・・・・♪
NOT:
そんな私にも唯一ちょっと好きなインディーズ・バンドがあった。
それはRAPというパンク・バンドである。
最近まで、ネット上にも全く情報も転がってなく(今見たら転がってた!)、もはや私の手元には音源もなく、アレは幻だったのか?・・などと思いつつ「は〜るか太古の御伽噺に!今続きを与える〜わ!」などと私は一人ぼっちで、世界各国で細々と歌い継いできた(演歌歌手か!)。
私は物凄く音痴なのだが、もう、RAPの曲は自分の頭の中にしか存在しないので、しょっちゅう歌ってないと忘れてしまう、と思ってしぶしぶ歌っているのである。
中東の遺跡などで「蘇れ、バビロニアの戦士よー!」とか「イシュタルの胸の中!」などと歌うと本当に感無量になり、「皆様(RAPのメンバーのこと)に支えられて、不肖わたくし、ここまでやって来ました!」という気分になる。(やはり演歌歌手か?)
私はペトラで歌い、バスラで歌い、ウガリットで歌い、ハランで歌い、マルディンで歌い、ムカーウィルで歌い、カズベキで歌い、テルメスで歌い、火焔山で歌った。
一度だけ、「GIG」の後、ボーカルのルージュさん(当時は本名が紅香だと思ってた)真紅の薔薇を渡したことがある。
その時私は「あの、今日、友達が来られず、このお花渡すように言われたので、渡したのです。」などと誤解されるようなことを言ったのであった。ふがいない・・・。ルージュさんは「どの友達かなあ?ま、ありがと。」という感じ。(私が彼女の立場だったら「あんた、友達の代りに嫌々来たの?」くらい皮肉を言ったかもしれないが、ルージュさんはそういう人ではなかった。)覚えてないだろーな。それでも、私は「やってきたのか?陶酔の時が!」などと思い込み(単純)、なんだか嬉しかった。それこそNANAにおける「ミサトちゃん」気分になったものだ・・・。
大体、『偽バンド少女』で友人から誘われない限り一切ライブやコンサートに行かない私が一人でライブに行ったのはおそらく後にも先にもRAPだけだし、花束など渡したのも生涯でただひとりROUGEだけなのだ。
私なりに微かに「入れ込んで」いたのだろう。
(ミーハーっ気がない私はファン行動を含め、そもそもあらゆる芸能文化が苦手だ。これから花束を渡さねばならぬ機会に多々恵まれたとしても、それは義務としてであって、心から誰かを讃えて花を贈りたくなることなど死ぬまでないに違いない。)
でも、完全に崇拝していたかというとそうでもない。曲は好きなのだが、歌詞に出てくる「子宮(ヒステリア)」とか「子供」とか「エコ」というテーマが大嫌いだったからだ。それは当時の私に言わせれば「主婦的な」「左翼的」感覚で、常々気持ち悪いからなるべく考えたくない、としていることだったのである。つるつるのアンドロイドとなって無機質な世界を上手く渡りたい私にとって(隠れ進学校に通う私はまさに高値で売られたい子供達のうちのひとりだった。ルージュさんはそういう画一的教育システムに異議を唱えているらしき人だったので、そもそも志向は反対。私は実は『人形になりきり』たかったのだ。当時のヒット曲I Wanna Be a Toyというくだらない歌の内容そのまま。)、世界とは所詮ディズニーランド並に薄っぺらな書き割りに過ぎないし、「一億円位貰わなければ男とは寝たくない」のだから生殖や母性など永遠に無縁の話でしかない(・・・一億円も出す奴居るわけないと、当時はタカをくくっていたが、実は腐るほど居るのだ。叶恭子先生のように10億円と言えないところがコドモの浅知恵である)。
なんでスージースーよりもずっと綺麗な人が、こんなつまんない、陳腐なことについて歌うのだろう?、と嘆いてもいた。
要は、このバンドはそれだけ「ふわふわしたお耽美世界」「子供っぽいニヒリズム」「拒食症的成熟拒否」から遠く、地に足がついていたわけで、今思えば、それは素晴らしい特質だ。だからこそ私もしつこく歌い継いで(いや、勝手に口ずさんでるだけですが;)来たのだろう。
また、RAPは急に売れ出した女の子バンドだったので、周辺からの「やっかみ」もスゴかった(・・・気がする)。
オリラジを潰そうとする先輩芸人のごとし!な、「汚い男ドモ」が彼女たちの周辺をドロドロとした嫉妬の黒雲で覆い隠すようにしていた、と言ったらいいか。いや〜な噂が沢山流れていて(その殆どがラップの○○は××とデキている、というもの)、カモノハシのごとき無(微)性性を愛する私はそーゆー「異性愛的な」噂が立つこと自体ににうんざりしてもいた。(今思えば間に受けるほうがバカ)
あと、何がいやって、どんな音楽聴くの?と聴かれ「ラップとか好き。」と言うと絶対「黒人のオペッケ節」のことかと思われるのも嫌だった(笑)なんでこんな気が効かないバンド名なんだろ、と思っていた。
(でもRAPのレコードには『TRAP』とか『WRAP』とか「RAP」から派生する言葉遊びになっているのがあり、それは気にいっていた。次に出すなら(!)『SERAP』も候補に入れて欲しい・・・。トルコ語で『蜃気楼』という意味です。)
で、そーこーしているうち、池袋東武の五番街で貰ってくるRAP通信の写真で見る限り超可愛いドラムが入ったと喜んでいたら、なんかウヤムヤのうちにバンド自体消滅してしまったのだ。。。
ところで、今回コレを書きながらいてもたっても居られなくなって、私は10年間も開かずの間だった、子供時代の部屋に入り、丸一日かけて大捜索し、大量のガラクタの中からついにRAPのテープを発見したのである。(ついでにアサイラムとZOAと胎児も発見・・・)レコードはプレイヤーを捨てたとき処分したのだが、用意周到にもテープにとっておいたらしい。
そしておそるおそる聴いてみたのが・・・やはりいい。カッコ良すぎる。特に昔大嫌いだった「マタニティー・ブルー」など、やたらとリアルな歌詞で、「ルージュさんて、心眼をもって20年後の世界を見通してたのだな」と今にして理解する。
あと、この頃のバンドにしては・・・って失礼だが英語の「L」の発音が正確。天晴れ。やはりすごいバンドだったのだ。
ああ、もう一度、あなたに薔薇を捧げたい・・・。

