トゥルキスタン夜話

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2007.02.22 Thursday

萌えない眼鏡

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    前回何の因果か「Mの妹について書く!」と予告したせいで筆が止まってしまったのは、よく考えたら、この人のエピソードを書けば書くほど、「私はいかにMの妹が嫌いか」を表現することになってしまうからだ。
    Mの妹、グルグル眼鏡のM´(アラビア語のvezinがMと同じ。vezinというのは、tesekkurとtesekkulのように単語の構造が同じこと)はホントーに私とウマがあわなかった。
    だいたい、私は自分が「好きな人」の家族やその周囲の人間を愛したことがない。
    気の合う友人の姉妹は嫌いだし、恋人の親は憎悪しかしないし(恋人は帝王切開で生まれた人じゃないとやだ、とか思っていた。ある種異常な潔癖。)、懐いた人間の配偶者なんか顔を見るのも嫌だ。
    好きな人の飼っているペットすら嫌なくらいだ。(何故かちっとも可愛くない小動物を飼っている事が多い!捨てちまえ。)
    友達の友達、というのとも絶対に気が合わない。
    気難しい私の「好きな人」など本当に貴重なのだから、その周辺に「もうひとり好きな人」が存在する可能性などなきに等しいのだ。
    「好きな人」は、確率的にバラけていてしかるべきで、金鉱じゃあるまいし、ある人の周囲に好きな人が固まっているということはまずない。

    でも、なるべく感情を交えず、ざっとこの人の輪郭を描いてみると・・・、
    とにかくMの妹、というのはウズベキスタンには珍しい女性心理学者なのである。
    彼女は「ジャーナリスト心理学」とか「犯罪心理学」とかかなり面白い分野を専門にしているため、よくテレビにひっぱりだされている。
    なにか犯罪や、心理学的な背景のある出来事が起きたときに「これは心理学では○×現象としてよくしられる、一種の自罰代償行為でございまして、広くは…」などと解説してくれるのである。
    以前彼女が出ている番組を全部まとめた「ビデオ」なるものを「薔薇子」叔母さんの家で、見てみたが、総じて発言内容も香山リカよりは胡散臭くない、と思う。

    (薔薇子叔母さんというのは、Mの親戚。毒舌家。ケチなだけあって小金もち。ビデオデッキを持っているので、ビデオを見たい時はこの叔母さんの家に行く。得意技は『きのこ狩り』の話を長々とすること。ロシア人は皆キノコ狩りが大好きだ。しかもよく森で道に迷ったり、毒きのこ食って死んだりするので、珍体験はつきない。でも叔母さんはウズベキ語が下手でロシア語でしゃべりたがるので、ロシア語が出来ない私にとってはこの長話を聞くのが苦痛でたまらない。Mは「この人が退屈がるから、ウズベキ語でしゃべってあげて」と言ってくれるが、話が白熱すると必ずロシア語になってしまう。)

    こう書いただけでもいかにも面白そうな人物なのだが、(中央アジアのど真ん中で前人未踏の心理学の分野を極めている老嬢なんてとんでもなく興味をそそられるではないか!)これが…どっこい・・・(うーむ、なんて書こうかな。)

    つまりは本人こそ軽く「神経症?」、のようなわけなのである。
    一番優しい言い方をすると?「マッドサイエンティスト」的である。
    本人がどう自己分析するかは知らないが、ホントーに他人の心理というものを全く意に介さないヤツなのである。
    余りにも心理学を極めていると、もう、他人が何を感じるかに配慮すること自体がアホらしくなるのだろうか?
    とにかく、おどおどして控えめだが、他人の心に敏感なMとは似て非なる、鈍感かつ不敵な老嬢で、思い出すだけで心穏やかでなくなる。
    ま、その無神経な妹を憎む私がMを挟んでいかに火花を散らしたか、という話はかなりエグいのでやはり書くのは止めて置こう。
    (アレがいわゆる「私のお姉さまをとらないでっ!」状態というのだろうか・・・。)

    しかし、彼女の眼鏡については、どうしても書いておきたい。
    昔、旧東欧圏とかロシア圏とか行った人なら、誰でもそう思っただろうが、とにかく「東」の人間の格好は「変」であった。
    垢抜けてない、というか洗練されてないというだけではなく、「流行おくれのものがなにやら得体の知れない突然変異を経て現在に至っている」感があった。
    中でもとりわけ「冗談のように」変だったのは、眼鏡だ。
    かけている本人達はフツーのオバちゃんとかで、別に奇をてらっているわけでもなんでもないのだが、私の目にはとんでもない逸脱に見えた。
    とにかくデカイのである。60年代くらいに流行った「トンボ眼鏡」という奴が「進化」したものなのだろうか?
    顔の半分を隠すように馬鹿デカいフレームに、まさに牛乳瓶の底、のようなレンズが嵌っている。
    眼が小さく見えるどころか、眼があるのかないのかすら渦巻きの中に隠してしまうレンズである。

    今、日本では「眼鏡萌え」というのがよく取りざたされているが、その「萌え系眼鏡」の対極に位置するような眼鏡、それが「共産圏眼鏡」なのだった。
    あの共産圏眼鏡に「萌える」ことができたら真の眼鏡マニアである、と思う。
    Mの妹がかけていたのは、その典型的な「共産圏眼鏡」だった。
    それで平気でテレビにも出演しているし、まあ、その時にはそのほうがいかにも学者っぽくていいのかもしれなかったが、「これじゃあ縁遠いのもむべなるかな・・・」と私は内心思っていた。(イスラム圏では女性美を隠すためにベールを着けるとか言うが、色気を隠したいならむしろあのグルグル眼鏡をかけるべきである。すっごく萎えること間違いない。)
    で、私はそのグルグル眼鏡の妹と長い間「冷戦」を続けてきた。

    最後にMと会ったとき、私は使い捨てのコンタクトレンズを「ホラ、こんな便利なものがあるんだよ」と見せびらかしたら、なぜか妹・M’が興味を示した。
    その時はもう「共産圏眼鏡」をかけていなかったのだが、レンズは十分厚くまだまだ「目指せ東大一直線」な感じであった。
    そして彼女はふいに「私もそれ、使ってみたい」と言って眼鏡を外したのである。
    するとなんと、信じられないくらい美しい大きな眼が!
    大きいばかりか、猛禽類のようなきりりとした鋭さを持ち合わせ、とても綺麗な鳶色の眼である。
    こんな美しい眼を、あの牛乳瓶レンズはブラックホールのように渦巻きの中に吸い込んでいたのだ。
    実はこんな素敵な顔をしているのに、この薄暗い20ワットの裸電球の下、あんなに酷い度数の眼鏡が必要になるほど勉強して、結婚もせずに薄ら寒い大学で働いてるんだな、と思うとなんだかちょっと悲しい。
    私は一瞬心が揺らいだが(眼鏡を外さなかったら一生この人を可哀想とは思わなかったはずのにw)、次の瞬間「あ〜!どーも見覚えがあると思ったら、アンタが今かけてたの、あたしがMにあげた眼鏡じゃないの?!なんでアンタがかけているのよ!?」とやってしまった。
    妹も「姉さんが私にくれたのよ。一旦あげたんだからアンタには関係ないでしょ。」と言い返す。
    「アンタの手に渡ると知ってたら、最初からあげなかったわよ!ちょっとM!勝手に何でも妹にあげるのやめてよ!あたしは先生に使って欲しいの(コイツに使われるのは嫌なの)!」「いいじゃないの。M’のが似合うわ。」「もう私の度数でレンズつくっちゃったもの。残念でした。」「キー!!!」…

    …とにかく、小姑M’と私は仲が悪い、というお話でした。

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