トゥルキスタン夜話

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2006.06.15 Thursday

マ「ド」モワゼルじゃなくってよ!

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    悪魔の老嬢女教師映画・・・を見てしまったので、紹介いたします。
    ジャンヌ・モローの「マドモワゼル」。1966年製作

    この老嬢は村の小学校に派遣されてきた独身の女教師で、「パリでならいくらでも居るような女」だが、田舎では垢抜けてみえ、皆に女神のように崇められている。
    その孤独(結婚していない・男も居ない)な状態は村人から「かわいそう」とか「だからこそ清い」とか言われ、一定の理解を得ている。

    で、老嬢ムーヴィーによくあるパターンというのは、孤独が「内攻」し自滅する話なのだが、この「マドモワゼル」の場合は攻撃性が外に向う、のだ。
    珍しいと言えば、珍しいパターンである。
    すなわち、彼女は村の水門を空けて洪水を起こし、放火し(無関係な村人が死ぬ)、飲料水に白砒素を入れ家畜を殺し、と、大暴れ!
    しかし、昼の彼女はストイックかつ修道女のように清らかな小学校の女教師である。ある意味、東電OL渡辺泰子の二面性よりも荒涼とした懸隔が内在する。(泰子さんは売春を初めて以降会社では怠けてたらしいし。家庭でも職場でも売春はバレていたとか。2面性が崩れて交じり合っている。対してこの女教師は裏の顔を完璧に隠蔽している。)

    また、彼女の最もイヤラシい所は「貧乏人で外国人」の生徒を厳しく虐めること。
    よく事情はわからないがその村(フランス)では「出稼ぎのイタリア人」というのが、貧乏かつマイノリティーで(我々の好きな金髪系のヨーロッパ人が黒髪の南のヨーロッパ人をバカにする構図?)、彼女はその哀れなイタリア人少年を理不尽に虐め続けるのだ。勉強ができないというならまだともかく、「ジプシーみたいに汚らしい!」とか「長ズボンを買う金がない!(金がないことを知っていながら、そこを叱るなんて、ほんと酷い)」という理由で。
    かと思うと、その少年が、自分が密かに恋した(てか、アッサリ欲情したと言ったほうがいいだろう。映画でもそういう描かれ方だ。逆源氏物語みたいに「女」のほうが「男」を透き見して惚れるのである。いかにも男が書いた脚本って感じ)男の息子だと知るや否や、露骨に擦り寄ってみたりもする。
    で、その性欲をうまく静めてもらえないと、また、少年に当り散らす。(少年は優しくなった女教師にプレゼントするためにウサギを捕まえて教室に持ってくる。上着のお腹にウサギを隠したまま授業を受けるのだが、ポケットにウサギの餌にする草が入っているのをみつけた教師にぎゃあぎゃあ怒られ、教室から出させられ、結局腹いせにウサギを丸太に叩きつけて殺してしまう。)
    本当になにひとついいところがない、悪女というより「嫌な奴」なのだ!

    ジャンヌ・モローは悪女の役ばかり演じて、またそれがよく似合う女優だが、今まで見たなかで「EVE(エヴァ)」を抜いて、私はこのキャラクターが一番キライになってしまった。
    男に酷薄な女というのは、一種のSM的じゃれ合いなんじゃないか(彼女の愛はそういう形で発露されるのだろう)、という解釈が可能だから、まだ許せる。また、内攻的で、精神崩壊を引き起こした老嬢は、結局は自分の身を滅ぼしていく運命だし、自然淘汰されて死んでいくことが多いものだから、最終的には同情もする。しかし世の中を憎んで(普通その恨みを特定の人物に投影して返上しがちなのだが)その憎悪を実際に社会に無差別に復讐することではらす女は、本当に手の施しようがない。なんせ側に居たら危害を加えられるだけなのだから・・・ま、スクリーンで見ている限りは興味深いキャラであることは確かだ。

    (しかし、もしもこの「なにひとついいところがないキャラ」が、子供も生まず、男もつくらない高齢処女な老嬢に対して、世間一般が抱いている「胡散臭い感じ」を具現化したものだったとしたら・・・ひどいのは1960年代のフランス社会の潜在意識のほうなのだが。だいたい、あまり世間を騒がせる連続犯罪の犯人が「老嬢」ということって、現実社会には起こっていないではないか?被害者であることはままあるが。逆に独身男性には「加害者」が多い気がするけど・・・)


    ところで、トルコや中東では、外人女性への呼びかけに「マダム!」という単語をよく使う。日本人の独身のお嬢さんはぷんぷんして、「あたしはマドモワゼル、よ!」と言い返してたりするのだが、あれは別に既婚/未婚をはっきり区別して言っているのではないのだから、気にすることはない。彼らは何も考えていないのだ。マダムのほうがメジャーな単語であるというだけ。
    だから、外国に行ってまで勝手に日本語の「マダム」という単語と混同するのは避けなければならない。(同じ単語は総ての国で意味まで同じなわけではない)
    できれば中東では、既婚/未婚の差より、「イスラム/非イスラム」の区別を表すのに用いられる単語だということに気づけば天晴れだ。マダムは「hanimefendi」の対義語であって、matmazelのそれではない。(と言っても旅行者がそこまで考えなくていいけど。。。要は気にする必要なし!)

    あと、せっかく「マドモワゼルよ!」と言い返しても、残念だがトルコではおそらく通じない。これもトルコ語ができる日本人もよく間違って発音している単語のひとつなのだが、トルコ語の「マドモワゼル」は「matmazel」である。

    DじゃなくてT!

    無理矢理カタカナにすると「マット・マズ・エル」という感じで発音されるので、「madomowazeru」という日本人発音とはかなり離れてしまう。こりゃ通じない。

    で、とにかく、ジャンヌ・モローの「matmazel」は胸糞悪い老嬢恐怖映画でした。お勧め!

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