2006.02.23 Thursday
いくさぶねのふないたをはききよめろってば!
日本は敗戦国だ。「もはや戦後ではない」、などということはとっくの昔に言われてきたが、敗戦国という不名誉な称号は「次の戦争」に勝たない限りついて回る。
だいたい戦勝国というのは(フランスや韓国含め)、自分達が勝った戦争を相当しつこく覚えている。
トルコにいたっては、勿論独立戦争の栄光を85年に渡っていい意味で「引きずって」いるし、さらにはギリシャとのサッカーの試合で「1453年コンスタンチノープル陥落ザマーミロけけけ!」みたいな巨大垂れ幕を作ってギリシャ人を怒らせるくらいのことを平気でやってのける。そんな昔のことを、しつこーく、覚えているわけである。(想像して欲しい。韓国とのサッカーの試合で「1910年日韓併合ザマーミロ、けけけ!WELOVE豊臣秀吉」みたいな巨大垂れ幕を日本人サポーターが掲げたりしたら、どんな国際問題になることか!我々がいかにヤサぐれようと、こういう悪フザケができないのは、紳士だからではない。敗者であるがゆえに、勝者の顔色を伺うのが身に染み付いた性癖となっているからだ。)
ロシアにおいてもしつこく戦勝記念日に花を送りあう。
ウズベキ人(旧ソヴィエト)はのんきだから、私にも「戦勝記念日おめでとう!」などと言ってカーネーションなんかを捧げてくれたりするのだが、「てか、我々は敵国同士だったんですが・・・。」とぼそっと言うと、「えええ?敵はドイツだよ?」と、心底驚かれたりする。
そもそも、日本が枢軸国側だということ自体知らなかったりするのだ…。
正直、私は世界中の「前回の戦争で連合国側にいた国々」が、うらやましくてしょうがない。
勝者の余裕、伸びやかさ、栄光、誇り、勇気、、、どれをとっても肯定的なものばかり目に付く。
どうやら、戦争に勝つ、というのは、ワールドカップで優勝したあげく、オリンピックで金メダル100個獲得!さらには火星に有人飛行して最もいい場所に日の丸を突き刺してくる、以上に価値あることらしいのだ。
そして彼らは、いくら噛んでも飽きない美味しいガム、のような勝利を、くちゃくちゃと盛大な音をたてて噛みしめては「美味しいね、美味しいね」と言い合っている。
まことにおめでたい。
日本も結構戦艦ヤマトとか原爆とかを「思い出す」ことは多いが、あのじめじめした苦い回顧や、被虐的なカタルシスと、勝利の反芻とは根本的に大違いだ。
(ま、うらやましい反面、妬ましくて腹が立つ、ともいえよう。好んでこの国に生まれたわけでもないのに、最初から負け犬、というのは理不尽でもある。)
繰り返すが、我々は次の戦争に勝たない限り、永遠に敗戦国である。
それでは日本は何故負けたのか?
私の知能でこの問題に回答するのは不可能に等しいので、ここではその答えを、ひとつのトンデモ仮説で大胆にごまかしてしまおうと思う。
「それは日本語(和語)をないがしろにしたからだ。」
(↑こんなこと書くのは、右翼っぽくもあり、最近流行りの「日本語で飯食う人々」のような発言で、我ながら虫唾が走るが、ま、話半分に聞いてほしい。)
さらにもう一発。トルコはなぜ戦勝国であるか?
「それはトルコ語を大事にしたからだ。」
先にトルコ語のほうから説明しよう。近代化にあたってトルコがなした改革のひとつに言語改革というのがある。
現在のトルコ語はラテン文字で(ドイツ語とチェコ語の混じったような形式)書かれているが、トルコ共和国以前、オスマン帝国時代は「オスマン語」が公用語であり、文字はアラビア文字によって書き記されていた。
だからといって、オスマン語のことを「要はアラビア文字でトルコ語を書いてるだけ!(オスマン語を覚えたての奴がよくやる…)」などと舐めてかかったら大間違い。
オスマン語とは、とてつもない人工語なのである。
膨大なアラビア語(セム・ハム語族)とペルシャ語(印欧語族)の語彙をペルシャ語の助詞でさかんに張り合わせ、辛うじてトルコ語(アルタイ語族)の形式におさめる、と言った感じの、複雑怪奇な、そう、言ってみれば現代の日本語のような折衷的なシロモノだ。よってオスマン語をすらすらと読むにはこの3つの言語の基礎文法を理解し、3つの言語の単語量をモノにする必要がある。これは同時進行でフィンランド語と中国語とヘブライ語を勉強するくらい疲れる。
また、(日本語ほどではないにせよ)同じ文字を書いて何通りも読み方がある、というのは日本語とオスマン語の他に例を見ぬ共通点で、どこをとっても、本当に難しい言葉なのだ。(難解なだけに装飾的で美しい言葉でもある)
よって、この言語改革もまた、単純にオスマン語のアラビア文字表記をラテン文字(ローマ字)にしよう、などというものではない。
複雑怪奇な折衷語を、「共和国トルコ語」という全く別のものに変革する運動なのだ。
最も簡単に言えば、日本語の文語と同様、およそ日常の話し言葉とは乖離していたオスマン語で書くことをやめ、トルコの話し言葉(イスタンブールの上流階級の女性たちの言葉を手本としている。ひらがな文の基礎が平安女流文学にあるのと少し相通じるものがある。言葉の伝統はセレブ女が守る・・・のかもしれない。)でそのまま読み書きをする、というのがその基本方針である。
そして、使う語彙に関しては、アラビア語、ペルシャ語を極力廃し、トルコ語にする。
ここで簡単にトルコ語に「する」と言ってしまったが、もはや700年間もイスラム文化にどっぷり使っていたトルコ人が、当時使っていた言葉から、アラビア語とペルシャ語の語彙を抜いていく、というのは、殆ど日本語から漢語を抜く、ということに等しい。
トルコ人もまた、あまりにも完璧にペルシャ語、アラビア語の借用語を自分のものしていたために、発音や意味が変わっているものも多く、大体通常のトルコ人にはどれがペルシャ語でどれがトルコ語なのか、判別すらロクにつかなかったくらいなのである。
よって、彼らは壮絶な努力を払って「新生トルコ語」を構築したのだ。(その「壮絶な努力」の具体例に関してはまた別の機会に書きます)
一方日本はどうだったか?
近代日本は言語に関してトルコとは真逆を行った。
近代、というのはどこの国でも飛躍的に語彙の総数が増えた時代でもある。
言葉というのは基本的に「モノの名前」であるから、モノが増えるなら言葉が増えるのは理の当然だ。
そしてその、増えた語彙は、日本では「中国語」なのである。
福沢諭吉が発掘した「経済」に始まり「理念」「不動産」「領土」「人民」等々、全ては近代以降に増えた「中国語」の語彙である。
正岡子規はこう言ったそうだ。
「日本語はいかん。『いくさ船の船板を掃き清めよ!』などといっててはトロくさくてかなわん・・・やはりこれからは『軍艦の甲板を清掃せよ!』だな。」
軍艦、甲板、清掃、は「中国語」である。(トルコ語で言えば単に「チンヂェ」である。)
つまり日本人は「日本語はだめ。中国語ならいい」と考えていたのだ。
トルコ人の目からすれば、「泥棒を自ら招き入れて喜んでいる人」と同じくらい「ありえない」話だろう。
日本人がこれをなんと弁解しようと、日本の外側からみるならば、まさしくこれは、「自国語が外国語に侵食されるのを祝福していた」状態なのである。
中国と戦おうという国が、「中国語はかっこいいし便利だから、どんどん使っちゃおう♪」、と考えているようでは、負けるに決まってると、言語改革をした当時のトルコ人なら絶対言ったはずだ。そんなことでは「言霊(コトダマ)」が怒るのだ!(これはトルコ人は言わない・・・)
異論があることは分かっている。
中国語ではなく漢字熟語で、それはもはや日本語だ、とか。
日本語で複雑な概念を言い表すのは不可能に近いということは本居宣長の時代からすでに証明されている、等々。
また、和製漢語はその後中国に逆輸入されたからエラいという意見もあろう。(当然のことながらトルコ人だって「トルコ製アラビア語単語」を作って逆輸出くらいしたことがある。それも彼らは19世紀でキッパリ終わりにした)
しかし!トルコは自国語純化運動を敢行した。そして勝ったのだ。
何度も強調するが、トルコ人にとっては、それはより簡単だったのでは?という考え方は間違っている。
条件は日本と似たり寄ったりだし、さらにはイスラム教国のトルコにとって聖なる言葉であるアラビア語を排除する、というのはある意味、日本語から漢語を排除する以上に苦痛を伴ったはずだ。
彼らは、不可能を可能にしたのだ。
トルコ人は敢えて、かっこ悪さとトロくささに眼をつぶり、「いくさぶねのふないたをはききよめよ!」という方向に自国語を改変したのである。(そして勝った!)
勿論、多くの作家、宗教家は「こんな珍妙な文章が書けるか!」と猛反対したが、にもかかわらず、彼らは強引にやり遂げたのだ。(そして勝ったのだ!!)
トルコ語は日本語同様膠着語だから、同じように単語がタラタラと長い。
洋楽(英語の歌)をトルコ語に訳して歌おうとすると、そのままではまず無理だ。(単語が長いので同じ意味を詰めようとすると同じ曲の長さに入らない。)
ドライヤーのことを彼らは「sac kurutma makinesi髪を乾かす機械」というし、パソコンは「bilgi sayar(知ることを数えるもの)」国際会議のことを「uluslararasi bilgi soleni(国のあいだの知ることの宴)」とか言う。とにかく漢語(アラビア語)のシャープさに慣れていると、かなりメンドクサイし高級語彙として使うには微妙に変な感じだ。
またトルコ人はとても親しんだはずの日常語すら、辞書は「ことばいれ」学校は「まなびば」学生は「まなぶ人」虹は「空の帯」など、いずれも新しい造語にバッサリ置き換えた。(でも本は「書いたもの」・・・としようとして大失敗に終わり、「書物(kitap・アラビア語)」に戻った。市役所(belediye・アラビア語)もそう。ま、失敗は無限に多いのだ。そこがまた面白い。)
そして彼らは、ロクに「もやすもの(燃料)」も「いくさで着るもの(軍服)」ないのに「たたかいで飛ぶもの(戦闘機)」に乗って「いくさ(戦争)」をし、「なにものにもむすびつかないさま(独立)」を勝ち取ったのである。見たか!司馬遼太郎め。(←?)
…やはり、トルコとトルコ語はすごい。並大抵のことで勝者にはなれない、ということ…か。
追記:
しかし英語は借用語だらけの言語だが英語の国は「超勝ち組」。
ドイツは、どちらかといえばドイツ語を大事にしたが(ドイツ語の特徴はむしろ自国語のほうが高級語彙に適しているとされていることだ。これは最強!)「負け組」。
ウズベキスタンは同じトルコ語系でありながらトルコ方式ではなく、日本方式で近代語彙増強をなしとげたが(外来語をロシア語でそのまま使うか、ペルシャ語に訳して取り入れる)一応「勝ち組」…。でも、そもそもソ連に入ってた時点で負けかも?

