トゥルキスタン夜話

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2008.09.01 Monday

先生のペット♪きゅんきゅんきゅん

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    M一族の家業は「児童心理学者」である。
    妹を始め心理学者が多いのだが、特に児童心理学を専門にする人が多く、Mもその一人なのだ。
    ところが、老嬢であるMには当然子供が居ない。
    彼女にとって「子供」というのは教え子の生徒、だけだった。
    まあ、それも「二十四の瞳」っぽくて可愛い話なのだが、彼女としては子供が居ないのに児童心理学を専門としていることに、余人の計り知れないコンプレックスがあったらしい。
    子持ちの学者から「所詮、机上の空論でしょ」と言われたらひとたまりもないからだ。

    そうじゃなくても、Mは勿論無類の子供好きである。と、いうかウズベキスタン全体が「子宝礼賛社会(とくに男の子。『息子持ち(オグルル)』になって初めて大人は一人前、みたいなところがある)」であり「子供好き」というのはしごく当然のことなのだ。
    一人でマンション買って、過労気味に働いて、男は要らないけど「子供は欲しい」とわめいてはいるが、そういう生活形態自体が一番「子供のいる生活」から自分を遠ざけてしまう、ということに気づかない「初老」の老嬢、それがMである。(日本に住んでいたなら、たぶん否応ナシに気づいたはずだが、彼女は中央アジアで先鋭的負け犬生活を送っているので、気づかないのである。あーゆー国で先進国でも最先端の憂悶をたったひとりで抱え込んでいる、という孤独が私を妙に惹きつけてやまない)
     
    40歳を過ぎ、母親を亡くすと、Mの絶望と焦りはますます度をこしてきた。
    「死んでしまいたい」と「どんな手段を使ってでも子供が欲しい」という妄執の間で揺れ動き、情緒不安定もいいところで、孔雀のようなウンコしか出ないほど(どんなだよ、って?猫レベルってことよ)食は細り、顔面が全体的にしわしわと縮んだせいで、鷲鼻だけが嘴のように尖っている。もはや愛らしい老嬢というより「姑獲鳥」という名の妖怪のようだ。
    そして「あとはもう死ぬしかない」ところまで追い詰められたMは「孤児院巡り」という行動にでるようになった。

    (ちなみに現在はどうだか知らないが、私が住んでいた当時ウズベキスタンの孤児院とは、本当に酷いところだったらしい。視察した日本人の駐在員夫人が糞尿まみれで転がっているやせ細った赤ちゃんの話なんかをしてくれたことがある。その人は在住日本人女性の集まりで募金を呼びかけていたわけだが、その場に居た40人ほどのなかで私だけが募金をしなかった。「外国の女性、特に先進国のセレブなんかだとね、チャリティーっていうのは常識なんですわよ。日本人ってそういう点がまだまだ遅れているのね〜」とかじーっと顔を覗き込まれながら皮肉っぽく諭されたけど、断じてしなかった。「私が金が欲しくてたまらなかったとき、彼らは私に金をくれなかったじゃないか」「物価格差のおかげで優雅にやってるけど、あなたも私も本国帰ればセレブでもなんでもない。欧米様に追従してる金があったらもっと頻繁に白髪染めしろよ」「彼らが私になにか良い事をしたら、見返りとして金を渡さなくもないが、そういう事をする可能性は殆どゼロじゃないか」等々、また幼稚なことを私は考えていたものだ。)

    しかし、「里子を受け入れたい」というMの申し入れはそんな極貧状態の孤児院からも断られ続けるのである。「私は幼児教育の専門家だし、絶対命懸けで可愛がるのに!理由がわからない!」とMはキレていたが、KKに聞いてみたところ、「休職中の高齢独身女性には里親の資格ないだろうなあ…」と現実的な返事が返ってきた。そう、里親にせよ、そもそも結婚していなければ「子供はできない」わけである。里親候補は「結婚していて十分な収入がありながら子供ができない夫婦」に優先されるのだ。しかも「お願いだから子供を!」とすがりつくMは物狂おしいを通り越して、明らかに不審者っぽく孤児院としても「こんな女に子供を渡してはヤバイ」という感じだったのだろうと思う。書類審査で男の子を貰い受けることがほぼ決まり、名前までつけて引き取りに行ったのに、その場で断られたこともあったそうな。母親を亡くしたMは、その男の子まであたかも「死産」でもしたかのような錯覚に陥ったのか、名前を呼んでは泣き暮らしていた。現実的なKKはそんなMに貴方は少し疲れているみたいだからカウンセリングに行くといい、などと勧めていたが、「私自身が心理学者なのに!」とMは反発し、帰らぬ母とまだ見ぬ子供を求めて、懊悩の淵を彷徨うのだった。

    私はイライラした。(嗚呼、何故これっぽっちも共感できないクセに、愚かさに苛立った挙句、下手に他人に関わってしまうのか)

    「そんなにガキが欲しけりゃ…あたしが産んで、先生にあげましょうか?」
    その瞬間、Mの鳶色の瞳がメガネの奥で貪婪に光り、私はたじろいだ。この女、本当に「手段を選ばない」つもりなのか…。
    しかし、諦め顔でMは言った。
    「ダメよ、そんなの。私にくれても、あなたきっといつかはその子をとりあげようとするもの」
    …心配どころはソコなのか?ばかばかしい、最初から要らないのに、ましてや途中から要るわけがないじゃないか、ウズベキスタンで育った子供なんか。
    「要らない。あげるったら、本当にあげるよ。オトコオンナどっちが欲しいの?」
    「男の子に決まっているわ」
    「ふーん、了解。それまで必ず生きていてね」

    そして…ある日手紙とともに写真が送られてくる。
    「妹が出産したので女の子を引き取りました。名前はナシーバです。妹はタシュケントの大学で働いているので、私が3年間の育児休暇をとり、サイラムに戻ってこの子の育児をしています。大きな家で二人きりで住んでいるの。今が一番可愛い時期です」

    …おい。あんたの言うことを真に受けた私はどうなるのだ!?


    NOT:いや、それでも「この世界」にいたたまれなくなった時、誰もが持つ死という異次元への穴、以外に私には中央アジアに貫通する秘密の通路があるということが、大きな慰めになっている。遥か彼方のMの孤独に思念を飛ばせば(夜空を溶かす勢いで、液化した金属の、灼熱の流星のように想いよ、飛べ)身体を消滅させずになんとか耐えられる気がする。

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