トゥルキスタン夜話

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2006.07.04 Tuesday

カ『ズ』・キョイのカイマカムに関する都市伝説

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    『V.M.―ヴァギナ・モノローグス』という演劇がついに日本上陸したらしい。東ちづるとか野沢直子とか内田春菊が出演するそーな。

    実は、私はこういうフェミっぽくて赤裸々な演劇とか映画とかがかなり苦手なほうだ。
    大昔、若気の至りでゲイ&レズビアン映画祭なるものに行ってみたときも、「レズビアン部門」の殆どがこーゆー系統で閉口したことがある。
    さらには、「男性のデリケートゾーンにつける薬」とかED治療、頻尿ケアのCMすら、同様の匂いを感じて総じて好きじゃない。

    だからこそよく覚えているのだが、この演劇はトルコでも上演されたことがある(2003年)。
    私は見に行ったことがないので(キライなんだってば)、この演劇がトルコのメディアで巻き起こした「センセーション」だけを記憶しているのだが。

    そしてそのセンセーションはこの演劇の内容、というよりは単に「ヴァギナ」という言葉をめぐってのものだったのである。
    この騒動を受け、テレビも、この演劇の宣伝する場合、ポスターを映して、ナレーションをつけない、などの「工夫」を凝らしていたりもした。
    トルコの都市部は日本以上に女性の社会進出が進んでいるので、この演劇の内容に文句をつけるのは「知識人」としてはばかられるものがあるからこそ、名前だけが標的になったという見方もできよう。
    (たとえば、この演劇を上演したのはトルコは35カ国目だったが、日本は60番目以上だったと思う。日本が今、いかにフェミニズムの氷河期かよくわかる。)

    トルコ語でも「ヴァギナ」なの?と思った方も居るかもしれないが、別にこの単語に限ったことではなく、いわゆる「性的」な単語を、自国語よりちょっと「エレガント」な言い方をしようと思った場合、日本語とトルコ語は殆ど共通だ。
    一例を挙げると「アヌス」という言葉はトルコでは医学用語でもあるので、医者がよく使う。
    (その他思いつく限り羅列してもいいが、検索にひっかかりまくるので自粛します;)
    外来語の流入の理由の一つに「性的かつ侮辱的な意味をもつ言葉をニュートラルに表現する」というものがある。
    現代ではそれは殆どの国で英語に置き換えるわけで、この「ヴァギナ」なんつー言葉は、日本−トルコ間だけでなく、おそらく世界中で通じるものだと思う。

    で、日本語とトルコ語のこれらの単語を比較した場合、どちらかといえばトルコ語のほうが、英語で表現すれば、エロを廃除できるんだふーん、と私は信じて生きてきたのだが(たとえば、日本で医者が「アヌスに薬を入れましょう」などといったら、なんか変だ。トルコ語では普通。)、結構この「ヴァギナ」という単語に過剰反応する人がいるということが分かり、この信念に「そうでもないのか?」と軽く疑念を持ったのである。

    そして一連のこの「センセーション」でもっとも有名になった人がカドゥキョイの区長ユクセル・ペケル氏だ。
    彼は、イスタンブールのアジア側、カドゥキョイで「題名が卑猥である。」と自分の管轄区での上演を禁止したのである。
    区長の発言に対し、この劇の運営委員会はこう応酬した。
    「ヴァギナとは医学用語である。恥じたり禁じたりする性質の言葉ではない。あなたの役職名『kaymakam(区長)』という単語のほうがよほど禁じられるべきである」
    (トルコ語が分からない人のために解説すると、沖縄の県知事が『ヴァギナなんて題からして卑猥だから沖縄ではこんな劇は上演させん!』と反対したのに対して、『お宅の県の湖の名前のほうが下品な名前ですから、そっちを先に禁じなさいよ。』と返答したよーなもの…わかりにくい例えで申し訳ない。)

    …という話が当時まことしやかに流れていた。新聞やテレビで取り上げたよーな気もするので(なんせ3年前の話なのであやふや)、私も最近までこれを真実だと思っていた。ところが、また最近日本上陸を祝してよく調べてみると(笑)、どーもこのユクセル・ペケル氏のご不満とは「題名がトルコ語でない。」ことに対するものであった、という説もあるらしい。

    彼は「フランス語だか英語だかで誤魔化すな。ヴァギナをトルコ語訳すれば女性性器ということではないか。トルコ共和国では発言は総てトルコ語で、明確でなければならぬ。英語でお茶を濁すのは、私の良心と合理性に反する。演劇の題名を変えなさい、そしたら上演許可を出しますよ。」と言ったというもの。(で、運営員会のほうは、「んじゃ、『カイマカム・モノローグ』っつー名前にしてやりますよ。トルコ語だし美味しそうだから文句ないでしょ!」と言い返したとかしてないとか。)

    ・・・うーむ、この説では、この区長さん、保守的どころか、超開明的な御仁ではないか。彼の言っていることはTDK(トルコ言語協会)のお題目そのまんまで、トルコ語学会的には完全に正しい。トルコ語純化計画、というのは国家の建前でもあるのだから、これは政府見解的であり、公務員の発言としてもかなり上出来だ!

    …とかなんとか言いつつ、私はだんだんこのお下品な論争自体が単なる都市伝説の類だったんじゃないか、と思い始めている。本人に聞いてみなくては、真相は分からない、というのが私の結論なわけだ。

    で、本題に入ると、この有名な(?)区長のいらっしゃるカドゥ・キョイは、オスマン時代はこう表記されていたはずだ。
    ﻘﺎﻀﻰ(あれ?何故か反転する;)

    ま、つまりkadikoy の「d」が、単なる普通の「d」じゃなくて、「z」のよーなアラビア語特有の音なのだ。
    今でも、カドゥキョイ桟橋にあるアラビア文字表記の看板を見ると、ちゃんとそうなっている。
    オスマン語のいやらしいところは発音すると同じ音なのに「アラビア語の正書法」に基づき文字をいろいろ書き分けるところである(日本語の「お」と「を」みたいなもの)。こうなると、「zevk」などという単語も、案外難しくてなかなか書けない。
    で、このkazikoyのkaziとは、昔の「裁判官」という意味なのだが、「法官村」というのも変な名前…まてよ、この街こそ、昔のカルケドン会議が行われた場所なのだから、なにか関係が?などと考えると興味は尽きないのだった。。。モノローグになってきたので、この辺で終了。

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