トゥルキスタン夜話

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2008.06.26 Thursday

愛なき世界

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    このブログの密かなモチーフは恐らくMとの関係だったのだが、つくづくうんざりすることがあり、なんだか書く気力も失ってしまっていた。(根本敬先生のディープコリアネタを本人にチクった日本人がいたよーに、ウズベキスタンでMらしき人物を探し当て、このブログの内容を話して聞かせる馬鹿も皆無とは言い切れないし)
    ああ、何故に私の好きな人間はいつも私を裏切るのだろう。
    成就する愛の形がないせいか?そうなのか?だったら、何を捨てろというのでしょう。私はあなたに愛されるようになるまで、暗い部屋で独りでうずくまっていろとでも?

    ここのところ某ドラマを見ては涙が止まらなかった。
    私としては名前を出すのもはばかられるような、くだらない学芸会的ドラマだ。(しつこいようだが、ホントーにくだらんドラマで案の定最終回なんか最悪だった。)
    「花つみ日記」とか誰もが唸る名作ならともかく、こういうものをみて「すら」泣いていると、なんだか本当に自分の「終わり」は近いんじゃないか、と思う。私は死ぬんじゃないかと思う。
    涙は重く、あまりに重く、このぬるい嘘八百な生活は近々破綻するのではないか、という予感が脳裏を掠め、ますますいても立ってもいられない。
     私が堕落したのは、青春の三大挫折(笑)というものがあったからで、それはフツーに言えば「1.病に倒れ」「2.愛に破れ」「3.職にあぶれた」のだった。哲学っぽくいえば、それは「1.肉体を犯され、2.精神を壊され、3.自立と尊厳を失った」過程であり、なんつーか、やはり不幸なのではないか、と自分では思っている。1については前にうっかり書いてしまった。しかしそれだけでは中途半端なので(病気になったからやさぐれている、だけでは片付けられない)少しだけ2について語りたくなったわけなのだ。
    誰と比べて、どーこーというわけではないが、とりわけ2.自分の愛する者に愛されたことがない、というのはやはり不幸と言わずしてなんであろう。そういう人は思いのほか沢山居るんだろうが、悲しいかな、私もそのうちの一人なわけで、そして私はそのことを乗り越えられずにいる。こんなに時間が経っているというのに、それを想起させるものがあれば身も世もなく泣けてしょうがない、というのはやはりコレがまーいわゆる私のトラウマのひとつ、なのだろう。
     
    嗚呼、いみじくも上野樹里(←ぎゃー!何見ていたか、ばればれ)は言ったのだ。
    「告白したって、しょうがないよ」と。(ココ、号泣するトコです)
    そう、しょうがないものはしょうがないんです!
    えーっとねえ。同性愛がおおっぴらになるとか、差別されないとか、そういう方向に世の中が向ってるのとは別問題として、しょうがないもんはしょうがないのである!
    万葉集にも『我思わぬ人を思うは大寺の餓鬼の後に額づくがごと』と詠われている(現代語訳:自分を好きにならない人を愛するなんてガーゴイル像に礼拝するくらい無意味なことであるよなあ。)とおり、性的指向の違う人に恋をしてもいかんともしがたい、というのは何時の世でも厳然たる真理であると私は思う。(私の最も好きな漫画は案の定『日出処の天子』ですw)
     じゃあ、性的指向の同じ人を好きになればいいじゃん、と言うのは至極当然な意見である。 
    少し前、教育テレビで同性愛を真面目に取り上げる番組があり、そのなかで某レズビアン府議会議員も、「ノンケに恋する期(彼女も絶望したらしい)」から「ビアン同士でくっつく期」に移行してとてもハッピーになった、というよーなことを言っていた。
     だが私はそれにも失敗している。今度は「性的指向が同じ」だからといってそのなかから「愛せる人」を見つけることができなかった、のである。当然ハッピーにもならなかった。相手を傷つけ、自分は酷く消耗しただけだった。
    そして私は、諦めてしまった。そこで潔く孤独を引き受けるか、というとそこまで潔癖にもなれなかった。これをして「死んだ」ともいえるだろう。
    でも、実は「絶え間なく死んでいる」からこそ、死ねないのである。
     昔から心に引っかかっていた言葉に「絶望とは死に至る病だ」というものがあるが、これは「絶望すると死んじゃうよ」という単純な意味ではなく、絶望とは死に至るまでの自己食尽そのもの、死ぬに死ねない無間地獄である、という意味だったと思う(なんせ大昔に読んだのでウロ覚えだ。本気で気になる方はキルケゴールの本ちゃんと読むべし)そういうわけで簡単に自殺という決着すらつけられない。
     私は毎日恐るべき絶望を生きていて、・・・不幸である。

     しかし・・・
    今日、通っている病院でまーなんというか「病人同士」が集まる会合があった。私もそれに好奇心から出席したのであるが、それがまた・・・凄まじいのである。
    なにやら宗教がかっていて、目を瞑らされ、病院側の主催者が「癒しの」絵本を読んだりなんかすると、周囲から一斉に鼻水をすする音がきこえてくる。私はまた微弱地震でも起きていて、天井から落ちるホコリにアレルギーの人々が反応しているのか?!と本気で考えたのだが、、、なんと目を開けてみると私以外殆ど全員の女が泣いていたのである。(内容は擬人化された『病原菌』が、私がアナタを選んだのは貴方がソレに耐えうる強い人だから、と語るよーな本。ふざけんなっ!てかこんな駄本でいい大人が泣くな!)
     それから、ひとりひとりが「自分について語る時間」になった。出席者は全員三十歳以上の女性なのだが、各々打ちのめされた風情で自らの病状を語って、それこそ自分の身の上話に「号泣」している。私は不幸なの!こんなにも不幸なの!辛くて辛くて余裕がないんです!と全身で叫んでいる。
     聞いているうちに私はいたたまれなくなってきた。5cmくらいの小人になって寝たきり老人のケツとオムツの間に挟まれてでもいるかのよーな気分になり、耐えがたい閉塞感と湿度と悪臭に吐き気がした。
     私の前の人が悲惨な体験を語るうち、涙で言葉が出なくなり、もらい泣きして皆が泣き崩れ、ついには司会者に猫なで声で「もうどうぞお座りください。」と言われ、私の番がきた。(スピーチの順番は一番最後だった)

    私は立ち上がると、涙に濡れた優しい空気を滅茶苦茶にするべく(『ここではなんでも辛いことを打ち明けてくださっていいんですよ』だと?じゃあなんでも言ってやろう)、にこにこと語り出した。「私はいかに幸福か。いかにステキな生活を送っているか。毎日がいかに楽しいか」と!素晴らしい家族に恵まれ、知的な職業につき、楽しく買い物をし、美味しくてカラダにいいモノものばかり食べ、優雅に暮らして居る、と。曰く「えっと、やはり快適なグッズを揃えるというのは大事だと思うんですね。自分が快適だと思えるもの、美しいと思えるものに囲まれていると、自然に心が安らぎます。金銭的に余裕がない方以外は、もっと住環境やファッションや食べ物のレベルアップに目を向けてみるべきじゃないでしょうか?心や体の問題をいくらほじくったってどうしようもありません。でもいいモノってヒトを幸せにします。病人もまたしかりです。否、病人だからこそうんと自分を甘やかして生きていくべきだと思います。だから私は辛いだなんて思ったことはありません。なんでもわがままを通してきましたから、フツーのひと以上に楽なんです。幸い、嫌なことは何一つしなくてすむ環境ですし」

     さっきまで泣いていた女達が泣くのも忘れ、呆然という感じで私を見、その中の幾人かがだんだん憎悪を滾らせていく中(敏感な奴には私の悪意が伝わらないはずがない)、私は場違いな「えびちゃん(もどき)スマイル」で語り続け、「なんか今にも死にそうでらっしゃる皆さんには申し訳ないんですけどぉ、わたしは本当に今が充実していて楽しくてしょうがないんです。死ぬまでずーっとこのままお気楽に生きてみせます」と念を押して自慢話を終えた。そのあとの患者同士の懇親会は「用事がありますので」と断り、ひらりと抜けて出てきた。(なのに、バスが40分も来なくて結局懇親会参加組と病院の出口で顔を合わすハメに。「おいおい、あんたそんなにリッチならタクシーで帰れよ」って皆内心思っただろーな・・・w)
     
    で・・・家に帰ると自己嫌悪に煩悶している。
    いい年こいて、ババアが今更人前でプライドも外聞もなく泣いてんじゃねーよ、と私は思っていた。私は十七歳だった、あのときお気楽だったのはお前らのほうだっただろーが、と思っていた。どいつもこいつも私を愛さなかった。畢竟お前らの眼中にあったのは男だけだっただろーが、なにを今更女同士の連帯だよ、ふざけるな。醜く老いて太っておまけに病気持ちで男に相手にされなくなってから、すり寄ったって遅いんだよ。お前らが「辛いんです!耐えられません!」とわめいている、その針のムシロに私はもう何年立ち尽くしていると思う?お前らにはもう手に入らない「普通の」甘い生活を体現するのは私の勝手だ。それを見せ付けられた奴らが絶望を深めるならばそうする甲斐はあろうというもの。・・・(ああ、なんて!なんて幼稚なんだろう。)
    世間への私の偽装は完璧で、もう何があっても崩れないだろう。最後の最後まで死力を尽くして欺いてやる。この堕落を貫いてやる。


     何故か「川田亜子さん」のことが脳裏をよぎる。引き合いに出すのもおこがましいが、私は彼女が何故死んだのかよくわかる気がする。

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