トゥルキスタン夜話

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2006.05.23 Tuesday

「ねずみ御殿」とはなんぞや

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    先日の「びびったの巻」は、日記のようにひょろひょろと終わっているが、要は人は
    1.自分のやっていることの遥か延長線上(もはや霞んで見えないほど遥か雲の上)にいるらしき人にはびびる。
    2.話せるレベルじゃない外国語をしゃべろうとするとびびる。
    3.その日の授業で習った「偉人」が現れるとびびる。

    という結論らしきものが抽出できると思う。

    あと、その場に居た人々をかなり悪く描写してしまったが、あの慶応ボーイをはじめ、列席者たちはのちに私にとっても親切にしてくれたのである。しかし、その親切は「例によって」、全然私の心に届かなかった。ひどい失礼(思い出してもぞっとする無礼だ。誘ってくれた劇に大遅刻してしまったのである。すっかり忘れて。理事長は自ら切符を私に渡そうと待っていたらしい。別のミュージカルを見たとき、偶然隣の席になったのだが、もはや完全に無視された。当然だ。)とか冷淡さ(EXPOチャンネルでタダで宣伝をながしてもらったのだが、そのお礼をするのを忘れた)によって、彼らの温情に報いてしまった自分が一番ロクでもないと思っている。てか、それほどまでに「震え上がって」他のエライ人に対して全然注意が回ってなかった自分の小物ぶりにうんざりした。

     でも、まあ、処世訓として一言書き添えておくと、老人(自分より30歳以上年上の人間に)に対してしてしまった無礼はもう、忘れるしかない。
    ここまで年齢差があれば、ある意味「安心」してよい。「逃げ切れる」だろうから。(かなり下品な考え方です。。。)
    彼らは早晩定年退職してくれる運命にあるし、そうなれば彼らが我々に対なし得る復讐というのも限られてくる。
     せいぜい、定年後、暇に任せて書いた「自叙伝(誰が買うんでしょーね〜。)」の中でちくりと悪口を書かれるくらいで、たいした実害はないのだから、さっさと忘れ、もう「なるべく」同じことを繰り返さぬよう肝に命じればよい。

     ところで、コレまでの記述を読み返してみたら、当たり前のように使っている変な単語が出てきたので、この辺で説明してみようとおもう。

    『ねずみ御殿』とは?

    それは私がタシュケントで住んでいた家だ。インターコンチネンタル・ホテルの目の前にある。ベッドルーム4部屋・ビリヤード部屋・大小サロン・室内外プールなどを備えた瀟洒な家。3メートルはあるような巨大な門が開くと、近所のガキたちが見物にくるほど、見た目は美しい。(いつか書いてやるがこの『高級住宅在住』のセレブ・コドモの性格の悪さったらない。近隣に住む貧乏人の子は壮絶なイジメにあう運命だ。たまごっちを持ってないだけで『ばーか、死ね貧乏人!お前んとこの乞食家族なんか永遠にあたしんちにはかなわない。狭い家に住む汚い貧乏人!』と面罵し、殴る蹴るという感じ。)
    ちなみに当時のウズベキスタンでは家賃の最高限度額が「法的」には3万円程度だった。(公的には家賃3万円以上とってはならない、ということ)
    実際は闇相場があったのだが、所詮「闇」なので、交渉によっては、「大豪邸」を結構安い値段で借りることができた。
     しかし!借りたあとに重大な欠点がみつかる。それがねずみ。この家には何百匹というねずみが住み着いていた。大いにワケあり物件だったのだ(大家は貸したときはねずみは居なかった、という。確かに私が住んで1年くらいしてからねずみは増えだした。巨大ホテルがオープンしたことと関係ある!と大家は主張していた)。よって私はまるでトムとジェリーを地で行くような生活を強いられることになる。朝から晩までねずみを追い回していたのだ。追い回したねずみは当然殺す。ここがアニメと違うところで、ねずみを殺すというのは、相当な殺生だ。あの小動物の骨を砕き、血を流させ、殺してしまうわけだから。「蚊」を潰したくらいなら、ま、どうってことないけど、ねずみを潰した手、というのはかなりホラーだ。今から思えばよくあんなに殺せたなあ、と感心する。
     おそらくは、軽いノイローゼ、だったのだと思う。朝から晩まで(とくに夜!)カリカリカリカリねずみがなにかを齧る音が巨大な屋敷の四方八方から響きわたり、気が休まる間もなかった。「ネズミ捕り」という古典的な道具もよくつかった。私はそれをあついかねたので、Mが来たときにしかけてもらう。すると五分もたたないうちに「バチンバチン」と音がしてドミノ倒しのごとく全てのわなにねずみがかかるのだった。ネズミ捕りというのはそのままひっかかってるだけじゃない。ねずみは全身打撲?でその場で死ぬのである。口から血を吐いたり、目玉が飛び出ているねずみをとりはずし・・・またMが来てくれるのをまたねばならない。
     それだけではラチがあかないので、日本から送ってもらった粘着性のネズミ捕りもよく使った。これはゴキブリホイホイのねずみ版みたいなものだが、ひっかかったねずみは3日くらいは生きている。トリモチの上で、仲間の死体に折り重なってべとべとになり、恨めしそうにつぶらな瞳でこちらを睨むねずみを「じー!」っと観察して「いい気味だこと。ヲホホ」と嘲笑うのが私の日課だった(猟奇的ナリ)。あとはとにかく追い掛け回して追い詰めて殺す!殺す!殺す!叩き殺す!押しつぶす!踏みにじる!そうして殺したねずみを毎日、猫のごとくならべて満足していた。しかし、わが宿敵ジェリーはクローンのごとく増え続ける。米をたべようとしても、小麦粉でなにかつくろうとしても全ての食料袋からはねずみがうじゃうじゃ顔を出す・・・(こうして書いていてもムラムラする!一生許さん!ねずみめ!)かくて死闘は私が引っ越す時まで続いたのだった。

     その後、私がドラえもんのごとく「ねずみ大嫌い」になったのはいうまでもない・・・。いや、ねずみのほうがむしろ私を嫌いだろうが。
    (ウズベキスタンから帰ってから、ディズニーランドにも一回も行ったことがない。ねずみを崇めるなんてとんでもないテーマパークだ!)

    ねずみ御殿・・・それは呪われた殺戮の館だったのである。

    NOT:
    ところで、ラテン語とフランス語の間では、「死を希い(モルテム・オラト)」を「鼠を殺せ(モール・オ・ラ)」と言葉遊びが出来るらしい。このことを知った時、なんとなく、私の「鬱」と「殺鼠」の間の架け橋が見えたような気がして愉快だった。私は人間のありとあらゆる行動の影に言葉の支配を読み取るのが趣味なのだ。

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