トゥルキスタン夜話

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2006.03.28 Tuesday

もうひとりの友人、KKについての覚書

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    ウズベキスタンに住むロシア人というのはまさに女の中の女!
    長い足をぴったりしすぎて殆ど卑猥なジーンズや激しく短いミニスカート包み、毛皮のついたコートを着て、大抵お色気むんむんの天然娼婦といった感じである。
    夏はブラジャーどころか、パンツの柄がスカートから透けて見えていたりして、ある意味裸よりやらしーのだが、それすらもどうでもいい感じで闊歩している。
    世界各国の駐在員がこれにコロリとやられまくってるというのは、言うまでもない話。
    トルコの新聞に、ロシア女のハニートラップに駐在員がかたっぱしからひっかかって会社に不利益をだしまくるから、最高齢の「枯れた」社員を送り込むことにしたが、それでも全員「回春」してしまい、効果なしだった!みたいな話が載ってたこともあった。
    当然、日本人男性もエライことになっているが、あまり多くは語るまい。。。

    KKもいわゆるロシア女だ。
    しかし、超例外的な存在である。
    やせっぽちで眼鏡をかけたKKは、とにかく性の匂いの全然しない少年じみた女の子なのだ。
    彼女はいつも、秋葉系も真っ青な恐ろしく悪趣味なトレーナーばかり着ている。
    スカートは決して穿かず、ぶかぶかのウォッシャブルジーンズに包まれたおしりも滑稽なほど小さい(この国の女性用のジーンズでは布が余ってしまうらしく臀部にいつも変な皺が盛大に寄っている)。

    私たちは知り合って随分になり(7年以上)、ウズベキスタン以外では、ラトヴィアで会ったこともある。
    ラトヴィアには彼女の祖父母が住んでいて(でもラトッシュではなく、ロシア人)、KKはよくラトヴィアに行くのだ。

    しかし、どーしても私たちは私たちがどうやって知り合ったのか思い出せない。
    思い出すのは、私の家に彼女が日本語を勉強しに来ていたことだけなのだが、どうしてそんなことになったのか、我々二人とも忘れてしまったのだ。
    もはや思い出せない、ということに、この前二人で同時に気がついて笑ってしまった。

    馴れ初めは忘れてしまっただが、私にははっきりとわかる。
    私がこの子を気に入ったわけが。
    私が無償で日本語を教える、などと酔狂なことをしたのはKKだけだが、それは勿論この子が非常に綺麗な存在だからだ。
    大抵の人間は、この子を「ガリガリに痩せた、ダサいオトコオンナ」としか思わないだろうが、私の眼は肥えている。

    この子の、儚い巻き毛とブルーグレイの瞳と赤らんだクリーム色の肌、すなわちその容貌の中性性は、殆ど天使のようなのだ。
    ただし、皮肉な罰ゲームによって、その美を消して、醜く滑稽に装うことを余儀なくされている。
    眼鏡を外した顔は恐ろしく整っていて、ジーン・セパーグとかミシェル・ファイファーを彷彿とさせる「それと気づかれにくい」美人だ。(最も似ているのは『ローズマリーの赤ちゃん』のときのミア・ファロー。イメージ的には『下妻物語』の土屋アンナのいじめられっ子時代の姿。)
    私はこのやせっぽちで謙虚な天使をどこかで見出し、ただ単にずっと鑑賞していたくなり、日本語を教えるなどという理由で家に呼んでいたのだと思う。
    ま、彼女からすれば「なんだかしらんけど」タダかつ送迎付で優雅に日本語を教えてもらえるわけで、悪い話でもなかったんだと思う。

    教えている最中、彼女の母親が癌で死んだ。
    彼女はある日、泣き晴らした顔で我が家にやってきて「オカアサンガシニマシタ」と報告した。
    どうしてシニマシタ?と質問すると「お母さんの×××(淫語)悪い。」と言う。
    私は飲んでいたお茶をぶーーーーー!っと吹きだしそうになったが、場合が場合なので、訂正せずに話を聞いた。
    どうやら、子宮頸癌というやつらしい。二十歳そこそこのKKの母はまだ40歳代の若さである。
    (ところで、この単語は以前日本大使館内でやっていた日本語教室で「手」とか「足」などという身体基本単語とともに習ったのだそうだ。。。いったいどんな授業してるんだろ?とおどろいたものだ。)
    彼女は私に母親の形見の琥珀の首飾りをくれた。
    少しも光らない、海辺で拾った石をそのままつないだような無骨なネックレスだった。

    (KKは今では母親について冷えた信念を持っている。「母を想うことは僕のエゴに他ならない」と彼女は言う。「そんなことを母が望んだわけではない。」「だから僕はただ生きるだけ。」そして、彼女はただ、生きるのだ。その生き方というのも無駄がなく、父と弟のためにすべての家事をこなすことと、安月給の鉄道会社で働くことに殆どの時間が割かれる。)

    4年ぶりに会ったKKには大きな変化があった。
    なんと、ウズベキ語を話せるようになっているのである。
    勤めていた鉄道会社でロシア語が上手ではない同僚がおり、互いに教えあうことにしたのだそうだが、結局同僚より、KKのウズベキ語のほうが上手くなってしまい、今ではウズベキ語で日常生活レベルの話は完璧にできるようになったらしい。
    私たちは昔は主に日本語(でもKKのレベルはあまりに低い)と英語を混ぜ合わせて話してたのだが、今回は主にウズベキ語でしゃべれるようになった。
    KKの頭では、ウズベキ語と日本語は同じ引き出しに入れられているらしく、日本語の単語もウズベキ語の接尾詞でつなぎ合わせてしまうところがまた面白い。
    「僕の日本語はモノにならなかったけど、日本語をやっていたおかげで、文法構造が近いウズベキ語が早く覚えられました。ウズベキスタンに住むロシア人にとって、ウズベキ語ができないことは、もはやハンデです。僕の弟はウズベキ語ができないせいで、昇進できない。僕、日本語をやっていてよかったと思います」・・・撒いた種はいつかどこかで必ず芽吹くもので、その芽吹きにこそまさに「萌え!」る。

    で、変なウズベキ語と日本語と英語とロシア語を取り混ぜて話しているのだが、私たちはとても気が合う。
    あるとき、KKと私は同時に携帯電話を取り出したが、KKはそれでアラームを設定し、私は計算を始めて、同時に「回線つながってないから電話できないんだよね・・・。」などと言って笑う。
    「こないだM先生の家で飲んだワインまずかった〜。」と、KK。
    「あれは私がトルコで買ったワインだよ!失礼な!」と私。
    宵の明星を見て私が「金星だ」と言えば笑い(何故笑う?)、赤いのは「火星だ」と言えばさらに爆笑する。(今思えば全くおかしくない。とにかく二人して笑い転げてばかりいるのだが、全部思い出せないほと些細なことだ)
    よくわからないが、この「毒舌家の日本人」と「美しくもダサい天然ボケロシア人」の取り合わせは、不思議な化学反応を起こし続け、ずっと一緒に居ても飽きないし、何年ぶりに会っても昨日別れたばかりのようにすぐに仲良くなれる。

    あと、KKの好ましいところに「ファンシー」と「ミーハー」という乙女心から無縁であるということもあげられる(私自身もこの二つの「極東“カワイイ”文化」にどうもなじめない人間だ)。
    KKに好きな音楽は?好きな歌手は?、ロシア語のテレビを一緒に見ながら、そういう愚問をあえて投げてみると「別にない。興味ない。」ときっぱり答えるところがなんというか・・・すがすがしい。
    当たり前だ。音楽好きな子があんなとんでもなくダサいトレーナーをヘイキで着るわけがないのだから。
    そういう「自分と関係ないもの」に対する無関心と自意識の低さ、を私は愛する。
    その合理的な遠近感覚と、余計な観客を必要としない、健やかでサッパリした貧しい心を。
    ああ、KKよ。永遠にその身を巨大な秋葉トレーナーとウォッシャブル・ジーンズとぐりぐり眼鏡で包んでおいておくれ・・・。と私は祈る!祈っているのに!

    KKはこれから2年契約でアラブ首長国連邦のドバイに出稼ぎに行くという。
    しかも「ビューティーショップの美容部員」だというのだ。
    かなり落胆して、「なんで?」と聞くと「だって、制服がズボンだったんだもん♪スカート穿かなくていいんだもん♪」とオトコオンナらしく能天気なことを言う。
    月給は500ドル。5年前KKが図書館で働いて得ていた収入が一ヶ月8ドルだったことを考えると・・・途方もない額だ。
    (Mは「アラブ人とかトルコ人はね、綺麗なロシア人を働かせるのが、好きなのよ。」と屈辱すら滲ませず淡々と言う。)
    石油成金にコキ使われて、この清廉な天使が、安いお化粧をして化粧品なんかを売るのか・・・。
    なんともやりきれない気分だが仕方がない。
    この子の冷えた自意識欠乏症が変わらぬことを私は信じる。

    ドバイに会いに行くよ、KK。
    そして君の任期が切れたら、また一緒に遠浅のバルト海でカモメと遊ぼう。

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