トゥルキスタン夜話

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2006.03.30 Thursday

エリカトイ

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    ウズベキ語では「甘えんぼ」のことを、「エリカトイ」と言う。
    トルコの歌手タルカンの有名な歌「SIMARIK(甘ったれ)」はウズベキ語に訳すなら勿論「エリカトイ」なのである。
    Mは私のことを、エリカトイと言う。

    日本へ帰る前々日、朝起きたら、Mはなんだか機嫌が悪かった。
    頭痛がひどいのだという。
    この家では、頭を手術したばかりの心理学者の妹を始め誰もが不幸なわけで、そんなことにはもはや構わず私はニコニコと朝食のいくら丼の用意でもしてたのだ。

    その後、たらたらとチャイの用意をするMを台所に残して、バッテリヤに張り付き、ふと、窓の外の空き地における枯葉と霜の黄金の輪舞(嘘つけ)を見ていたら、突然「寝違えた。」
    起きながらにして唐突に寝違える、という経験は初めてで、私は突然、ネジクレタ体勢で床にばったり倒れてしまった。
    Mは不機嫌なので、当然「すぐ治るわよ」などと言って冷淡に見ていたが、私が日に焼かれた蚯蚓のごとく煩悶しながら、いつまでもネジクレているので、心配しはじめた。

    (心の中で、私は思う。もしMが頭痛い、などと言わなければ、こんなことにはならなかったのに。
    私には毒を持って毒を制する、というか1のトラブルを100のトラブルを起こして解決するようなところが「先天的」にあり、誰かが病気になると自分もそれ以上にヒドイ病気にならなければ気がすまないのである。しかもこーゆーことをワザトやっているわけではないから、タチが悪い。)

    根が面倒見がよいMは、慌ててマッサージをしたりし始めるが、私の首は後方45度にがくっと曲がったまま、なかなか戻らない、というか、戻そうとすると激痛が走る。
    しかし、今日はMの大学に同行する約束をした日なので、私は出かけなければならない。
    何とか、首を建て直し、頭の上にボーリング球でも載せているような状態で一緒に家を出た。
    少しでも骨がずれると痛いので、まっすぐ前しか見られない。

    Mの勤め先はタシュケント国立大学という所で、ここは、中央アジアで最も古い大学らしい。
    イスタンブールのコチ大学の助教授ティムール・コジャオウル(このひとほど善良な人間に私は会ったことがない!すごすぎる。そしてその息子はなぜか悪魔だ。。。)の父親がウズベキスタン臨時政権の大統領だったころ、「トゥルクメニスタンなんとか大学」として建てられたそうだ。
    今では文系と理系に分裂したが、それでも14の学部を擁するこの巨大大学は、最高学府として君臨し続けている。

    7年くらい前に一度だけ会った、トルコ語学者と再会する。
    トルコ語−ウズベキ語用例辞典を出版した人だ。
    あとから、この調子の良いジジイがMのトルコでの研修の機会を握りつぶし(ついでに私に会えると思って喜んでたらしい)、自分が代わりに参加したことを聞いた。
    Mは「しょうがないのよ。トルコ人と仕事してるトルコ人みたいな人なんだから。」とまた一発。(「トルコ人は狐だ」、というのはMの格言と化している。狐のごとく「アヨール」で、「ピッシック」なのだと。また別の機会にも書くが、M曰く、トルコ人はホラズム人の特徴を全て備えていて、さらにそれが「ひどくなった奴ら」である。で、ホラズム人とは…要はチャラチャラしてて利に敏く目立ちたがり屋で攻撃的で金に汚い種族、であるらしい。どこの国にも「県民性」というの名の偏見は存在する)

    助教授Mの部屋はウズベキ語−トルコ語課というところだった。
    なんと目立つところに、カリモフと共にアタチュルクの写真が並列で並べてあった。(なんかいや〜な感じ。)
    鬱状態で引きこもりを続けるMを同僚の教師たちは皆心配していた。
    「いったいどうしたの?有給はとっくにおわったはずよ!働きなさい!」と学科長の女性は叱咤する。
    その言葉は、喪中のスカーフ(身内に死者が出るとウズベキ女はスカーフをかぶる)をかぶりっぱなしでうつむくMをすり抜けて、私にも刺さる。
    ああ、勤労せねば。。。
    すっかり登校拒否になってしまったMは煮え切らない。
    私はこのようなMはあまり好きではない。
    働け!老嬢よ。お前には勤労以外なにがあるのだ?
    と内心、思ってしまう。
    (いや、自分こそ働かねば。)

    学校からKKに電話したが通じないので、Mと一緒にチョルス・バザールに行く。
    私はもはや首が痛くて平均台の上をそろそろと歩くように、Mに手をとらせ、すり足で歩を進めている。
    そのくせ「ナーリンが食べたい!ナーリンが食べたい!」とワガママを言うのだ。
    ナーリンとは刀削麺のようなもので、その麺が細切れの馬肉の燻製(カズ)と混じりあっている。
    冷え切ったナーリンを熱い羊骨スープで何度か暖めてから、どんぶりに改めてたっぷりスープをはって出してくれたりすると・・・もう最高にうまい!
    私が世界で最も愛する料理は・・・実はこれ!と言ってもいいくらいだ。
    それから、レバーの「カボーブ」を食べる。これもぶりぶりして血が滲み、はじける美味さ。
    (これに比べたら、トルコの「アルナヴト・ジエリ」なんて弛緩した死肉を犯すがごとく不味い。)
    ウズベキスタン時代、こればかりを2年半食べ続けたものだが、まだまだ永遠に飽きないことが発覚・・・深い。

    ナーリンを食べて、また殆ど盲目のようにMにつかまりそろそろ歩いていたら、あまりにそれがおおげさなので、Mがついに地下鉄の駅で、私の鼻をきゅうっとつまみ「エリカトイ!」と言ったのだ。帰って寝るときにも、フトンとシーツを敷いて(いつもはさすがに自分でベッドメイキングするのだが、首が痛いといってMにやらせたのだ)私を寝かしつけ、私が「ぽっちり」顔を出して赤子のようにぬくぬくすると、また冷たい痩せた指で鼻をつまんで「このエリカトイ!」と言った。

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