トゥルキスタン夜話

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2006.03.19 Sunday

『うみのした』って言わいでか!

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    以前私はさもトルコでは言語改革が上手くいき、トルコ人は古い借用語を駆逐し晴れ晴れとトルコ語のみを用いて戦争に勝った!かのように書いた。
    しかし、これはちょっと嘘である。
    そんなことは、トルコ語の辞書を開いてみればすぐにわかることで、ざっと見ても大体半数くらいの単語は外来語であるはずだ。
    つまり、あの運動は「トルコ人が自慢するほど上手くいったわけではない」のだが「すごく上手くいったことになっている」ものなのだ。大体矛盾点も多くて、そのひとつが、古いアラビア語・ペルシャ語は放逐しよう!と言っている割には、フランス語や英語の単語の流入にはかなり寛容だったりすることだ。要は「脱アラブ入欧」とか「勝ち馬に乗れ!」というような面が色濃く、結局はあなたたち、文化的お手本をアラブからヨーロッパに乗り換えたわけやね。という感じもする。(しかしトルコ言語協会は勿論このこと否定していて、現在はむしろ西洋語の置き換えに力を入れている、と主張している。)

     あと、面白いことに、そのトルコ語純化運動の主立った思想的先導者はアゼルバイジャン人(ミルザー・フェトハリのことをさしているつもり)、アルバニア人(シェムセッティン・サーミーのことをさしているつもり)であり、ハンガリー人で(太陽語理論を書いてウィーンからアタュルクに手紙を送ったヒトで)あり、クルド人(?ズィヤー・ギョカルプのことをさしているつもり)だったりするのである。彼らは母語がトルコ語でないからこそ、ラジカルな改革路線を描くことができた、のかもしれない。
     生粋のトルコ人であったなら、「ここはトルコなのだからトルコ語を公用語にしよう」という当たり前のことを考えつかなかったのかも、なわけだ。それは、日本人が「ここは日本なのだから、和語を使えばいいじゃん」とは考えないのと同じだ。最近もまた、国立国語研究所の外来語委員会が、難しいカタカナ語を漢字に直そう、というキャンペーン?をやっていた。もし、日本国民の構成のなかに一定数のアルバニア人を含んでいたら、彼らは「漢字(中国語)に直すのは無意味やないかい!」とつっこんでくれたはずなのだ。(在日朝鮮人、中国人はそもそも東アジア文化圏の人々なのでだめっぽい。)

     だから、前にも書いたように右翼な方々(オスマン帝国支持者・宗教勢力)は「まるで日本人のように」言語改革にぐぢぐぢと反対していたのである。彼らにとって、「submarine(潜水艦)」はアラビア語で「tahte’l-bahr(バフルは海のこと。たとえば死海のことはアラビア語で『バフル・マイエ』と言う。)」と訳すと「高尚でうっとり!」なわけで、トルコ語「denizalti」と訳すのはダサカッコワル!かったのである。

    (たとえば、オスマン人は「kucuk cekmece」とか「buyuk cekmece」などというトルコの地名すらも「cekmece-i sagir」「cekmece-i kabir」などと呼んでいたりもしたそうだ。当時の「ナウい」オスマン人にすれば、ありきたりな地名でも、アラビア語の単語に変換してペルシャ語の語法で言い直すと「おっしゃれー」なわけである(笑)。思い出すのもオゾマシイが日本人も渋谷のことを「ビット・バレー」とか名づけて一時期ウカレてたようなものである。)

     言うまでもなく我々は潜水艦を「うみのした」と訳していない。「え〜?『うみのした』、って最新の船の名前にしては変じゃないか?」と思うのが日本語を母語とする者の正常な感覚だからだ。しかし、公用語として日本語を話しているだけの外国人なら、「別に『うみのした』でいいじゃないデスカ?難しい外国語をさらに難しい『潜水艦』なんて外国語で訳してどーすんデスカ!」という話になるだろう。それがまさにトルコの状況に近いんじゃないか…と私は思う。

     しかし、しつこいが英語の「サブマリン」というのはラテン語系の高級語彙なのである。アメリカ人だって潜水艦のことを「under the sea」とは呼ばないのである。だから、日本人(トルコ人)にとって高級語彙である中国語(アラビア語)に置き換えるのは案外「まっとう」な話なのだ。ところでここにドイツ語が割り込んでくるとまた話がややこしくなる。ドイツ語は高級語彙をこそ自前で調達する言語だからだ。トルコ語が別にそーゆー傾向を持たないにもかかわらず、トルコ人が結果的に「『うみのした』でよろしい!と考えたのは案外ドイツ語の影響が強かったからかもしれない。でもって、「うみのした」と言いまくっているうちに、トルコ人はそれに慣れてしまい、今ではなんの違和感もないのである。(だから、実は日本語にだって望みはあるのかもしれないのだ)

     ま、「うみのした」は上手くいった話だが、言語改革自体は完璧にうまくいったわけではなく、かなりの数のアラビア語・ペルシャ語の単語が残り、反対派だった人々は内心「こんなもんか」とほっとした、というのが真相に近いのではないか、と思われる。しかも言語改革はアタチュルクのなしたもっとも素晴らしく神聖な改革のひとつであると謳われているので、誰も「このくらいですんで、嬉しくてしょうがありません」とは発言しないのである(笑)

    で、たまにバカで左翼的で進歩的なトルコ人は我々にこう言ったりする。
    「日本語もトルコを見習ってラテン文字にすれば、日本はもっと発展するのに!惜しいですね。」
    「………。」
    コレを言った人はとても近しい友人だが、私は生涯この人間の愚鈍さを憎むだろう。(でもニッコリ付き合う。それが社交!)

    また、熱心なイスラム教徒で、オスマン語が達者な人はこう言ったりする。
    「日本が文字改革を経ずして、これだけ発展するという事実を我々が知っていれば、あのころ、ラテン文字改革に反対するための素晴らしい戦略的論拠となったのに!」
    彼らにとって、膨大なオスマン語の書籍をもはや国民殆どが読めない(700年分の知の蓄積が無駄になる)、オスマン時代どころか、共和国に移行したあとのアタチュルクの演説ですら「翻訳」が行われる、という事態はゆゆしきことなのだ。

    最後に、トルコ語を純化した手法を書いておこう。
    1.古語を掘り起こす。
    2.方言から拾う。
    3.複合語、造語で置換する。

    長くなったので、これらの説明はまた今度…。

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