トゥルキスタン夜話

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2006.03.05 Sunday

ぱん「と」ろん、と言ってます?

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    日本人が間違えやすいトルコ語、といっても初級〜上級者までいろいろある。
    言うまでもないが、単語を間違える、というのは外国人の最大のチャームポイントなので、どんどん間違えるべきである。
    外国人というのは、テレビの外タレがそうであるように、どうせ、ボケ的なポジションを要求されることが多いわけで、上級者になるにしたがってそういう「おいしい」芸ができなくなるのは、実は悲しむべきことなのだ。
     (ただ、いつまでもボケに徹していては言語は上達しない。どちらかといえば、「ツッコミ」タイプの人間のほうが、言語は上手くなる、と思う。例えば、ボビーオロゴンよりピーター・バラカンのほうが日本語が上手い。バラカン氏は、より頭がよくて志が高いだけかもしれないが、よく見ていると彼は突っ込み型の会話をする人である。そして「ツッコミ」タイプの流暢にしゃべる外国人は、あまりカワユクない。)

    ところで、上級者でも殆ど間違っている単語、というのがある。
    トルコ在住20年の「奥様」だろうが、外交官だろうが考古学者だろうが大学教授だろうが、皆そろいもそろって間違ってくれるので、この単語を言ってもらうと、私は密かに嬉しい。

    それは「パンタロン(ズボン)」という単語だ。
    日本人は誰もが「パンタロン」と発音する。
    トルコ語のパンタロンは実はパン「ト」ロンが正しい。

    あと、「ジェントルマン(紳士)」
    上級者ほど、英語式に「tl」を一気に発音するが、本来ジェンテ「ィ」ルメン。
    はっきり挿入されている「i」の音を抜いてしまう。

    または微妙なところだが、「ケチャップ」
    トルコ人のように「ket+cap」と発音する人には会ったことがない。
    みな、日本語式、もしくは英語式の「ケチャップ」の発音だ。

    ここまででお分かりいただけたように、これらには共通点がある。
    全てトルコ語と日本語に流入した同じ起源をもつ外来語であり、それぞれの国で違う発音に変化した言葉だ。
    トルコ語の単語であれば、全く違う単語を一から覚えるので間違えないが、ケチャップやパンタロンなどという馴染みある単語は、「ああ、それ、日本語にもある奴だ」と受け流してしまう、誰かに指摘されでもしない限り自己流の発音になってしまうのである。

    最後のケチャップは「細かいわい。何が違うの!」と思われるかも知れないが、このケチャップが上手くいえない人はトルコ語で「マクドナルド」とか「カルフール(フランスのスーパー。日本ではコケてるがトルコでは大当たり)」と発音するのが下手なはずだ。
    法則が見えてないからである。

    日本語は単語が全て母音で終わる、という奇妙な言語なのだが、トルコ語はむしろ、子音で終わるほうを好む言語だ。
    (この意味で、トルコ語は日本語よりも、多分韓国語により近いのだと思われる)
    だから音節が子音で終わると、彼らは「気持ちいい」のである。
    綴りにしてしまうと同じだが、彼らが気持ちよく発音できるように音節が変わっている単語、というのは案外多くて、それがびみょーな発音に現れるのである。

    トルコ語に流入した外来語はトルコ人の言語感覚に適合した形でどんどん姿を変えるし、日本語のように法則がはっきりしていないので(日本語はとりあえず全ての子音の後に母音をつけていけばいい)結構難しい。
    さらには、辞書に載ってないような新しい単語、ブランドの名などの固有名詞ともなると、耳だけが頼りだ。
    突っ込み型のトルコ語学習者は気をつけなければならない課題だと思う。
    ただ、最近はトルコ人のなかでも「外国訛り」を自慢する人も多く、原語をそのまま発音することがカッコイイ!というような風潮もあるので、ま、あまり気にしなくてもいいことかもしれない。
    私は…面白半分に厳しくチェックしていますが(笑)

    21:20 | トルコ語 | - | trackbacks(0) | - | - |
    2006.02.23 Thursday

    いくさぶねのふないたをはききよめろってば!

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      日本は敗戦国だ。
      「もはや戦後ではない」、などということはとっくの昔に言われてきたが、敗戦国という不名誉な称号は「次の戦争」に勝たない限りついて回る。
      だいたい戦勝国というのは(フランスや韓国含め)、自分達が勝った戦争を相当しつこく覚えている。
      トルコにいたっては、勿論独立戦争の栄光を85年に渡っていい意味で「引きずって」いるし、さらにはギリシャとのサッカーの試合で「1453年コンスタンチノープル陥落ザマーミロけけけ!」みたいな巨大垂れ幕を作ってギリシャ人を怒らせるくらいのことを平気でやってのける。そんな昔のことを、しつこーく、覚えているわけである。(想像して欲しい。韓国とのサッカーの試合で「1910年日韓併合ザマーミロ、けけけ!WELOVE豊臣秀吉」みたいな巨大垂れ幕を日本人サポーターが掲げたりしたら、どんな国際問題になることか!我々がいかにヤサぐれようと、こういう悪フザケができないのは、紳士だからではない。敗者であるがゆえに、勝者の顔色を伺うのが身に染み付いた性癖となっているからだ。)
      ロシアにおいてもしつこく戦勝記念日に花を送りあう。
      ウズベキ人(旧ソヴィエト)はのんきだから、私にも「戦勝記念日おめでとう!」などと言ってカーネーションなんかを捧げてくれたりするのだが、「てか、我々は敵国同士だったんですが・・・。」とぼそっと言うと、「えええ?敵はドイツだよ?」と、心底驚かれたりする。
      そもそも、日本が枢軸国側だということ自体知らなかったりするのだ…。

      正直、私は世界中の「前回の戦争で連合国側にいた国々」が、うらやましくてしょうがない。
      勝者の余裕、伸びやかさ、栄光、誇り、勇気、、、どれをとっても肯定的なものばかり目に付く。
      どうやら、戦争に勝つ、というのは、ワールドカップで優勝したあげく、オリンピックで金メダル100個獲得!さらには火星に有人飛行して最もいい場所に日の丸を突き刺してくる、以上に価値あることらしいのだ。
      そして彼らは、いくら噛んでも飽きない美味しいガム、のような勝利を、くちゃくちゃと盛大な音をたてて噛みしめては「美味しいね、美味しいね」と言い合っている。
      まことにおめでたい。
      日本も結構戦艦ヤマトとか原爆とかを「思い出す」ことは多いが、あのじめじめした苦い回顧や、被虐的なカタルシスと、勝利の反芻とは根本的に大違いだ。
      (ま、うらやましい反面、妬ましくて腹が立つ、ともいえよう。好んでこの国に生まれたわけでもないのに、最初から負け犬、というのは理不尽でもある。)
      繰り返すが、我々は次の戦争に勝たない限り、永遠に敗戦国である。

      それでは日本は何故負けたのか?
      私の知能でこの問題に回答するのは不可能に等しいので、ここではその答えを、ひとつのトンデモ仮説で大胆にごまかしてしまおうと思う。

      「それは日本語(和語)をないがしろにしたからだ。」

      (↑こんなこと書くのは、右翼っぽくもあり、最近流行りの「日本語で飯食う人々」のような発言で、我ながら虫唾が走るが、ま、話半分に聞いてほしい。)
      さらにもう一発。トルコはなぜ戦勝国であるか?

      「それはトルコ語を大事にしたからだ。」

      先にトルコ語のほうから説明しよう。近代化にあたってトルコがなした改革のひとつに言語改革というのがある。
      現在のトルコ語はラテン文字で(ドイツ語とチェコ語の混じったような形式)書かれているが、トルコ共和国以前、オスマン帝国時代は「オスマン語」が公用語であり、文字はアラビア文字によって書き記されていた。
      だからといって、オスマン語のことを「要はアラビア文字でトルコ語を書いてるだけ!(オスマン語を覚えたての奴がよくやる…)」などと舐めてかかったら大間違い。
      オスマン語とは、とてつもない人工語なのである。
      膨大なアラビア語(セム・ハム語族)とペルシャ語(印欧語族)の語彙をペルシャ語の助詞でさかんに張り合わせ、辛うじてトルコ語(アルタイ語族)の形式におさめる、と言った感じの、複雑怪奇な、そう、言ってみれば現代の日本語のような折衷的なシロモノだ。よってオスマン語をすらすらと読むにはこの3つの言語の基礎文法を理解し、3つの言語の単語量をモノにする必要がある。これは同時進行でフィンランド語と中国語とヘブライ語を勉強するくらい疲れる。
      また、(日本語ほどではないにせよ)同じ文字を書いて何通りも読み方がある、というのは日本語とオスマン語の他に例を見ぬ共通点で、どこをとっても、本当に難しい言葉なのだ。(難解なだけに装飾的で美しい言葉でもある)

      よって、この言語改革もまた、単純にオスマン語のアラビア文字表記をラテン文字(ローマ字)にしよう、などというものではない。
      複雑怪奇な折衷語を、「共和国トルコ語」という全く別のものに変革する運動なのだ。
      最も簡単に言えば、日本語の文語と同様、およそ日常の話し言葉とは乖離していたオスマン語で書くことをやめ、トルコの話し言葉(イスタンブールの上流階級の女性たちの言葉を手本としている。ひらがな文の基礎が平安女流文学にあるのと少し相通じるものがある。言葉の伝統はセレブ女が守る・・・のかもしれない。)でそのまま読み書きをする、というのがその基本方針である。
      そして、使う語彙に関しては、アラビア語、ペルシャ語を極力廃し、トルコ語にする。
      ここで簡単にトルコ語に「する」と言ってしまったが、もはや700年間もイスラム文化にどっぷり使っていたトルコ人が、当時使っていた言葉から、アラビア語とペルシャ語の語彙を抜いていく、というのは、殆ど日本語から漢語を抜く、ということに等しい。
      トルコ人もまた、あまりにも完璧にペルシャ語、アラビア語の借用語を自分のものしていたために、発音や意味が変わっているものも多く、大体通常のトルコ人にはどれがペルシャ語でどれがトルコ語なのか、判別すらロクにつかなかったくらいなのである。
      よって、彼らは壮絶な努力を払って「新生トルコ語」を構築したのだ。(その「壮絶な努力」の具体例に関してはまた別の機会に書きます)

      一方日本はどうだったか?
      近代日本は言語に関してトルコとは真逆を行った。
      近代、というのはどこの国でも飛躍的に語彙の総数が増えた時代でもある。
      言葉というのは基本的に「モノの名前」であるから、モノが増えるなら言葉が増えるのは理の当然だ。
      そしてその、増えた語彙は、日本では「中国語」なのである。
      福沢諭吉が発掘した「経済」に始まり「理念」「不動産」「領土」「人民」等々、全ては近代以降に増えた「中国語」の語彙である。

      正岡子規はこう言ったそうだ。
      「日本語はいかん。『いくさ船の船板を掃き清めよ!』などといっててはトロくさくてかなわん・・・やはりこれからは『軍艦の甲板を清掃せよ!』だな。」
      軍艦、甲板、清掃、は「中国語」である。(トルコ語で言えば単に「チンヂェ」である。)
      つまり日本人は「日本語はだめ。中国語ならいい」と考えていたのだ。
      トルコ人の目からすれば、「泥棒を自ら招き入れて喜んでいる人」と同じくらい「ありえない」話だろう。
      日本人がこれをなんと弁解しようと、日本の外側からみるならば、まさしくこれは、「自国語が外国語に侵食されるのを祝福していた」状態なのである。
      中国と戦おうという国が、「中国語はかっこいいし便利だから、どんどん使っちゃおう♪」、と考えているようでは、負けるに決まってると、言語改革をした当時のトルコ人なら絶対言ったはずだ。そんなことでは「言霊(コトダマ)」が怒るのだ!(これはトルコ人は言わない・・・)

      異論があることは分かっている。
      中国語ではなく漢字熟語で、それはもはや日本語だ、とか。
      日本語で複雑な概念を言い表すのは不可能に近いということは本居宣長の時代からすでに証明されている、等々。
      また、和製漢語はその後中国に逆輸入されたからエラいという意見もあろう。(当然のことながらトルコ人だって「トルコ製アラビア語単語」を作って逆輸出くらいしたことがある。それも彼らは19世紀でキッパリ終わりにした)

      しかし!トルコは自国語純化運動を敢行した。そして勝ったのだ。
      何度も強調するが、トルコ人にとっては、それはより簡単だったのでは?という考え方は間違っている。
      条件は日本と似たり寄ったりだし、さらにはイスラム教国のトルコにとって聖なる言葉であるアラビア語を排除する、というのはある意味、日本語から漢語を排除する以上に苦痛を伴ったはずだ。
      彼らは、不可能を可能にしたのだ。
      トルコ人は敢えて、かっこ悪さとトロくささに眼をつぶり、「いくさぶねのふないたをはききよめよ!」という方向に自国語を改変したのである。(そして勝った!)
      勿論、多くの作家、宗教家は「こんな珍妙な文章が書けるか!」と猛反対したが、にもかかわらず、彼らは強引にやり遂げたのだ。(そして勝ったのだ!!)

      トルコ語は日本語同様膠着語だから、同じように単語がタラタラと長い。
      洋楽(英語の歌)をトルコ語に訳して歌おうとすると、そのままではまず無理だ。(単語が長いので同じ意味を詰めようとすると同じ曲の長さに入らない。)
      ドライヤーのことを彼らは「sac kurutma makinesi髪を乾かす機械」というし、パソコンは「bilgi sayar(知ることを数えるもの)」国際会議のことを「uluslararasi bilgi soleni(国のあいだの知ることの宴)」とか言う。とにかく漢語(アラビア語)のシャープさに慣れていると、かなりメンドクサイし高級語彙として使うには微妙に変な感じだ。

      またトルコ人はとても親しんだはずの日常語すら、辞書は「ことばいれ」学校は「まなびば」学生は「まなぶ人」虹は「空の帯」など、いずれも新しい造語にバッサリ置き換えた。(でも本は「書いたもの」・・・としようとして大失敗に終わり、「書物(kitap・アラビア語)」に戻った。市役所(belediye・アラビア語)もそう。ま、失敗は無限に多いのだ。そこがまた面白い。)
      そして彼らは、ロクに「もやすもの(燃料)」も「いくさで着るもの(軍服)」ないのに「たたかいで飛ぶもの(戦闘機)」に乗って「いくさ(戦争)」をし、「なにものにもむすびつかないさま(独立)」を勝ち取ったのである。見たか!司馬遼太郎め。(←?)

      …やはり、トルコとトルコ語はすごい。並大抵のことで勝者にはなれない、ということ…か。

      追記:
      しかし英語は借用語だらけの言語だが英語の国は「超勝ち組」。
      ドイツは、どちらかといえばドイツ語を大事にしたが(ドイツ語の特徴はむしろ自国語のほうが高級語彙に適しているとされていることだ。これは最強!)「負け組」。
      ウズベキスタンは同じトルコ語系でありながらトルコ方式ではなく、日本方式で近代語彙増強をなしとげたが(外来語をロシア語でそのまま使うか、ペルシャ語に訳して取り入れる)一応「勝ち組」…。でも、そもそもソ連に入ってた時点で負けかも?

      23:27 | トルコ語 | - | trackbacks(0) | - | - |
      2006.02.21 Tuesday

      トルコ語と日本語は似ているのだろうか?

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        日本人はよく「トルコ語は日本語と似ている」と言うが、それは実はトルコ人も同じだ。
        あまり日本語を知らないトルコ人は必ず「日本語とトルコ語の類似性に感激する」という道を通っている、と思ったほうがいい。
        私自身勿論、最初の頃は「良い=iyi」「斜視=sasi」「耄碌=moruk」(全て意味と発音まで同じ)などという「ガセビア」を覚えては驚いていたクチなのであまりひとのことを馬鹿にできないのだが。しかも、いまだに「玉とtopって似てるな・・・」とかふと考えてしまうのだけど。

        トルコでは言語学など専門学部の教授でさえ、日本語の「来る」という動詞を言うだけで、最初のkしか一致していなくてもすぐに「それはgelmek(kelmak)と同源だ!」などと飛びついたりする。彼らはトルコ系言語間で単語を比べることになれており、それは発音と意味が一致すればほぼ間違いなく同源だったりするので、日本語にもついその癖を発揮してしまうのだろう。(と、好意的にとっておく。てか、だいたいトルコ人は万事ノリがいいので、すぐにひっかかってくれてるだけなのかも。)
        大学教授でこういう調子なわけだから、ましてや門外漢の人の「トルコ語≒日本語」説は論破不可能に強固である。
        しかも日本好き、を自認する、我々のお得意様のような人に限って、「いわおのごとき」この信念を抱いていることがおおくて厄介なのだ。
        正直、これをムキになって覆すのも大人げないとは思うのだが、残念ながら、もはや私は単純な単語比較できゃっきゃとはしゃぐのが許せない身体になってしまったらしい。
        ついつい「あー、だから斜視とか耄碌は中国語だし!morukは元はアルメニア語ぢゃないですか?」などと野暮な反論してしまう。

        トルコ人だけでなく、日本人もなかなかのものだ。
        なんといってもこういう「寝言」を本にしてしまう人たちが結構居るからだ。
        今は亡き泰流社の一連の本もアレだが、昔の某大使夫人が書いたとかゆー本など、本当に「とんでも」の白眉だった。
        たとえば、彼女はトルコ(ウズベキ)語の「kohne(古い)」と日本語の「古風なkohuuna」を平気で比較して「同じ!」と言い切ってしまう。
        ちなみにkohneという単語はぺルシャ語からの借用語で、日本語の古風は中国語からの借用語に日本語の「な」という接尾語がついたものであろう。この二つの単語を似てるとか同源とかいうのは、ペルシャ語と中国語はちょっと似てる・・・と言っているのと全く同じではないのか?
        そのほかにも「重大な(中国語)≒ciddi(アラビア語)」「同志(中国語)≒das(arkadasとかvatandasのdas)」「阿呆≒ahmak(アラビア語)」「はっきり≒hakli(アラビア語+トルコ語。てか意味が違いすぎる。)など、豊富な例が満載だ。
        こういうことをあたかも自分がノーベル賞級の発見をしたかのような無邪気なフロンティア精神でもって、渾身の努力で本にしてしまうのだ。私が大使夫人でありながらこんな本を間違っても出版してしまったとしたら・・・縄文村にでも住み着いてマタギのような格好をし「あたくし、恥かしうございます!」と泣きながら竪穴式住居に引きこもって余生を送ることだろう。

        他人にたいして不必要に辛口になってしまったので、自分もひとつボロを出しておこうと思う。
        私も実はトルコ語と日本語はある側面が似ている、と思っている。
        何が、というと、語彙の分布様態が、である。
        たとえば、おとうさん、おかあさん、あかちゃん、おねえさん、などという個々の単語はあっても、「家族」という単語は中国語からの借用語である。トルコ人はこうした縁戚関係を示す語彙が欧米の言語に比べて豊富なのを論文などでよく誇っているが(そしてそれはおそらく事実だが)、「家族aile」とか「親戚akraba」という概念的な言葉は実はアラビア語起源なのである。
        日本語には、そら、かみなり、いなずま、くも、つき、ひ、などときて、「気象」という単語がなく、それもトルコと同じ。
        はる、なつ、あき、ふゆ、はあって、「季節」はないのも。(トルコ語の春の古語ってなんだっけ?)
        すなわち自国語の語彙が具象語どまりで、高度な抽象概念を表す言葉は外国語起源の借用語に頼っているのだ。

        日本人はこの現象をして大抵、「日本語はいまだ未発達状態にある段階で大量の漢語の流入にさらされたせいで、自国語が具象語から抽象語へと発達するチャンスを逃してしまった。」という風に捉えていると思う。だが、トルコ人は勿論そんなことは考えていない(ソコが大違い)。彼らは自国語の未熟さを認めるということをするわけがない。
        だから、この話は多分トルコ人が居るところでは軽くタブーだ。

        私がトルコでやりたかった、論文のテーマにしたかったのは実はこのことだったのだが、とっくの昔に諦めてしまった。
        彼らはこの考えを歓迎しないことは眼にみえているし、受け入れるにしてもどーせ論点を不愉快そうにずらずらしてくれることだろうから(注1)
        (言語学をやってたりする人間のほうがむしろマズイ。)
        別にトルコに限らないが、その国のことを研究する場合、その国を喜ばせる方向で研究を行ったほうが、うまくいくし、摩擦が少ないということは常識なのだ。
        そして人は内なる軋轢を抱えた犬となり祖国に帰ってちょっと吼えたりする。わん。

        注1:もし、興味のある人はギュナイ・カラアーチの論文でも読んでみると雰囲気がつかめるかも。

        2006.02.19 Sunday

        語学は愛である。

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          国を愛する、ということはなんなのだろう、とよく考える。
          それも自分の祖国ではない国を。

          知り合いでヒュリエットという新聞の東京支局長だった人はよく「日本と接するには3段階ある。第一段階は愛と尊敬の蜜月時代。第二段階はアラばかりみえる憎悪の時代。第三段階は、ヤミクモに愛するでもなく憎むでもなく日本の等身大の姿を受け入れる時代」と、言う。

          日本人がトルコに関わるときも、結構、これと同様のルートを通るときが多いと思う。
          第一段階でとどまり続けることができる超人的な人(会社の休みを利用して年に1回トルコを旅している、というような人に多し)、とか、永遠の第二段階の人(適応不能を起こした駐在員とその妻とか。トルコでひどい眼にあったバックパッカーなどいろいろ。)もいる。

          トルコに関わって結構長く、さらに否応なしにこれからも関わることになるだろう私は、おそらく第三段階、に居るとおもわれるのだが…実は、受け入れる、というのは定義が難しい。私は長いことこの国に暮らしたのだが、私は自分の生活を楽しんだだけで、この国の「何か」を受け入れた、とは到底思えないからだ。私は、私の舞台装置としてのトルコを結構好きだったことは確かだが、主役はあくまで「自分」でしかないわけで、その舞台装置と関わろうとはあまりしなかった。彼らが何を感じ、何に重きを置き、どういう生活をしているかは分かっていたつもりだが、そのことにたいした興味はもてなかった。多分自分の価値観と近しいものをこの国の人間に感じなかった、のだと思う。

          経済学者のシュンペーターは「全てを理解するとは、全てを赦すことである」と言ったそうだ。美しい言葉だが、これは真理なのだろうか?私は、トルコの全てなど、赦してはいない。まず、あの国の人間に気を許していないし、これからも許さないと思う(気を許さずに仲良くするというのは、実は可能だ。そしてそれは素晴らしい、非の打ち所のない友情というものにみえなくもない)
           シュンペーターの言葉を基盤にしてしまうと、赦せないということは理解が生半可であるということになる。つまり「バカは不寛容」ということだ。そうすると、私はすなわち不寛容なバカに他ならない…。

          この不寛容なバカにはどこをとっても「トルコへの愛」はないのだろうか?

          それに対する私の答えが、トルコ語、である。語学こそが愛なのだ。
          「全てを赦す」ことができない私にとって、愛とは接吻でも抱擁でもなく、その国の人間と時を共に一緒にすごすことでもない。トルコという国に存在した、そのこと自体は必要に迫られてのことだから、「愛」のうちには入らない。それは緊縛された女が猥褻である(この世で一番猥褻なものは縛られて自由を奪われた女体である-サルトル-妙に引用ばかりしてるな…)、というような意味でトルコ人にとってはそそる事実かもしれないが、私からすれば、そんなことを愛ととられてはかえって困る。

          私にとっては、自発的に時間と金とを割いたトルコ語の勉強そのものが唯一の愛情表現なのだ。私の単語量、私の知識、私の翻訳と読書、それが私の愛である。言葉が愛だ、と言い切るだけあって、私は言葉の世界で充足しているから、世界のどこにいてももはやトルコが懐かしいなんて感じない。トルコ語の本さえ開けば、私は時空を飛び越えることができる。語学と私は相思相愛なのだ。私が払った努力に見合う楽しみをトルコ語は十分に私に与えてくれたから、私はこの言語とこの国に感謝と愛情を感じるのである。

          と、いうわけで、冷えた心を持つ私の唯一の愛情の証である、トルコ語についてのブログです。

          17:40 | トルコ語 | - | trackbacks(0) | - | - |

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