トゥルキスタン夜話

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2006.11.26 Sunday

地の奥深く猫に手を伸ばし

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    私は美しいものを愛する。
    誰だってそうだ、と言われるかも知れないが、私の嗜好は殆ど狂的だ。幼稚園のとき、美人の先生から「美しくない・25歳以上の」先生に変わっただけで「もう幼稚園に行かない」とむずかっていた。遠足で箱根彫刻の森美術館に行ったときは「あまりに醜い彫刻が立ち並ぶので」パニックをおこし、「ここから出たい!うちに帰る!」と泣き出した。(私は美術に結構詳しく学芸員の資格も持っているが、ヘンリー・ムーアとかニキ・ド・サンファールが死ぬほど嫌いだ。日本人が大好きな印象派も駄目だ。泣き叫ぶ私の前を訪日中のレーガン大統領が横切った)小学校から高校まで私の親友は常に「クラスで一番」(できれば学年で一番)美しい少女だった。それこそ一緒に歩くと、誰もが「なんて綺麗な子なの?!」と驚愕するくらいの美しさだ。一切の妥協はなかった。(私は芸能人になるような人間が美しいとは思わない。確かに芸能界に属する人は一般社会より美的レベルが高いことは認めるが、本当に綺麗な子はそんなところにはいない。あと「芸能人的な美人」を好かないことの理由のひとつに「彼らは自分の美に十分すぎるほど気付いている」というのがある。自意識は美を台無しにする。私は「自分の美しさに微塵も気付かない無心の美」が好きなのだ。)
    余りの傲慢に呆れられるだろうが、私は昔は「余り可愛くない子」から声をかけられても生返事しかしなかったくらいなのだ。私は孤独を愛し、そして美しいものをのみ、愛していた。どうせ「美しくない」者は私の友人にはなれないのだから、だったら最初から声をかけられても困る、というわけだ。(ちなみに私は男性美というものを認めないので男は最初から相手にもしていない)

    この耽美主義はオスカー・ワイルドとか、ガクト(笑)に影響されたものではない。私の美人好きの理由は明白で、母が美人だったからである。そして私はちっとも母とは似ていない。私は醜く性格も悪い父になにもかもそっくりなのだ。父は頭は良く、舌先三寸で他人に自分を慕わせることの出来る人物で、お人よしの美しい母は、絶えず周囲を傷つけずにはいられない自己中心的な醜い男との結婚生活で、散々苛められ暴力をふるわれ苦労させられていた。本来母は東京生まれのおしゃれな人で(某出版社で働いていた)、父は貧乏人あがりの田舎者。元はといえば「お嬢様と奉公人」のような関係だったはずで、どう考えても不釣合いな夫婦なのだが、劣っているはずの父が美しい母を支配し、暴虐の限りをつくして君臨しているのが私の家庭の日常なのであった。よって私の中では早くから「美は善であり、醜悪さは悪である」という図式が固定し、誰に非難されようがこの嗜好を改めることなどできないのである。
    「自分が母に少しも似ていない」というのは悪を意味し、これは私にとって殆どトラウマに近い。だが、私は父がそうであるように実は「その気になれば」交際術に長けた人間で、誰もが好む気の利いた会話のすべをも持ち合わせており、必ず望みの少女を自分の「いつも一緒に居るお友達」にしてしまうことができた。ちなみに美人の原型がそもそも母であるからにして、私は別にこの「美しい者」と理解しあいたいわけでも、ましてや性的関係を持ちたいわけでもない。単に、一緒にいたい、のである。

    しかし大学に入って私は呆然とした。私の大学は容姿に恵まれず、いかにもモテなさそうな女が行くところで有名なのだが(笑)周りを見渡してみると本当に誰も美しくないのである!私は落胆したが、そろそろ自分の「美意識過剰」を矯正し、人間的に円満になるべきだろう、と反省し、周囲の人々にむやみに美を求めるのはやめようと考えたのである。(←あたりまえ!)

    で…私は猫を飼うことにした。(長い前置きだったw)

    それも、私が飼うからには並大抵の猫ではならない。最も美しく、最も高貴で、完璧な顔の猫でなくてはならなかった。些細な美的「ほころび」があれば、そこから野火が燃え広がるように私の憎悪ははじまってしまう。ペットを飼うからには責任が生じることを承知しているし、それには彼が死ぬまで愛されるに足る美貌の持ち主であることが絶対条件なのである。私は猫の本を調べまくり、「チンチラ・シルバー」こそが私の理想とする猫であると狙いを定めた。あの、モンプチという猫缶の宣伝に出ている奴だ。月並みな趣味といえばそうなのだが、この猫のなかで完璧に顔が整っている子は案外少ない。十分に眼が大きくなかったり、眼の下のラインが鼻の位置より下がっていたり、頬に変なふくらみが出たり、眼が金色だったり(私の猫の目はエメラルド・グリーンでなくてはならない)鼻の色が黒すぎたり(東雲のようなラベンダー色でなくては)、眼のふちに入るアイラインがまだらだったり、「シルバー」が濃すぎたり薄すぎたりするのだ。犬猫雑誌などで「我が家のアイドルです!」などと投稿されている猫など、殆どが醜い。「個性」などというのは私にとってはごまかしの言葉にすぎない(だから印象派絵画も嫌いなのだ。画家の主観でどう見えようが私の知ったことではない。ちなみに私は印象派出現当時の画壇と同じ侮蔑を持って「印象派」という言葉を使っている)。プラトンのイデア論ではないかが、純血種の猫というのにはすべて「イデア」がある。イデアそのもの、は無理でもそこに一番近い猫をこそ、私は飼わねばならなかった。探し回った結果私が下した結論は、結局「血統のいいものほど完璧に近い」ということだった(殺伐w)。かくて、曽祖父・祖父とチャンピオンの猫、「chypre of alexandrite(シプレ・オヴ・アレクサンドライト)」が私のところへやってきた。アレクサンドライトというのは光線によって緑から紫に色の変わる宝石で、私は海外に居たりして彼と離れ離れのときは、彼の眼とほぼ同じ大きさのこの宝石をいつも中指につけていた。彼の眼は翡翠色で、闇のなかでは蛍の光のようになるものの、決して紫になったりはしなかったのだが。

    彼と出会って、私は自分の美意識が完全に満たされる、という至福を味わった。本当に完璧に美しい猫で、世の中のあらゆることに批判的な私ですら全くケチのつけようがないのだった。さらに(本来どうでもいいことだが)性格も完璧だった。去勢などせずとも大人しく、変な癖もひとつもなく、人をひっかいたり噛んだことも一度もなく、周囲の雑種など相手にもせず(勿論私は犬にせよ猫にせよ雑種は嫌いだ。純血種でも醜いやつはさらに嫌いだけど。)、朝晩7時きっかりに同じ餌を食う。まるでよく出来た機械のようで、生涯にわたって何一つ悪いことをしなかったのである!(Mの言ではないが、彼がした悪いこと、それは私を残して死んだことだけだ。)「猫じゃらし」をとってきてやってもじゃれついたりもせず、玩具や蝉や蟷螂を見せても、常に「つん」と超然としていた。まさに皇帝のように気位の高い、遊び心のない猫だった。(往々にして高貴な者は不器用でぎこちないものである。)「この猫は愛嬌がなくてつまらない」と皆が言ったが、私が求めているのは「外見」である。それに、愛嬌はなかったわけではない。「ねえねえ。」と言って背中を「とんとん」と叩くと、振り向いて「ん??」と人間そっくりの声でいうのが可愛かった。高いところから飛び降り着地したときに思わず「あん!」といった。愛称として「ぷぷ」と付けたので、電気釜や携帯のボタンを「プ!プ!」と操作すると、後ろから近づいてきて「にゃー(はーい)?」と間違って返事をした。(君を呼んだんじゃないよ、と言うと、納得いかない様子だった。)わきの下やおなかを掻いてやると自分が舐めているものと勘違いし、ざらざらした痛い舌で私の手を一生懸命舐めはじめるのも可愛かった。餌がほしいときは二本足で立って前足をテーブルにかけ交互にてんてん叩くという芸当をした。他のねこのように自分で扉を開けたりすることができず、出入りしたいときは爪で優しく音を立てて「知らせ」、あくまで人間に出してもらうのを辛抱強く待った。身体に悪いのであまりあげたりしなかったが、彼はその容貌に相応しくフランスから買ってきたばかりのカマンベールやブリー・ド・モーやロックフォール、メゾン・ド・ショコラやジャン・ポール・エヴァンのトリュフ、アイスクリーム、シェ・シマのバターケーキといった「いかにも」西洋人のようで、高級なものが皆好きだった。またたびやキャット・ニップには酔いやすく、昔キャット・ニップをつめた小さな枕を作ってあげたら、素直に人間のようにそれを頭の下に敷いて寝た。皆がテレビに注目していると、自分のことを見てもらいたがってわざと画面を隠すようにテレビの前に座った。鼻が短いペルシャ猫らしく、熟睡すると「ぷうぷう」と小さくいびきをかいた。泣き声は甘く「ねちねち」していた。「おいで」と呼んでもなかなか素直に来ず、こっちがじりじりする頃になってのうのうとやってきた。私は夜中におなかがすくとスイート・コーンを一缶食べる癖があるのだが、彼は缶詰を開ける音に反応し、いつのまにか寝床から出てきて寄ってくると「ひとりで、ずるい。」という顔をした。ほかの野良猫を家に入れると別人のような逆鱗を見せ追い払った。私は毎日彼を思いつきで別の名前で呼んだ、あかちゃん、ぷーにゃん、どんどん、ふわふわちゃん、ほにゃらほにゃら、るんるんちゃん、ちいさいちゃん…

    で、それより何より、彼は完璧に美しかった。
    彼のお陰で、私はもう「美少女」だけに友人を限定するのをやめ、気楽に人付き合いができるようになったといっても過言ではない。どうせ家に帰れば、最高の美少年が待っているのだから、社会生活では普通に「性格重視」で友を選び、心地よい交遊を楽しもう、という気にもなったのである。

    ところが、ほどなく私は海外に行かねばならなくなった。彼は日本で売っているある特定銘柄の猫缶しか食べない。ウズベキスタンではまず手に入らない缶詰だ。私は現地で売っているという乾燥エサでも食べるよう訓練を始めたが、彼は怒って四日間断食をして抵抗し、衰弱してしまった。ついに私のほうが根負けし、泣く泣く実家に預けることにした。

    ウズベキスタンで、私は段々苦しくなってきた。酸欠状態の金魚のように「美」に飢えはじめるのである。私は「醜い人間」だけに囲まれて口をぱくぱくさせながら、自分自身を飾り立てることと、ウズベク語の本を翻訳しようとしたり(結局やり通せず…)文法書を書いたりすることで日常をやり過ごしていた。そして、私はある日「まあまあ可愛い顔をした」友達から誘われて「タシュケント在住女性の集会」とやらに出席する。世界各国から来て様々な理由でこの町に住むことになった外国人女性の集りで、会場はバングラディッシュ大使の余り立派とは言えない公邸であった。

    (話はそれるがそこで私はスゴイ印度人と会った。なんせ第一声が「My house is big!」というものだったのだ!驚いて「はい?」と聞き返したら、彼女は舌打ちをして「私の家はデカい!」と繰り返した。その後も形容詞を紹介するための超単純英語構文のような口調で「私の夫は金持ちだ!」「私の息子は賢い!」ということばかり言っている。私は困って近くで所在なさげにしていた日本人女性を捕まえ、無理やり「ついでにご紹介いたしますわ、この方は○○さんです…○○さん、この方はインドからいらしたそうです」などと紹介し、逃げようとした。パーティで変な客に捕まったら、この手を使うに限る。するとインド人は「私は最高カーストに属している!貴方は?」と彼女に聞いてきたのだ。○○さんは早口のインド人英語と彼女の個性的過ぎる会話術に慣れなかったため、すっかり誤解し、「私の夫はイトーチュウに属していますの。」と、とんちんかんな返事をした。インド人は彼女に「イトーチュウとは何か?上から何番目のカーストか?」と聞き募る。○○さんは「えっと、イトーチュウというのはショーシャで、ショーシャというのは日本独特の仲介業で、まあ簡単に言えば…」「早くおっしゃい、イトーチュウは最高カーストに属する私と口をきくことが許される階級か?」「え、なんですの?タシュケントに来てもう三年になります。」…あたしはくすくす笑いながら、後ずさりしてその場を去ったのは言うまでもない。)

    そこで私は庭に降り注ぐ春の雪の中で舞う、美しい幻影を見た。典雅な鳥の舞。鶴か?と思ったらそうでない。それは孔雀だったのだ。それはまるで狩野派の金屏風の中の孔雀が、紙ふぶきが落ちてくる舞台で生き生きと踊りだしたかのようだった。私は、こんなに美しい生き物は見た事がない!、と思い、その場で「私も孔雀を飼おう」と決めた。

    タシュケントにはテジコフカ(今は場所を移動したがまだ続いている)という日曜蚤の市というものがあり、それは動物バザールも内包していた。私は「ねずみ御殿」から早速引っ越すと(あんな不潔な家で孔雀を迎えるわけにはいかない!)、初夏の暑い日、テジコフカに行った。ラッキーなことに孔雀はすぐ見つかった。売り手の男は「結婚式かい?」と訊いてきた。なんとこの孔雀は食用で、金持ちが宴会するときなどに派手に飾り付けられて食卓に置かれるという。日本で言えば「伊勢海老」のようなものだったのである。私は不機嫌に「食べるもんですか。飼うのよ。」と言い捨て、言い値の75ドルを払ってダンボールに無造作に詰め込まれた雄の孔雀を家に連れ帰った。孔雀は暑さに(タシュケントは六月でも40度近くになったりもする)、舌を出し「はあはあ」していた。私が憧れていたより、「マヌケ」な姿で、ちょっとガッカリしたが、水を飲ませ、巨大な檻に入れると(本来大家の犬がいたところだ。)優雅な足取りで素直に入っていき、この上なく気高く座った。その生まれながらの躾のよさと、自らの美しさに感嘆する周囲にかまいつけない超然とした態度は「ぷぷ」と似ていなくもなかった。「ぷぷ」も初めて我が家に来たその日から落ち着きはらっていたものだ。乾燥トウモロコシなどのエサをあげると必要以上に激しくつついて食べた。でも性格は本来臆病で、あまり人には慣れず、少しでもいやな事があると「首を太くして(猫は尻尾を太くするが)」すたすたと逃げてしまうのだった。私は中のほうの翼を片方切って、彼を飛べないようにした。

    その日から私の日常は輝きだした。「ぷぷ」が伊東美咲だとしたら、私の孔雀は夜会服を着たモニカ・ベルッチのように美しいのだ。モニカ・ベルッチと結婚できたら、誰でも(特に最初は?)有頂天になるだろう。私はこの美しい生き物といつも一緒にいることができ、孔雀は一言も余計な口を聞かず、ただただ私のつまらぬ生活に優雅に介入し、気まぐれにその豪奢な羽を扇のように広げる。幸い台所はタイル張りだったので、私は孔雀と台所で過ごし、野菜クズなどが出るとそのまま孔雀にあげていた。にんじんの皮やメロンの種などを孔雀は器用に嘴で受けてそのまま食べるのだった。台所に!孔雀が!居るのである!それだけで、どんなくだらない日常も夢の色彩を帯びて虹色に輝く。孔雀の食べ物の嗜好は案外庶民的でラーメンからチーズまで何でも食べ、啼き声は「ばあほう!」という粗暴な大声でおよそ彼に似つかわしくないものだったが、私は多分、「ぷぷ」以上に彼を熱愛した。彼は「ぷぷ」よりも余計に魔術的で美しかったからである。私はその艶やかな色彩を誇る羽が、ウズベキスタンの苛烈な太陽光線に反射し、空気を震わせるようにしてあたりを支配するのを何よりも愛した。その美しさは凄まじく、圧倒的で、長く見ていると眼が痛くなるほどなのだ。

    その年の暮れのことである。師走のパーティーシーズンで、私は髪のセットや衣装選びや式典準備に忙しく、あまり彼を省みる暇がなかった。実は彼は寒さに弱っていたのだが、私は最初にみたのが「雪の中の孔雀」だったこともあり、孔雀は寒さに強いのだろう、と勝手に信じていた。最後の日々、孔雀は弱って冬の陽だまりに寂しく座っていた。その姿は日本の動物園で見るのと余り変わらぬ、凡庸な観賞用の鳥でしかなく、「また、夏が来ないかな…」と思いながら、私は自分自身が装うことに没頭し、絹のドレスが汚れぬよう通りすがりに少し彼を撫でて「元気?」と訊いてやるだけだった。元気じゃないよ、寒いよ!と彼は訴えなかったので、私にはその体調不良が分からなかった。さらに痛恨なことに「糞の掃除」を他人に任せていたので(私は美しいものしか見たくなかった)、彼がずっと下痢をしていたことに気付かなかったのである。孔雀は常に清潔な大理石の床の檻のなかに、美しく鎮座していた。

    そして、彼は私がネイリストを家に呼びマニキュアとペティキュアをしてもらっているほんの3時間くらいの間に死んでしまった。奇しくも、私は「孔雀の羽ような爪にして」と注文し、素晴らしい作品が出来上がったところだった。ネイルが終わって、玄関脇の使っていなかったトイレに入れていた孔雀を見てみると、もう彼は断末魔の苦痛に喘いでいた。その日の朝、私は横に渡した丸太の止まり木から彼が落ちたのを見て、さすがに「脚の力が弱っているのかな?」と気がつき、抱いてみると以前より随分軽くなった気がしたので、慌てて家に入れて看病らしきものをしていたのである。本当は極端に臆病者の孔雀は「僕は死ぬ!ああ、怖い!怖い!」と暴れた。「お願いだから、死なないで!死なないで!」と絶叫したが、もうなにもかも遅かった。涙のなかで、その極彩色が無駄に!無駄に美しく踊って滲み、痙攣し、そして動かなくなった。私はしばらく彼に覆いかぶさって「気付いてあげられず、悪かった。あたしが馬鹿でした。」と泣いて詫びた。

    しかし数時間後、立ち上がった私のしたことは、我ながらおぞましい。私は執事(実はロシア小説に出てくるような『何でも屋』の使用人。名誉だけ与えておだてて月給はかなり抑えていた。勿論顔は悪くない。)を呼びつけ、「この孔雀を剥製にする。ついては今夜じゅうに剥製屋を調べてほしい。見つからなければ博物館や動物園にもあたってみろ」と命じたのであった。

    私の考えでは、孔雀の「形」がある限り、彼はまだ死んではいないのだ。私にとっての彼の価値はその容姿にあり、命はないものの「形」はそのままのこっているのだから。少しも失っていないわ、彼は存在しつづけるし、もう離れなくて済むし、永遠に一緒なの、と私はその考えに固執した。

    剥製は1週間で出来上がり、私の元に届けられた・・・そして私は自分の誤謬を悟ることになる。それはもう私のあの美しい孔雀ではなかった!剥製は醜かった。滑稽ですらあった。彼の体をそのまま使っているだけに、まるで生前の彼の美しさを侮辱しているようにも見えた。特に最悪なのはその眼で、あの琥珀色の丸い愛らしい眼ではなく(眠くなると下から膜がでてきて閉じるのだ。私はよくプールに潜水して日光浴する彼に気付かれずに近づき水中から彼の寝顔を観察した)気味の悪い爬虫類のような濁った眼に変わっていた(ロシア人の剥製屋は「今、目ン玉がこれしかなくてさ〜。すまんなあ。」と言い訳した。)仕上がりにいくら不満でも、もはや台座を付けられた剥製を地中に埋めることは憚られた。仕方なく、私はこの悪趣味な剥製を世界中あちこちに持ち歩くことになったのである。(動物の剥製が飾られた家なんて本当に気持ちが悪い。私自身もそう思う。しかし、もう作ってしまったものはどうしようもないではないか!)

    それでも私はこの剥製を「可愛がった」。首飾りをかけてやり、日光浴をさせてやり、撫でてやったが、もう孔雀は永遠に失われた、ことには気付いていた。美はそれを内側から照らす命の炎がなければ輝かない。失われていないのは、「ぷぷ」だけだ、まだ「ぷぷ」が居る、「ぷぷ」がいるから大丈夫、と思って生きてきたのに、私は先日この猫をも失った。呆然、とはこのことである。私は仕事でトルコに行っていて、またもや猫を実家に預けていた。下劣な父は私の猫であるからという理由で「ぷぷ」の嫌がることをわざとする。それも「可愛がっているふり」をして、陰で苛めるのだ。「ぷぷ」は心臓が悪いので、ストレスをかけるのは禁物なのに。勿論母には「あの男には決して触らせるな」と注意しておくが、結局のところ母は父に逆らえない。帰ってくると「ぷぷ」は後ろ足が麻痺していて、涎を垂らしながら激痛に耐えかねて啼いていた。私は1年ぶりくらいに父の部屋に行き「病院に連れて行かねばならない。準備をするからお母さんを呼んできて。」と声をかけた(私はもう思春期以来父とは滅多に口を利かない。)父は猫をいい加減に眺めやると「なんともないじゃないか、大騒ぎするな!俺に八つ当たりか?」と怒鳴った。心臓病(心筋肥大)の老猫が血栓を詰まらせ後肢を麻痺させたら、もう、おしまいだ。これを「なんともない」と言い、放置していた悪意と無神経に私は眩暈がした。「もう頼まない。お前が死ねばいいのに。」と言い残すと私は病院に向かった。多分、死んでしまう、と分かっていた。待合室で母はのんきに「病院に来たんだから、ついでに爪も切ってもらったらどう?脚、動かないなら丁度いいわよねえ?」と言った。私は人前でこの馬鹿女を殴り倒したくなったが、爪を手の平に食い込ませ、自分でも可笑しいほど震えて耐えた。

    今回「ぷぷ」が死んだとき、その死体はとても綺麗だったけれども(寝姿のぬいぐるみのようだった)、賢明にも私はもうコレを冷凍しようとか剥製にしようとかは考えなかった。一晩一緒に過ごしてから、裏庭の桜の大木の下に深い深い穴を掘って埋めた。一晩たっても「ぷぷ」は可愛くて、トルコに行く直前私が洗ってやったときのシャンプーのいい香りがまだ残っていて、少し身体を堅くして眠っているようだったので、埋めてしまうのは辛かった。私も墓穴に一緒に入り生き埋めにされたかったくらいだ。鼻のあの、暁の海のような色がチアノーゼで真っ黒になっているのだけが生きている時との違いで、静かに丸くなっており、呼吸困難に陥った最後の苦しみの残滓は微塵もなく、優美で安らかだった。埋めてから次の日もその次の日も土に手を突っ込んで「ぷぷ」を探した。辛うじて指先が泥交じりになった毛皮に触れた。11月の表土は思った以上に清潔でゲジゲジなどの気味の悪い虫も居ず、彼はいい匂いのする腐葉土のベッドで冬眠しているかのようだった。この季節に死んだのも私の美意識に完全に適う。でも、もう掘り返す勇気はない。万が一、彼が美しくなくなっていたら、私は彼を愛せないのだから。私は彼を見ようとはせず、枯葉散る桜の樹の下で柔らかな毛皮をじっと撫で続けた。

    12年ぶりに、この醜い世界にまた私は放り出されてしまった。「そもそも皆大嫌いだ。」と再び私は宣言した。もう我慢ならない。ぷぷが居ないのに、耐えられるはずがない。
    周りの者は「きっと天国に行く」とか「そこでまた会える」とか「魂はいつも一緒」とかタワゴトを吐いて私を慰めようとした。
    私はかっとして言い返した。「何が分かる。あいつに魂などあるものか、あいつが考えていたことといったら『飯が食いたい』ということと、『風呂は嫌いだ』ということだけではないか?あいつは外見が全てだった。あの目はもう閉じられて、身体は硬直している、そしてあとはもう腐るだけだ。そのうち臭い体液が口や肛門から流れ出し、蛆が沸き、肉という肉は微生物に食い尽くされるだろう。あいつは永遠に失われ、二度と!二度と再び私と会うことなどなく、冥福も昇天も天国もなにもない。」
    母は「あなた、偉かったわね。よく毎回、あの子の病気に気付いてあげてたね。お母さんたち、何もわからなくてごめんなさい。」と泣き崩れた。その髪は真っ白で、いや、少しだけ黒い毛が混じり、私が愛した猫の毛並みによく似ている。次はこの人か、と思うと私は彼女を許すほかはなかった。

    来年、桜が咲くのを私は待っている。この桜はソメイヨシノではなく山桜で、殆ど純白だけど春霞のなかでは銀色がかって見えるのだ。「ぷぷ」は天使や桜の精にはならない。「ぷぷ」は腐って桜の根がそれを養分として吸い、そして真っ白な花びらとなって私に降り注ぐ。

    コメント

    少しは気持ちの整理がつきましたか?

    私が、もし愛猫を失ったとしたら
    (過去にも何度も死には遭遇しているけど、
    今の愛猫は特別なのです)
    多分、どんな慰めの言葉もいたわりも
    心に刃になって突き刺さると思うので聞きたくないのですが・・・

    メールでぶぶちゃんが亡くなった事はお聞きしましたが
    私の猫と同じ持病で亡くなったとは思いませんでした。
    だから尚更、
    何もかける言葉が見つからないのに
    コメントせずにはいられませんでした。

    来年の桜は、さぞ綺麗でしょうね。
    2006/12/08 9:19 PM by ROUGE
    コメントありがとうござます。
    こんなに長くて背景暗くて字が小さくて、内容的にも攻撃的な、あらゆる面において「人気ブログの鉄則」に反するような記事を読んでわざわざコメントつけてくださるなんて・・・ルージュさんて・・・勇気ありますね(笑)?
    素手で怒っているコブラの頭を撫でる人って感じw?よほど包容力のある「大人」でらっしゃるのか、単に「直情径行」でらっしゃるのか分からないのですが。

    気持ちの整理は・・・全然つきません。何時間も土に手を突っ込むのをやめられず凍傷にでもなりそうなので、最近やっと大理石で蓋をしたのですが、今度はそこから離れられず、冷たい石の表面を撫でてるだけの毎日です。

    精神的にも12年前の暗黒時代に戻ってしまい、目にするもの全て何もかも馬鹿で醜くみえてしょうがありません(笑)自分では、だいぶ性格丸くなったな〜と思ってたのですが、単に「富と権力(大げさに言えば。私の望みは実は微々たるものです)」を手に入れるため、「猫を被ってた」だけみたいです。

    しかしこのまま世の中と和解しないままでは、単に有害無益な廃人ですので、暫くしたら、また新たな「美」猫を探すことにしました。なんだか薄情な話ですが、いくら考えてもそれ以外解決法がありません。

    現在は正直、人様の猫のお話を聞くのも辛いのですが、また新しい猫を飼ったら、ルージュさんの猫のお話も拝見したいと存じます。

    お気遣い頂き、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
    2006/12/09 6:13 PM by 蜜月
    【地理ンス様より2010/05/22 12:26 AMに頂いたコメントです】


    かなり前の記事へのコメント失礼します。
    つい先日ペルシア猫のチンチラを買い、他の猫ブログなどを漁っていたらここに行き着きました。しかしこの記事のチンチラはすさまじいですね・・・モンプチのモデル猫にそっくりで、しかもこんなに聡明とは・・・亡くなっているのが惜しいです。見たかったです・・・
    ここで言うのは何ですが、実は私もチンチラシルバー(ちょいシェーデッドですが、)は勿論、自分の猫が非常に美しいと思っているのです。彼女に勝る顔は今までウェブで見た写真で一枚も有りませんでした。モンプチ猫、これは捨てられなくて切り取っていますが、とはまた別のタイプの美形ですね。(母に言わせれば色気満点とのこと)目は無論、緑です。まだ一ヶ月半なのに、トイレは一発で覚え、同じ場所で寝、名前を呼んだら結構来ますし、掃除機最強かけてもそのままじっとしてます。賢くて美しい猫は本当に有り難いものですね。
    今夜は共感出来る文章をありがとうございます。特に、・・・勿論私は犬にせよ猫にせよ雑種は嫌いだ。純血種でも醜いやつはさらに嫌いだけど。(引用恐れ入ります)には激しく賛同です。・・・初めて同意見の方に出会いました。
    そして私も彼女を剥製で保存したりはしません。動かないモノ、つまりぬいぐるみになりますから。私はぬいぐるみを、いや目のあるものを立体化する製作者を憎悪します。彼らは愛らしい顔にしておきながら、実はその運命が、無知な学生のカバンに吊るされ、排気ガスなぞに当たり汚れ朽ち果て焼却される運命だと、知っているのか否かです。
    蜜月様のぷぷ君には複雑な想いです、うちのチンチラ、ツヌタちゃんは天寿を全うするよう、大切に育てます!!留学先のインドにも連れて行こう!!(で、出来るかな)

    以上、本当にすいません。私的な駄文を載せたこと、どうかお許しください。ご気分害されたら、消去願います。返信は結構です。
    2011/02/18 3:17 PM by 地理ンス

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