トゥルキスタン夜話

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2008.10.14 Tuesday

おバカトルコ

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    結局のところこういう未来であれば満足だったんかい・・・薄いな、私。と思わせるドラマ。それがLの世界で、ベタだと思いつつシェーン(キャサリン・メーニッヒ)の色気にぞくぞくしているわけなのだけど・・・、

    彼女ったら好きな映画が「ミッドナイト・エクスプレス」だというではありませんか!

    あ・・・あんな映画が好きなの???

    むか〜し、確か菊川怜がある映画を見て感動し芸能界に入りを決意した、という話をし、「その映画とは『ハスラー』です!」(『カクテル』だったかも・・・つくづくどうでもいいわ)と語っていたときにも大変な違和感をもったものだが、コレもそれ以上に唖然としてしまう話だ。

    だいたいからして、この映画、超バカトルコですよ、バカトルコ!(なつかし。何年ぶりだよ?)

    事情が分からない人のために説明すると、ミッドナイト・エクスプレスとはアメリカ人旅行者がトルコの監獄にブチこまれて悲惨な目にあう話なのである。とうぜん全トルコ国民はこの映画が大嫌いである。大嫌いというか、確か上映禁止とかじゃなかったかしら。日本人は「パール・ハーバーに感動した!」という人々が大勢いたりするし、ましてやこのレベルの「反日映画」が上映禁止になることなどまずないのだが、トルコ人はこーゆーことに激しくウルサイ。トルコに居たころ、ソニーの製品を買うと、(こともあろうに)この映画のDVDがついてくる!というキャンペーンをやったため、かる〜い日本製品不買運動も起きていたのを思いだす。

    私はトルコ人のこの手の狭量、というか洒落の通じないプライドの高さが嫌いだし、関係ないけど江頭2:50も好きなので、本来この映画のことを支持したい。どんな糞映画だろうが、意地でも支持したくてたまらないのだが、…やはりどうしてもデキない。それは夜郎自大なストーリーもさることながら、劇中にでてくる「乳」が最低だからである。長年トルコの刑務所で過ごした主人公がオカシくなって、面会に来た恋人に服を脱いで胸を見せてくれをねだるシーンに登場するのだが、その恋人の乳が…乳が…最低なのだ。そんなもん見たくもないわっ、とっととしまえしまえ!しまって縫いつけちまえ、とスクリーンに向って怒鳴りつけたくなるよーなシロモノ。「ロンパリ連山」と呼びたくなるよーな変なカタチといい、白茶けた乳首の色といい、なにもかも気に食わない。あの乳を思い出すだけでムカムカしてどんな美酒も不味くなってしまうほどだ(・・・ちょっと誇張だけど、とにかく今世紀に入ってから見た乳のなかでは一番嫌い。ちなみに、90年代に見た映画でのワーストはエマニュエル・ベアールだった。80年代に見た映画ならキム・ベイシンガー。)なのに主人公はその、幽霊のつけている三角巾をひっくりかえしたよーなしょーもない胸を見ながら麻原彰晃のように自慰をする…うう気持ち悪い…。
    まあ、蓼食う虫も好き好きってわけだが、このシーンに象徴されるように、主演男優の演技も容姿も「気持ち悪く」、主張することは全て上滑りして微塵も共感もできず(オマエみたいな屑白人、一生トルコの監獄で過ごすのがお似合いだ、としか思えん・・・)、当時ゴールデン・グローブ賞を総なめしたせいか、これが日本でも結構「いにしへの名作」扱いなのは到底解せない。


    で、シェーンこと、ケイト様・・・あなたはこの映画が好きなのね。
    あーあ、この方、トルコ女性にも結構ウケているのに、あんな映画が好きなことを公表しちまってるなんて。「ミッドナイト・エクスプレスが好きラブ」のたった一言で、地球上のあちこちに散らばる7000万人の全トルコ人を敵に回すのよ?あなたっておばかなの?おばかトルコ?


    NOT:元ネタはコレなんだけど…。
    Q:After mentioning you loved "the goonies", it made me realize we all have a couple of films that have meant a lot to us in our childhood, that we watched over and over. Is there a film that you consider perfect in many ways that you never get tired of rewatching? What's the film you always recommend ?
    Katherine:i think "midnight express" is damn near perfect, along with "cool hand luke". i think i have recently recommended "the texas chainsaw massacre". i loved the remake and i love the texture they used in the shots. this may sound crazy, but the sounds of the water dripping and the lighting were to me, so beautiful....

    やはりミッド・ナイトエクスプレスを「ほぼ完璧」な映画と褒めているよーだ。う〜ん、あれ以上に不愉快だった映画って「火星のカノン」と「ピノキオ√964」と「穴(ソーラ・バーチ主演)」くらいしか思い浮かばない・・・。どこが「ほぼ完璧」なの?!私の知る「ミッドナイト・エクスプレス」以外にもうひとつ別の映画があるのか?、と考え込んでしまいました…。他に好きな映画が「グーニーズ」「暴力脱獄」っていうのもあんまりだ。ま、外見と役柄だけでこんな感性の人にくらっとするほうも俗物そのものだけどさあ・・・(しくしく)


    NOT2:ちなみにあまり知られていないが「ミッドナイト・エクスプレス」の二匹目のどじょう的に「引き裂かれたパスポート」とかいう映画もある。こっちは主人公が女(主演リー・レミックよ!)で、やはりくだらない理由でトルコの監獄にブチこまれる話。ここで描かれるトルコ人女囚は色黒の遊牧民族って感じで(いわゆるチンゲネばっかし)、西洋人たるリー・レミックの「金髪」を珍しがって寄ってきたりする。(イスタンブル女の金髪率なんてヘルシンキより高いっつーに・・・殆どニセモノだけど)これも「ミッドナイト・エクスプレス」同様、なにが面白いのかサッパリ分からん映画だった。欧米人て、なんで「理不尽にも蛮族トルコ人に虐待される我々文明人」的なお話が大好物なんでしょう?やはりそもそもトルコに偏見があるとしか思えない。トルコに旅行して褒めちぎる日本人が多いのと対照的に、「トルコ最低」と評する欧米人旅行者って実際多い気がするし。

    2007.04.12 Thursday

    soccer sucker

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      サッカー

      2007.03.13 Tuesday

      17歳の残酷

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        「17歳のカルテ」という映画がある。
        私はその主人公に性格がそっくりらしい。
        ウィノナ・ライダーが余りに綺麗なので、指摘されるまで、別に自分を重ね合わせたことはなかったが、そういえば、学校の重要な行事で寝ていたり、進路を上手く決められなかったりするところが、ちょっと似ている。(私は小さい頃から進路を決めろ、と言われるとすぐ立ちすくむのだった。小学校三年生の終わりに「四年生になったらクラブに入ってください。」と言われ、死ぬほど嫌でふえ〜ん、と泣いていた。「何がそんなに嫌なの?ちっとも怖くないよ、楽しいよ」と言われるのだが、「未来を決めるのが」嫌なのである。)

        しかし、よく考えれば「ボーダー」な人に似ている、なんて恐ろしく不名誉な話である。
        (こんな奴↓、誰だって友達になりたくないでしょう。)
        Borderline Personality Disorder
        【診断基準】
        次の9つの基準のうち、5つ以上が当てはまります。
        (1) 愛情欲求が強いために、愛情対象が自分から去ろうとすると、
          異常なほどの努力や怒りをみせる。
        (2) 相手を理想化したかと思うと、こき下ろしてしまうといったように、
          人に対する評価が極端に揺れ動くので、対人関係が非常に不安定。
        (3) アイデンティティが混乱して、自己像がはっきりしない。(同一性障害)
        (4) 非常に衝動的で、喧嘩、発作的な過食、リストカット、衝動買いなどの浪費、
          覚醒剤などの薬物乱用、衝動的な性行為などがみられる。
        (5) 自殺行為、自傷行為や自殺を思わせるそぶり、脅しなどをくり返す。
        (6) 感情がきわめて不安定。
        (7) 絶えず虚無感にさいなまれている。
        (8) 不適切で激しい怒りを持ち、コントロールできない。そのため、
          物を壊したり、人を殴ったりといった激しい行動を起こす。
        (9) ストレスがあると、妄想的な考えや解離症状が生じることがある。

        ところで、実はこの映画の主人公達は17歳ではない。
        登場人物のうち、誰も17歳ではないのに、何故こんな邦題をつけたかというと、要は日本人にとって「17歳」が特別な年齢だからだろう。
        で、私はその17歳の時、まさに「17歳のカルテ」な世界にいた。
        (と、いうか私の経験こそ、真の「17歳のカルテ」というにふさわしく、映画の世界など甘ったるい絵空事な感じがするほどだ。)
        精神科ではないが、ある病気にかかり、入院していたのである。
        「これね〜。だいぶ進んでいるから、ちょっと入院ね。でも、コレ、治らないんだよ。一生モノだと思ってね」と医者は言った。
        ぐらっと診察室が揺れ、椅子ごと床にのめりこんでいくような感覚に襲われ、それ以来永遠に「世界」と決別してしまった。
        私の代わりに子供のように泣き出したのは母だ。
        私には流す涙もなく、「死ねよ。どいつもこいつも皆死ね。」と、この世の全てを呪っていた。

        正直、「病気」とか「病弱」というものに全く憧れがなかったか?といえば嘘になる。
        耽美主義ではあるからにして、勿論花影に青ざめて「こんこん」咳をしてはリネンの「手巾(ハンケチ)」に血を散らす美少女でありたかったものだ。
        しかし、実際に私がかかった病気は…もう最低最悪、としか表現しようがないものである。
        いかなる文学作品にも映画にもこの病気にかかった人間が登場することなどないから知名度も低い。
        あらゆる文学も歌劇も韻律も、この業病の醜悪さの前に尻尾をまいて逃げ出す、ような病気で、私にとってはペストとかエイズのほうが100倍マシに思えたくらいなものだった。
        (要は私は結構芝居がかった人間なのだろう。文学の題材になるような「意味深」なものがお好きなわけ。こんな無意味に惨めな「病」が世の中に存在し、それに罹患しているなんて、自分自身信じられない。)

        ところで私は長らく同じ病気になった人の「声」などというのを聞いたこともなかったが、ネットコミュニティの発達により7年ほど前、初めて自分以外の人々の声やら生の情報やらを手に入れることができた。
        「それは患者にしかわからない想像を絶する苦しみである」・・・と、ウィキペディアにすら、そう書いてあって、「ホレミロ。やはりそーだろーが。」と思った。
        (世の中に貴方より重病の人はいくらでもいるのに、何故にそんなに世をスネるの?!と聞かれたりしたが、不貞腐れるだけの理由はあるんだってば)
        この病気にかかった人に「まっとうに生きろ」などと言うのは、今更黒木香に復帰しろ、というようなものである(アレ、なんか違うな)。
        もうこの病気にかかったら最後、ホント死んだほうがいい。(心底、死んだほうがいいと思うから、病名は明かさない。コレを読んで本当に自殺して遺族に訴訟を起されても困る)
        治らない、っていうからにはもう、「この人生」は失敗だし、何をやろうと「コレ」にかかっている限りオシマイだ。
        患者は「この病原菌」が移動するための「手段」に過ぎない。病を乗せた箱舟だ。
        それ以外、何の意味もない、何の意味もないのだ。
        (昔から、この病原菌の戦略もホント謎だなー、と思っていた。ここまで患者を苦しめてしまったら、自殺する人は多いだろうし、そうなったら、その身体を乗っ取った病原菌も一緒に死ぬのである。じゃあ、一体何がしたかったんだ?!という話だ。要は寄生先の人間の精神力がないと、この病原菌も長くは生きていけないわけで、これはに菌とってもイチかバチかの勝負なのでは、と。でも最近になって、この病原菌がなにを意図しているか、分かってしまった。。。長くなりそうだからまた別に書く)

        話は戻るが、17歳の私が入院したのは、「国立立川病院」というところである。
        今ではもう建物ごと取り壊されているが、戦前は「立川陸軍病院」だったところで、それはそれはボロくて陰気な病院で、思い出すだに憂鬱になる。
        「17歳のカルテ」で主人公が「ここは他の病院に比べれば5ツ星ホテルよ!」といわれるシーンがあるが、それはホントで、嘘だと思えば、旧立川病院の大部屋に放りこまれてみればいいのだ。
        大部屋と言っても私が入っていたのは四人部屋。「怪我したヤンキー」「二十七歳くらいの妊婦」「病気のお婆さん」「私」というなんの脈絡もない取り合わせだった。
        互いに「感染しない」という共通項で同室になったのだろう。

        ここで、「怪我したヤンキー」に注目して欲しい。そう、ここは立川、ヤンキーのメッカであるからにして、若い女の子が入院、なんていうとまずは「バイクでコケたヤンキー」なのである。看護婦に「同い年の女の子が居るから、お友達になるといいわよ」と言われた相手というのがこの、いかにも「オキシフル」で脱色したよーな金髪女で、ま、当然、全く話が合わなかった。(今思えば、コイツが私にとっての「リサ」だったわけか…相棒に至るまでなんとも最低だ)
        奴の最初の質問は「ナニチュー?」(←中学生だと思っている)
        「…あなたがどうせ一生知らないだろう学校」と言ってやろうかと思ったが無視して本を読んでるフリをする。
        すると懲りずに「何読んでんのォ?」仕方なく「ゾラ。居酒屋。」と答えると「へ〜、つーかアンタ、酒飲めんの?」と驚いたりするよーな奴だ。
        あーやだ、なんでこんなバカ女と一緒の部屋に…、と私は「ぷい」っと布団に入ってしまった。
        コイツが特攻服でも着て「東京ヤンキーズ(笑)」のように金髪を逆立て「ルナシー(笑)」みたいな化粧でもしていれば、さすがの私もちょっとは下手に出るかもしれないが、いかんせん相手は包帯ミイラな状態である。
        どちらかと言えば私のほうが身動きが取れるので、露骨に見下してやることもできた。
        (ちなみに退院して同じ学校の隣の席の子に「居酒屋って面白いね。」といったら、「ナナのがいーよ。ナナも読みなよ」と薦めてくれた。誰が居酒屋ガイドブックと間違えるかっつーの。)
        その少女の所に見舞いに来るのはヤンキー男ばかりで、私のところに来るのはボーイッシュな女の子だけ。
        しかも「なぜか」見舞いが来るとカーテンを閉め切るっつーのが、いかにも怪しい。
        お互い「腐ってやがる、この糞ガキ」と内心思ってたはずである。

        で、どういうわけか、このヤンキーと妊婦(ほっこりしたお人よし)はとても仲がよくなり(当時は意外に思ったが今思えば当然だ。ヤンキーは案外子供好きで妊婦にも抵抗なく、処女性を尊ぶ文学少女は案外妊婦が大嫌いなものだ)、私はいつしかその二人から、無限大の距離をとられるようになっていた。
        見舞いに来た母親や友人を泣かしたり、看護婦や医者を口汚く面罵したりし、夜中に突然絶叫して起きたりする「大型新人」の登場にふたりは閉口していたものらしい。
        「マロニーちゃん」みたいな私が、ヤンキーにすら「怖がられる」なんて倒錯した話だが、私の当時の「相手の全人格、全人生を、全否定する勢い」たるや、現在の毒舌なんかと比較にならないくらい激しいもので、傍から聞いていても「聞き苦しい」どころの騒ぎじゃなかったと思う。
        「羊たちの沈黙」のレクター博士は一晩「言葉責め」をしただけで隣の独房の男を狂死させた、と書かれているが、私もそれに近い芸当ができたのだ。
        しかも、この若さで不治の病であるからには(多分、心の底で同情してしまうので)誰も私に言い返すことなど出来ない。
        私は巨大化したマリオのごとく(期間限定の)「無敵」状態で、触れるだけで、周囲の人全てがズタズタに傷つき、ボロボロに心を蝕まれていく。
        ヤンキーと妊婦は、私と二十四時間同室なだけに、トバッチリが来て夜通し「あー、折角お湯沸かしたのに、余っちゃった。ギプスの上からぶっかけてやろうか?肉が溶けて石膏の型通りに固まったら少しはマシな顔になるんじゃない?」とか「猿の胎児をみじん切りにしてユッケみたいに食う料理が昔の中国にあったような気がするな〜」などと言われ続けたらヤバイ、と思うのか(嘘だって。幾ら私でもここまでグロイことは言いません。もっと酷いことは言うけど)、私に直接文句は言えず、とりあえず腫れ物に触るような態度をとり、ふたりでなにやら「こしょこしょしている」のだった。
        ま、おふたりとも災難だったわけだ。
        (折角入院しているのに私の日々発散する殺気と怨念が、怪我にも胎教にも良いわけがないわな。今思えば可哀想すぎる…。でも、私は当時石原慎太郎やヒトラー並みのファシストだったから、年寄りも妊婦も怪我人も嫌いだった。弱者切捨て主義者で『若さと美貌』礼賛主義者なのに、自分自身が醜く弱い病人となり病院に放り込まれベッドに縛り付けられたから怒っているのである。)

        で、この間、病気のおばあちゃんだけは耳が悪いのか、常にぼ〜っとしてた。もう、殆どこの人について覚えて居ないが、ある日おばあちゃんの死んだ亭主は「モボ」(モダンボーイを昔はこう言った)で芸術家肌で「ちょんこまげ」を結っているよーな人だった、と唐突に語ったことだけは覚えている。「モボがちょんまげ結うわけないでしょ。嘘つき。」と言ったら、「ちょんこまげとちょんまげは違うんでございます。ちょんまげはここで(頭頂部を指し)、ちょんこまげはここ(うなじの辺りを指す)。」と諭した。要は長髪でそれを後頭部の低いところで結んでいたらしい。「うるさいな、ちょんこまげだろうが、ちょんまげだろうが、どうでもいいんだよ、死んだ人間の髪型なんか。ぐだぐだ言わないでくれる?」と私がキレたら(誰に対しても理不尽にすぐブチキレる)、寝たきりヤンキーが布団の中から「ちげーじゃんかよ。よく聞いてやんなよ」とか言って、ばあちゃんを擁護した。妊婦も「やだあ、面白いじゃない。ちょんこまげ、なんて言葉、初めて聞いたわ。じゃあ、江口洋介のアレも『ちょんこまげ』だったのね〜。おばあちゃん、もっと話して。」などとおだてる。私は「ふん、おめでたい奴らだな。勝手にやってろよ」と怒って点滴したまま売店にプリン(←コレだけが唯一の楽しみ)買いに行ってしまったのだが、今思えば、年寄りの話はもっとよく聞くべきだった。(最近祖母が死んだのでそう思うのだろう。私は祖母の話も全然聞かなかった。と、いうかあまりに訛っていて、長いこと言葉が通じなかったのである。海外に出る前、祖母の発した言葉で唯一分かったのは「公民館」という単語だけだった。自宅の周囲を案内してくれ「(あれが)公民館」と言った時のことである。ところが、何故かトルコ語圏に長いこと暮らして帰ってくると、祖母の言う事がスラスラわかるようになっていたのは驚いた。どうしてだかわからないが、「わかる」のだ。てか、いくら訛っているとはいえ、昔全く言葉が通じなかったというのが嘘みたいだった(でも本当なんだけど)。最後に会ったとき、祖母は息子の嫁である私の母が30年以上前に贈ったレースのブラウスを着ていた。口の周りに赤い湿疹ができていて『若い娘さんはお口に紅をつけなさるが、私は年寄りだからこんな変なところに紅をつけているんですよ。バアチャンバカデショ?』という意味のことを言った。冗談を言っているつもりだったのだろう。そう、実はこの人、案外繊細でユーモラスな人だったのだ。私自身「案外」ユーモラスな人間で、誰に似たんだかよく分からなかったが、多分この祖母に似たのだろう。顔もそっくりだった)

        年寄りといえば、もうひとり、「17歳のカルテ」にでてくるウィーピー・ゴールドバーグのような老看護婦がいた。
        同じようなガラガラ声でやることなすことがさつで、優しかった。
        私は彼女にも八つ当たりばかりしていたが(『がさつなんだよ!痛いから触るな、ばか』)、彼女は手馴れたもの、と言わんばかりに平然としていた。
        もう、60歳を過ぎていたので、2年くらいして定年になって居なくなってしまったが…あの病院関連で、もう一度会ってみたいのはこの人だけだ。
        このばーさんが「海に行け。空気がいいからな。潮風に当たればちったあ良くなるでよ」と言ったから今でもたまに海に行く。(当時は『なんて迷信深いばーさんだろう。人ごとだからっていい加減なことホザいて。たかが看護婦がでしゃばらないでよ。医学的根拠はなにさ!?』と反抗)
        実は、ばーさんの助言は医者のそれより正しかった、しかも海は海でも死海が一番良く利いた、とここに報告しておく。

        地下室の迷路もなく、冒険譚も脱走劇もなく、甘い歌声も自殺騒動もなく、ひたすら閉じ込められ、管に繋がれ、薬を投与され、治療を施され、私は入院生活を終えた。入った時はやせ細っていたが体重も30kg台に回復。

        久々に学校へ行くと私のトレードマークだった長い髪がベリーショートになっていたので、後ろのドアから教室に入ったとたんクラスの皆が振り向いて「えーーーーー?!」と叫んだのを覚えている。
        私は照れ笑いしながら「なんておめでたい奴ら。皆死ねばいいのに」と思っていた。



        NOT:ところで、私が思うに社会人に必要な知恵とは「どうやってボーダーを治すか・癒すか」ではなく、「どうやってボーダーな人間から受ける被害を最小限に食い止めるか」だ。
        ついでに教えてあげましょう。それはずばり、ボーダー気味な人には絶対に近づかないことである。もっといえば「自分にとって魅力的な人間には近づかないことである」
        ま、これに関してはいずれまた詳しく書くかもしれないけど、ここで一句。

        「ボーダーは遠くにありて思ふもの」

        (意訳:ボーダーライン・パーソナリティの人間はやたらと魅力的だったりするものだけど、遠くでこっそりブログ盗み見してるくらいが一番良い距離であることよなあ。)




        NOT2;
        恋人よ、あたしの恋人よ/どうして、あたしを捨ててしまうのですか。
        なぜあたしから遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないの。
        あたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。
        だがあなたは、聖所にいまし/このあたしの賛美を受ける人。
        あたしは原初より、あなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。
        助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
        あたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
        あたしを見る人は皆、あたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。
        「自分の男に頼んで救ってもらうがよい。男が君を愛すなら/助けてくれるだろう。」
        しかしあたしはあなたのために生まれ/あなたこそがそのふところに/あたしを安らかに守ってくれた人です。
        あたしは生まれた時から/あなたにゆだねられました。
        母の胎をでてからこのかた/あなたはあたしの神だった。
        あたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
        雄牛が群がってあたしを囲み/バシャンの猛牛があたしに迫る。
        餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてあたしに襲いかかる者がいる。
        あたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。
        口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはあたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
        犬どもがあたしを取り囲み/さいなむ者が群がってあたしを囲み/獅子のようにあたしの手足を砕く。
        骨が数えられる程になったあたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
        あたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。
        恋人よ、あなただけは/あたしを遠く離れないでください。あたしの力の神よ/今すぐにあたしを助けてください。
        あたしの魂を剣から救い出し/あたしの身を犬どもから救い出してください。
        獅子の口、雄牛の角からあたしを救い/あたしに答えてください。

        20:52 | トルコ | - | - | - | - |
        2007.02.23 Friday

        突撃!隣の晩御飯@イスタンブル編

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          あまり注目する人は居ないと思うが、よくテレビドラマなどで「今夜は○×大使館のパーティに出席するの〜」というフレーズが出てくることは多い。私も昔はそんなフレーズが「やたら」と使われていることに気付きもしなかったが、実は耳障りなほど結構しょっちゅう使われている。その人のセレブぶりと壮麗な人脈を表すのに使われる安易な記号的表現なんだと思う。日本敗戦時の映像に必ず「タエガタキヲタエ…」が流されるようなものだ。

          ところで、日本人は皆公務員が嫌いである。これはもう周知の事実であっていいと思う。
          ところが、あまり知られていないことだが、公務員は民間人が大嫌いである(事が多い)。
          日本人はのんきと言うかなんというか、自分達は公務員を嫌っているがこっちが金払ってやってるんだから、相手は自分達を嫌いなはずが無い、信じられないほど無能なだけだ、と思っていることが多いのだが、なんとなんと公務員は公務員以外の人々を憎悪しているのである。
          「俺達の税金で雇ってやってるのにロクに働きもしない無能ドモめ!」と思っている民間人からしたら呆れる話だが、公務員は概して「オレサマのような貴重な人材をこんな安月給で買い叩きやがって。やってられるか。いつか辞めて半分の労力で三倍稼いでお前ら見下す!(実際辞めていく人は多い。)」と思っている。しかも民間人が「自分が税金を払ってやっている」即ち自分の国の公務員だけを憎悪して、他国に関しては無関心かつ寛容であるのに対し、公務員の憎悪は自国民だけに留まらない。世界中、公務員以外の全ての人間を憎む能力を彼らは持っている。しかもそのことを絶対に、口に出さない。憎悪はひたすら隠しているのである。(・・・全部誇張ですが、何か?ブログ記事なんて真に受けちゃいけません。古本屋以外でマトモな本を買いましょう)

          で、一体、○×大使館で働いている人々は大抵公務員だ、ということをしっかり認識している人はどれくらい居るのだろうか?
          セレブ!な方々のお相手をする「○×大使館」の人々、さらにはその大使館のトップに立つ「大使閣下」も大抵は「単なる年寄りの」公務員である。
          「○×大使館」で働く「○×人以外の人」、にいたっては公務員のそのまた「犬」である。
          つまりセレブ!な方々は他国の「公務員とその仲間達」の牙城にいそいそと出かけていき、なんらかのステイタスを感じている、という話になる。
          職種は違えど、それは水道局とかに出向いて「局長とその部下達」に会う、とか警察署に出向いて「署長以下刑事達」に歓待を受ける、のと全然変わらない話なのだ。
          しかも日本人以外の公務員は皆面白いのか?明るく楽しい社交家っぷりを発揮するのか?というとそんなことは全然ない。
          公務員は最も面白みのない、胸糞悪いまでに安定志向もしくは権力志向の人間がなるものと世界中で相場が決まっている。
          大使館に居る公務員はその国の国民の一般的キャラクターに比べて、(勿論悪い意味で)「変な奴」であることは間違いない。
          そーゆー人々が主催するパーティーが「ステイタス」ということ自体、実は笑うべきものだ。
          なのになのに「今夜は○×大使館のパーティに出席するの〜」というフレーズが(もちろん良い意味で)やたらと使われたり、ヴァンサンカンや「alem」のパーティパパラッチ・ページに載っているっつーのは一体、何事なのか?
          これほどまでに日本人があからさまに公務員を「持ち上げる場面」がほかにあるだろうか?
          大使館内に一歩入ると、人はいつもの「税金取られて超ムカツク、公務員など要らん節」を忘れてしまうのか?
          大使館内でなら!外国人なら!公務員にチヤホヤされてうれしーんかい?!、という感じである。

          (あくまで「主催」であって、別に公務員に会いに行くわけじゃないもん!という、言い分もあるだろうが、だったら自主的にどこかで会えばいい話。わざわざ後生大事に招待状を握り締めて「敵の牙城」に赴くのは、あのNHK紅白歌合戦にのこのこ出場するくらい「ご苦労」なことだ。国民的了解事項となっている「権威」、私に言わせればその実態の空虚さにおいて、「大使館」と「歌合戦」はそっくり。)

          しかも勿論○×大使館のパーティに来る客にとってはそれは「余興(余暇)」だが、働いている公務員にとっては一種「時間外労働」である。
          無報酬で夜中までよくわからん人々の相手なんかするのは、ウンザリすることだと「推察」されようものではないか!
          そういう「サービス残業」を含めた契約だから彼らにはソレを断る権利はないのだが、無論そんなモノ無ければ無いに越した事がない、と思っているとみていい(ただし公言しない。)「タダで酒飲めて食事ができていいじゃん!」と思うのは、バーミヤンのバイトに対して「タダで坦々麺食えていいじゃん!」と言うようなもの。そんな「まかない」は職員の口にはあまり入らないようになっているし、原価を知っている人々にとって、「まかない」など有難くもなんともないのである。

          大体、公邸の料理の予算はもとはといえば全部「税金」から出ている。
          税金で「飯をつくって」美味かったためしがあろうか?
          (おしゃれ〜?な公営美術館内にある気の利いたフレンチですら『そんなに美味しくない』ではないか?アレを美味い、とかいう人はきっと雰囲気だけで満足するタイプの味音痴だと思う。料理とは『鬼才(狂人)』か『頑固者(伝統原理主義者)』か『病気持ちのデブ(食いしん坊。外見や健康を犠牲にすることを躊躇しない)』が作らねば美味くないのである。そう、どんなに上品で高級な内装の店であっても、皿の上にはどこか粗野で野蛮で常識外れの世界がほとばしるがごとくに展開しなくてはならないのだが、税金フレンチはそーゆー要素を排除しがちだ。だからマズイの!)
          まあ、ゲロってしまうほど不味かったりはしないだろうが(例えば巷のある食堂では「チョコレート・カツ丼」などというメニューを出しているが、そんな万人ウケしない料理は公邸では出てこない。そこまで自己主張の強い料理人は雇われないからだ)、飛び上がるほど「美味い飯」というのも絶対に絶対に絶対に!出てこない。
          トルコには「軍幹部専用レストラン(普通の『軍人レストラン』とはまた別で、『偉い人用』らしい。豪華ですごく安い。景色も絶景。しかも普通4000円するワインが300円とかで飲める。)」とゆーのがあるが、そこで出される食事も脳天直撃なほど美味い、ってことはまずない。「税金飯」だからである。
          ましてや公邸飯は客は一銭も払わないのであるからにして、当然予算にリミットがある。
          大使館で出てくるというだけで、「どーせ税金で、自分のフトコロが痛むわけじゃないんだから、予算のことなんか気にしてないんでしょ?」と思うのは客だけで、主人のほうは血眼で原価計算しているもんなんである。

          (私は某国のイタリア大使公邸で食ったスパゲッティのマズさを一生忘れないだろう。あんなものを「わーい♪砂漠の真ん中で本場のイタリアンが食えるぞ〜!」と期待満々な客に出して、一口食べた途端全員が石のように沈黙したあと「さ…さすが、おいしいですね。」とよってたかって空虚なお世辞言われる大使の屈辱を思うと涙が出たくらいだ。オイ、「ガスト」に留学して一から修行しろよ、って感じだった。かく言う私もベシクタシにある某ホテルで、いかにも都会慣れしていない県知事に(←おそらく生まれて始めて和食を口にする人)糞マズイ和食モドキフルコースを「わが国が誇る料理」として解説しなければならない窮地に立たされたことがある。燃えカス、となって出てきたもやし炒めに「これは豆の芽でしてね…えっと、健康にいいのですよ。…お味は?」「マッチ棒を食べているやうですな…」「あらご冗談…(う!ホントだわ。)」などと会話しながら顔がひきつりっぱなしだった。接待に使うよーな店でこんなもん出すんじゃねーよ、殺すぞ、デボン青木め!と思ってたら、案の定その店はすぐツブれた。)

           しかし私は、ここで「大使の料理人閣下(『閣下』の位置はこれであってると思う。どうせそういう意図なのだろうから)」がしゃしゃり出て、「ほれみろ〜、俺達の仕事は大事だろ?」と自己主張することには違和感を覚えるものである。日本ではどいうわけか、最近「メイド」「執事」とかいう「使用人の模倣」が不思議な形で脚光を浴びており、実は私も「プレイ(ごっこ遊び)」としては面白いと思っている。
          でも現実世界においては「ごっこ遊び」をしているのではない。
          「料理を担当する使用人である」というむき出しの「事実」がそこに転がっているだけ、夢もプレイも何もない。
           なのに主人の「虎の威を借」りて自分を大きくみせるような真似をする奴はどの分野でも、私は醜悪だと思う。「大臣」とか「芸能人」の通訳をしたと自慢する人というのも滑稽なだけだ。しかも、その虎さえも本人が信じるほど実威がないのに、キツネどもが吼えるなんてちゃんちゃらオカシイ。職業に貴賎はない、と言うが、そういう奴隷根性こそが卑しいのである。(心が囚われて不自由だからだ。でもって、他人に媚びて緊縛された人間は卑しく、猥褻、つまり色っぽくもある。だから容易に性的対象にされ得る。関係ないけど、執事がエロい変な映画→一例
          しかもよく考えて欲しいが、「皇帝」の料理人ならともかく「公邸」の料理人になる人間なんて、「料理人」のなかでも上位の人間であるわけがない(勿論例外アリ)
          一ヶ月に何百万円も稼げるような、引く手あまたのカリスマシェフとかが、自分の国を離れ、十分の一以下の月給で何年間も「おかかえ」になるわけが無いではないか。
          ただ、たまに奇跡が起きることもあるらしいし(非常に腕のいい職人が薄給をものともせずいい仕事する)、特に先進国では総じてウマイらしいという噂である…。
          ま、要は大使の給料に比例する、ということだろう。
          だ・か・ら・こそ!イスタンブールの「隣の晩御飯」は皆不味いのである!
          ありていに言えば、金が…!金が足りないからだ。(多分ね)

          (しかし…「総領事」とは因果な職業である。分かる人には分かる話だが、エラそーな名前の割りに大してエラくもない。「大使」と「総領事」は格が違う。最高にセレブっぽい名前と裏腹に、別に家柄も良くないし、金があるわけでもない。ノンキャリの役人だって40年くらい勤め上げ、目立った失敗などなく運がよければ最後には「総領事」になれる。しかもその任期たるやたった1年半〜4年ほど。高校を卒業して役所に入り、コツコツ40年間働いて、最後にやっとちょっとだけ「総領事閣下」である。別に総領事になったからといって突然人格が変わるわけでもなんでもなく、中身は単なる「お役人」なのに、なにやら急に「キラキラ」したカリスマ性を求められる役職でもある。それはまるで「生協の白石さん」が突然武道館でソロ・コンサートを開くくらいありえない展開だ。日本人に限らず大抵の人間はそんなカリスマ性は持ち合わせていない…温厚ではあるにせよ、たいして華のある人物ではない事が多い。だからこそ、「総領事館」とか「総領事公邸」といったハコがキラキラしていて、つまらん役人でしかない老人に下駄をはかせてやる必要があるのだが、私が見た限り、日本の公館は他国と比較すると「しょぼい」。先進国はもとよりトルコ程度の国(BRICSじゃなくてVISTAだよ!)にもいつも負けている。ハコがしょぼければ、「家来」たる公邸料理人とか執事連中とか職員が、最大限にサポートして「にわか殿様」を盛り立ててやらねばならないのだが、これも…おをっと、ま、いいやw。)

           さて、物凄く長い前置きになったが(何故に私はいつも前置きが長いのだろう…。この長々しい前置きを書くだけで息切れがして、本題を続ける余力が残らないほどだ…。)、そんな私も大使館とか総領事館に潜入する機会は絶対に逃さない(笑)
           実はオスマン帝国の首都だったイスタンブルは毎年某建築系雑誌に「イスタンブル・各国総領事館めぐり」などという特集が組まれるほど、豪奢な歴史的建造物が多いのでハコだけでも見ておいて損はない、と言われている場所なのだ。
           しかし、基本的に私は無感動な人間であるからにして、どんなに絢爛豪華な場所に行こうと「けっ、しゃらくせえや!」としか思わない。(トプカプとかベイレルベイ宮殿もたいしたこと無いと思うタチ。カプリ島の青の洞窟に行った時には余りにつまんないので船頭に八つ当たり。どんなスバラシイ観光地に行っても無感動を通り越して「くだらないもん見せて金とるんじゃねーよ。欧米か!?」と怒ってばかりいるカワイソウな人なのである。)、しかし大使館関係の晩御飯に呼ばれると(呼ばれなくてもw)、なにやら私のなかでヨネスケ根性が燃え盛り、あの「でーれーでーれーぴっぴるぴっぴっぴ!」という音楽がファンファーレのごとく鳴り響き、しゃもじを背負って「おかーさん、今日のオカズ、こんだけ〜!?あらでも、意外とウマイじゃないのォ」とかやりたくなるのである。要は毒づくネタを探しに行っているようなものなので、周囲の人々が内心「あたくしっておコネもちのセレブなの〜!」と言う感じにウキウキしてようものなら、私はかなり浮き上がっていると思う。服装からしていつもいい加減で、基本的には「ライブに行くのと」同じ格好をしている。(虫干し感覚で普段あまり着る機会がない奇抜な服を着ているだけ。ロリータだろうがユニクロだろうが、バレるわけない。そんな審美眼のある人は来ないから。皆、視線は酒とメシに集中しているし。ただ個人的には日本人の浴衣とワンタッチ着物?はアザトイと思う。安いオリエンタリズムで売るな!それくらいならびしっと全身しまむらかサンキで決めてw中身で勝負しろ。さもなきゃどこぞの自称『外交官夫人(この単語を自分に対して口にする人は大体が馬鹿か貧乏だと思われる)』のよーに正式な着物でひたすら黙っとけ、と思う)

          で、感想をざっと書いてみるが、食事内容は「(私に見合った)最低ランクのもの」であると思うので、その点はご注意を。(偉い人であれば、もうちっと美味い飯にありつけるはず。ちなみに私は偶然遊びに行く機会があっただけで、「オシゴト」で行ったのではありません。)


          一軒目。ス○ーデン領事館。
          立地が凄くいい。イスティクラール通りに面しているので警備面でも合格。ペルー大使館人質事件じゃないけど、客として入った領事館でテロになんかあったらたまんないから、なにをさておき警備は重要です。

          そもそもイスティクラールは特定車両以外入れないので、テロでよく使われる車両爆弾が突入しにくい。2003年に総領事が爆殺されたイギリス総領事館はイスティクラールから僅かに外れたところにあった。その、死んだ総領事には何故か手違いでw握手だけしてもらったことがあるが、トルコ語が堪能でアンカラ大に留学してたそーな。老後に備えてイスタンブルにアパルトマンも買っていて、未亡人は現在そこに独居している…嗚呼、定年を前にして、なんとも哀れな末路だった。この事件にびびったアメリカ総領事館は遥かイスティンイェのほうまで移転して大要塞を築き、後を追うように日本総領事館も移転しする。しかし、立地や外壁強度よりも重要なのはズバリその国の外交政策、だ。てか、イスラム圏でアメリカ関連施設はやはりヤバイ。アメリカのコバンザメである日本もちょっとやばい。ウズベキスタンでもアメリカ大使館職員や、時にはその家族までが襲われることが多く、皆ぴりぴりして過ごしていた。セトラの『セン・ボラサン』を一緒に聞きながら、流暢なウズベキ語で『怖い歌だよね〜。ひとごとじゃないよね〜。』と怯えていたM・タイソンさん、元気でしょーか。。。其の点、『うちは政策的にも、警備的にも安心です。カジョクをマモリマシュ』てな感じの、このイスティクラール沿いの領事館は理想的な境遇といえるだろう。

          門を入るとドーナツ状の車寄せアリ。ココは徒歩で突入(イスティクラールの領事館だったら、徒歩はアリでしょう。私もご近所ですのよ、お〜ほほほっ、さっさとお通し!とアピールすべし)がカッコイイと思うが、私は珍しく(他人の)「お車」だった。
          お料理は、スープ、魚料理、デザート(奥さん、こんだけ〜!?)
          しかもスープは「ジャガイモと生クリームをミキサーにかけました」魚は「網で焼いて塩をかけ、横に茹でたジャガイモをつけました」デザートは「小麦粉と卵とバターを混ぜて焼きました」と言う感じの、信じられないほどシンプルな料理。
          お国柄を表すものはスープ、及び、魚の付け合せの「ふかしいも」にぶっかけられた「ディル(ハーブ)」のみ!という潔さ。
          (こういう料理を堂々と出されると、日本人がいつも外国人をもてなすとき、「和の食文化を片鱗でも知っていただきたい」とかチマチマ考えているのがアホらしくなってこようものではないか。このバイキングの末裔?は『飯なんかどうせ糞になるだけだから、食えればいいのさ。がっはっは!』という自国の食事文化を外国のお客様に知ってもらいたいから、敢えてコレをだしている…わけでは絶対なかろう。『ま、楽しい会話が出来ればいーじゃん♪』くらいに不気味なほどリラックスしているのである。日本人は概してビビりすぎ。いや、ビビるのはいいが、気くばりに疲れ、シャチこばってロクに会話にも参加しないようではしょうがないのである。テーブルに紅葉をあしらって季節を演出したつもりになったり、箸おきにこだわって自己満足してる時間があるなら、BBCでも見てネタを仕入れて会話にちゃんと乗るほうが、よっぽどマトモな「おもてなし」になるのだと肝に銘じよ。…誰に言ってんだろw)
          で、味は当然凡庸だけど、まあ別に不味くはない(あまりに素材数が少なくて不味くなりようがない!)
          ワインは有無を言わせず全員同じ白(フツーにテーブル・ワイン)
          予算も格安と思われる(って、勝手に判断。いや、実はトルコでは魚は結構高い。スズキ一匹五千円くらいしたりする。でも切り身で一人分ならさすがに五百円だろ。飲み物含め、しめて一人前1500円のご予算ではないでしょーか…。スゲー。)
          だいたい、当時の料理人はス○ーデン人ではなかった。
          トルコの金持ちが雇うのは旧ロシア系の料理人が多いので(これもある意味devsirmeの伝統か?)、トルコ人の客は「なんか慣れない味ねえ…」という顔をした挙句、「料理人はナニ人ですかあ〜?」と無邪気に質問。(こういうところでお里が知れる)
          答えはタイ人。
          最近どこの国でもタイ人を公邸料理人に使うことが多いので、各国総領事夫人は「タイ人でしたら、任せても安心ですわよね〜」とうなづきつつ、『な〜んかうちの味と似てるわねえ…やっぱりタイ人じゃここまでなのよね…あー、畜生、予算が欲しい、アタクシにケチケチさせんじゃねーよ、民よ、もっと税金払いやがれ。』という顔をする(嘘です。後半は勝手に想像w)。

          (ついでにトルコ人はここで「オタクの料理人はナニ人?」と私にまで訊いてくる。「料理人なんていません。」と答えると「あ〜ら、ご自分で料理なさるのぉおお?」と、哀れまれ、「あなたおいくつ?一体何歳くらいになったら、料理人が雇えるご身分になるの?!あと何年我慢なさるおつもりぃ?」と口々にしつこく畳み掛けられる。余・計・な・お・世・話・だ!すっこんでろ成金ドモ。グルメな私に毎日メイド飯食えってか?また脱線するが私の料理はダシが命なのだ!煮干ダシ、カツオだし、中華スープ、洋風ブイヨン、フュメ・ド・ポワソン、…私はこれらを全部天然素材をふんだんに使って作り分けなければ気が済まない…と、いうのは嘘だけど、実は本当だ(どっちさ?)。健康志向だからではなく、味覚的コダワリがあるのだ。しかし、世のメイド料理は絶対に固形ブイヨンを使う。トルコだろうがウズベキスタンだろうが中国だろうがガンガン使う。何故か?それはだな、奴らが雇っている『料理人』なんぞ、所詮可哀想な掃除婦が掃除の合間に料理作っているだけだからだ。効率重視で出汁などとってる暇がない。大体、どんな大金持ちだろうが、トルコじゃ誰もまともなシェフなんぞ使ってない。少なくとも私は見た事がない。ちょっと料理の上手い主婦やオネーチャンが安月給で腕を振るっているだけ。そんなんでいばるなっつーの。大体使用人など小言でも言った日には、料理に何入れるか分かったもんじゃない。せいぜい早死には気をつけるがいいのだ!フガー。それにしても料理のことになると何故か興奮する私であった。。。)

          ちなみにメイドさんもみーんなタイ人か東南アジア系の若い娘たちで、客の中で私ひとりが彼女たちに近いものがあり、外見至上主義の私にとってはかなり居心地が悪い。
          似たり寄ったりの顔つきでも、かたや使用人でかたやお客様とは、運が悪いねえ、デボチカ達よ…、という感じ。
          てか、メイドさんたら、露骨に私にだけ仲間意識たっぷりな笑顔見せるのはやめてくれ!私が他の客から馬鹿にされるだろーが。
          早く婆さんになりたい、と思うのはこんな時である。

          形式はサロンでお話→20畳くらいの狭い部屋の長いテーブルにてお食事→またサロンでコーヒー。

          ところでここの館主は小犬を飼っていて、よくイスティクラール通りを散歩させている。
          ほんっと〜にいつも見かける(つい3ヶ月前にも見たぞ!任期長いのね。。。)
          自分の所の敷地があんなに広いのに、わざわざ犬の散歩見せびらかしに出てくるとは『おぬしもスノッブよの〜!』としか言いようがありません。



           二軒目。オースト○ア領事館。
          立地が凄く…遠い!とんでもないところにある。私は40番のバスで行ったが、普通、領事館のパーティーに路線バスで行くヤツ…居ないだろ!バス亭からは徒歩で突入(ああ、なんてケチなんだ…我ながら。でもタクシーならタクシムから往復4千円かかる。私はコレをもったいない、と思う人間であるからにして、ビラビラしたガリアーノのドレスでも路線バスに乗りこみ、学割アクビル使って往復100円で済ます。かなり顰蹙。ふん。どうとでも思うがいいわ。)するも表通りの門から結構歩くし、敷地内に建物が沢山あって迷う。テロリストすら面食らうだろう広さの敷地に頑健な石の建物であるからにしてここも警備は◎。でも、清水の舞台から飛び降りるつもりで一個前のバス停で降り、タクシーに乗ることを強くオススメする(笑)

          場所は巨大な広間で立食なら五百人くらい入るか?というところ。舞踏会用のサロンだと思われる(いわゆるウィンナー・ワルツを踊るとこ?欧米か?欧米だ!)。机と椅子には白と紫のサテンの布が巻いてあり、あらなんて美しい…とおもったら、実はパイプ椅子だった!というオチ。(よくあるパターンです)
          食事は普通にフツーに豪華だがケータリング。(そもそもこの時、この領事館はハコ貸ししただけであって、料理の予算は別口から出ていたはずだ。)完全に、トルコ人が作った、トルコ人の、トルコ人のためのパーティー飯で、美味しくない。巨大ホテル並の駄目料理。(トルコの五つ星は皆マフィア絡みなのよ〜。ハコは派手だけどソフトが、ラララ♪手抜きなのよ〜。)
           フランツ・ヨーゼフ皇帝の紋章入りの巨大な金無垢?の鏡がいくつも並んでいて、「あー、この説明するの今年に入って100回目だわい。でも客が必ずビビるからコレだけは言わなきゃ!」と言う感じで「これが手前ドモの自慢の鏡です!」と、総領事館職員が各テーブルに説明しに来る。
          案の定、全ての客が「ほえ〜」っと驚嘆していた。(てやんでえ!単なる税金の無駄遣いだろーが。怒れよ。欧米様だとありがたがるんかい!この金ぴか鏡に張り合うために、テメエの国でも多少のハッタリかまそうと、そのうち絵だの壷だの買うことになるんじゃねいのかい!そのツケを払うのはテメエ自身で、そうなったら腹も立つんじゃねいのかい?べらんめえ!)

          特筆すべきは便所である。いや、便所もさることながら(粗末な18世紀風召使部屋に昭和風オフィス衝立で改造リフォーム。ドコの匠の技だよ?なあんということでしょう…チグハグなリフォーム術に泣けてきます。)、トイレット・ペーパーがスゴイ。いまどきトルコのゲジェコンド(スラム)住民すら使わないだろう、という粗悪な紙質。藁半紙のよーに硬くモロモロする。こんな紙、一体ドコで買ってるのか?!まさか40年くらい前に100トンくらい買いだめしたヤツがまだ残ってる…のでは?と怯える。

          てかなんつーか、全体的にこの国の「現在」の国力と、オスマン朝時代に建てられたであろう、この広大な領事館のバランスがとれていないのだ。多分この国はトルコだけでなく世界各国に「スゴイ公館」をやたらと持っているのだろう。まさに『過去の遺産』だ。あと、この国の外交官の自宅は家具がご立派。大抵、駐在員宅の家具は超ダサいと相場が決まっているのに。(家具付マンションの家具は何処でも安っぽい。家具を買うにしても、日本人がトルコで買うならよくMUDOで買うし、トルコ人が日本で買うならよくMUJIで買うらしいw考えることが似てて笑える。どうせ三年使って捨てるんだから、少ない金でお洒落に体裁を整えよう、というケナゲな心意気である。しかし残念ながらMUDOだろうがMUJIだろうがどーも薄っぺらい感じ。)なぜでしょう?それは、この国は本国からの引越し代が全額支給されるため、皆、先祖代々持っている一番いい家具を持って移動するからだそーです。へ〜。
          つまり、この国は結構「ハコ」でハッタリかますのが得意だってことです。
          しかし反面、莫大な維持費にうんざりはしているが、手放すには惜しいんで困ってます・・・という「没落貴族な」悲壮感も漂い、経済力はあるハズなのに貧相な公館しかもたない日本とは、また逆の意味で不幸な気がした。(とにかく経費がかかりそう。だからか知らないけど、この総領事館はやたらと「音楽会」を開いて人を集めたがる。そりゃまた優雅だけど、あんなトコまで行くのはな〜。てか、他にすることないのか?便所紙変えてから呼べ、という気もしないでもない。)

          で、ここの館の主も何故かイスティクラールでよく見かけるんですが。。。あ!この人知ってる!と、思わず脊髄反射的に声をかけてしまって大恥かいた。(こっちは覚えていても、向こうは私を覚えているわけないじゃん!ばかばか。しかもバーゲンセール会場で声かけたらお互い気まずいじゃん!実は貧乏でケチなのがバレバレ!)ちなみによく劇団員とか俳優もタクシム周辺をうろうろしていて、向こうが『あ、ジャポン』という感じに何気なく目をあわせてきた時、知り合いと勘違いして『わー、お久しぶりです。ちょっとお名前が思いだせないのですが…。』などと声をかけてしまうと『…私、AKMで踊ってるから…』『俺、俳優なんだけど…』などと言われてしまう。そのAKMの女性バレエダンサーにいたっては同じコトを二度も繰り返してしまった!同じスーパー(スラセルヴィレルのGIMA)に通ってたもんで。『この前も言ったけど、アナタは観客だと思うから…』だって。呆けてるのが恥ずかしくて『いや、個人的にアナタの大ファンで…!いつ見てもああ美しい!そして美しいアナタはピーマンをそんなに沢山買って素晴らしい』とか変なこと口走ってしまった。。。当然、「嘘おっしゃい!」という顔をされる。年増の群舞専用の踊り子のファン、どこにいるよ?)
          しかし、総領事もあんな辺鄙なトコからイスティクラールに通うとはかなり大変だ。中心地にも別宅持ってんのだろーか。気ニナル。


          三軒目。○リシャ領事館。
          移転前に行ったので現在とは反対側のイスティクラールの裏通りにあった。嗚呼、・・・なんか息切れしてきたので(前置きや脱線話が長いんだっつーの!)、続きはまた今度。

          2006.12.27 Wednesday

          危険な旅行記

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            前回ちらと書いたが、実は私自身もブログに「書かれる」ことがある。
            別に私は何者でもないからそんなことは稀なのだが、こうも皆がブログ書いている状態だと、他人のブログやHPに載らずに生きる、というのは殆ど不可能に近い。(私は間違っても載ってないわよ〜ふふふん、という人は検索が足りないとみた。もっと精進せよ)ひどい場合は顔写真なども勝手に掲載されており、5年も前から音信普通の人に「あたしの顔だけ削除しなさいよ!」と「突撃」するわけにもいかず、「うう、こいつがブログ書くとわかってたら、一緒に写真など撮らなかったのに…。」と悔やむことしきりである。
            写真もアレなら、文章も最悪で、他人の言葉によって描写される自分の像というのはつくづくガッカリさせられる。
            情報は出鱈目だし、殆どの場合、なにやら不敵な悪意はこもってるし…。
            それは、あまりにも歪んでいて、自分が認知されたい形とはかけ離れていて、ああ、自分はこんな風に「しか」見られていなかったのだ…という現実を突きつけられるのは結構ショックなものなのだ。
            昔なら芸能人やら政治家や有名犯罪者しか味わえなかったよーな「マスコミの書くことは嘘ばかり!」と言う怨嗟を、しがない一般人ですら抱き込まざるをえない。
            しかも、書いたのはマスコミではなく自分のかつての知り合いだ。マスコミ「だけが」カスだと思っていたのに(マスコミに対する羞悪は公務員に対するそれと多少似ている。敵に回して実は良いことはないのだが・・・やはり憎いw)、実は普通だと思っていた一般人もカスそのものだった・・・、という衝撃。(マスコミは金のために嘘や誇張を書いてるとして、ブログで嘘を書く人というのは一種「自己演出」のためにやることが多いようだ。)
            しかもそのカスと微かに付き合ってしまった、自分の脇の甘さへの怒り…。
            とにかく他人のブログに書かれて嬉しかったことは一度もないのだ。

            で、あるとき気付いてしまったのだが、「人はよく旅行記をブログにする」のである!
            これはかなり危ない話だ。
            (誤解を与える発言だが)すなわちこれにより…
            「旅先のアバンチュール」というものはいつ誰によってリポートされるか分からぬものとなってしまった。
            結構有名な話だが、例えば中東は日本に限らず世界中の観光客の女性がまあ…なんというか、エキゾティックな恋をする所、として知られている。
            しかし、日本人のこの異常なブログ好きは、このアバンチュールをまさに「危険極まりない」ものにしていると思う。
            例えば、私は○○子ちゃんが、ドコソコへ旅に出た後、素人旅行者たちの旅行記が出回った頃を狙って「○○」「ドコソコ」と検索をかけてみたりする。(漢字ではなくカタカナかひらがなでやるのがコツ)
            すると驚くべきことに「○○子とかいう日本人女がドコソコで現地人の男といちゃついててた。キモ」みたいな記事にヒットしてしまうことがあるのである。
            別に○○子ちゃんも芸能人でもなんでもないのだが、私は「ええ?!」っと思わず興奮してしまう。(知り合いが意外な所で意外な事をしていて、それが赤の他人にリポートされているなんて・・・面白いではないか!)…と、同時に「あ〜こんな所にこんな姿を本名でバッチリ書かれちゃって、大丈夫なのかな?かわいそうに…。」と同情も禁じえない。

            5年前はこんなことは無かった。

            いや、別にだからと言って「昔は自由に遊べて楽しかったわい」と言うつもりは毛頭ないのだが(こうなる前に一度くらいハメを外せばよかった、と後悔しているくらいだ。)なんつー世知辛い時代だ!と呆れるのである。ま、自分からトルコ男とどーこーしました♪と自分のブログに書く正直者もいれば、他人の旅行記で晒されていたのを同情した張本人が「ダーと私と可愛いハーフの赤ちゃんの・のほほん・ヴァン・ライフ〜クルドの星の下で〜」などというブログを自ら始め、「ダー」のプロフィールを見てみればまた別の男だったりもするので(逞しい…)、まあ、知らぬが仏、というか他人のことは放置が一番と思う。

            しかも、知り合いのブログというのは何時見ても…違和感満載である。
            この人こんな人だったっけ?といういや〜な発見に満ちているのだ。
            それはおそらくその人に関してもっている私の情報が「間違っている」のと、その人の別の面を見ようとせず見たいとも思わない私の無意識の「冷酷」が原因なのだと思う。
            (冷酷、というか私は全然他人を見る目がない。関心が薄い・・・美人と悪人以外には。)
            「他人の目に映る像」と「自分がこう見て欲しいとおもっている像」はかくも懸隔があるのだ。
            私が自分が描写されている他人の記事に対して「こんな不気味な生き物、私じゃない」と思うのは、この裏返しの現象である。

            要はブログなど書かないのが一番いい。
            周りを見渡してもブログを書かない人種は自意識が薄く、万事控えめな善人ばかりだ←?(だいたい、現実世界で全く冴えない人が「自分をよりよく見せようと見栄と自慢と薀蓄ばかり書く」のがブログというものなのだから、ブログを書かない人というのは現実では無駄がなく冴え渡っている。毛並みの良い野生の獣のようだ。美しい!美しいよ、君達!)
            しかし、ネット上に「他人の眼に映る自分像」だけが転がっている、というのは、自意識過剰な私のような者にとって非常に不安なのだ。
            私は結構「均衡」というのを大事にする人間で、「あーいえば、こーいう」「ギブ・アンド・テイク」「割れ鍋に綴じ蓋」「情けは人のためならず」というよーな言葉を殺伐と心に刻んでいる。
            本当は書かれたからにはソイツのことも書いてやりたいのは山々で・・・さらには、このうそつきッ!アバズレめ!どの口で言うか、この口か〜!と罵りたい。
            しかしそんな俗悪な喧嘩を晒してもしょうがないので、ま、こんなしがないブログをネット上に転がしておくということで自己満足しているのである。そう、ここもまた防衛線なわけで、重要なのは存続であって、記事の内容ではないのだ。(テヘッ☆ペコちゃんを誘拐しちゃだめ!てか私が許せないのはペコちゃんの顔真似をするとき、人々が皆片目を瞑ることである。不気味だよ、その顔。第一、いつも目瞑ってるわけじゃないじゃん。→ほら

            で、私がこのブログで書きとめたいのは、ただにひたすら、老嬢Mについての断片なのだから(?)、今後はあまり脇道にそれないようにしようと思う。。。次回、「香山リカのよーによくウズベキスタンのニュースでコメンテーターしている犯罪心理学者のMの妹→ぐりぐり眼鏡の鈍感女」について書キマス!(予告するほどのことでもないけどw)

            2006.11.26 Sunday

            地の奥深く猫に手を伸ばし

            0
              私は美しいものを愛する。
              誰だってそうだ、と言われるかも知れないが、私の嗜好は殆ど狂的だ。幼稚園のとき、美人の先生から「美しくない・25歳以上の」先生に変わっただけで「もう幼稚園に行かない」とむずかっていた。遠足で箱根彫刻の森美術館に行ったときは「あまりに醜い彫刻が立ち並ぶので」パニックをおこし、「ここから出たい!うちに帰る!」と泣き出した。(私は美術に結構詳しく学芸員の資格も持っているが、ヘンリー・ムーアとかニキ・ド・サンファールが死ぬほど嫌いだ。日本人が大好きな印象派も駄目だ。泣き叫ぶ私の前を訪日中のレーガン大統領が横切った)小学校から高校まで私の親友は常に「クラスで一番」(できれば学年で一番)美しい少女だった。それこそ一緒に歩くと、誰もが「なんて綺麗な子なの?!」と驚愕するくらいの美しさだ。一切の妥協はなかった。(私は芸能人になるような人間が美しいとは思わない。確かに芸能界に属する人は一般社会より美的レベルが高いことは認めるが、本当に綺麗な子はそんなところにはいない。あと「芸能人的な美人」を好かないことの理由のひとつに「彼らは自分の美に十分すぎるほど気付いている」というのがある。自意識は美を台無しにする。私は「自分の美しさに微塵も気付かない無心の美」が好きなのだ。)
              余りの傲慢に呆れられるだろうが、私は昔は「余り可愛くない子」から声をかけられても生返事しかしなかったくらいなのだ。私は孤独を愛し、そして美しいものをのみ、愛していた。どうせ「美しくない」者は私の友人にはなれないのだから、だったら最初から声をかけられても困る、というわけだ。(ちなみに私は男性美というものを認めないので男は最初から相手にもしていない)

              この耽美主義はオスカー・ワイルドとか、ガクト(笑)に影響されたものではない。私の美人好きの理由は明白で、母が美人だったからである。そして私はちっとも母とは似ていない。私は醜く性格も悪い父になにもかもそっくりなのだ。父は頭は良く、舌先三寸で他人に自分を慕わせることの出来る人物で、お人よしの美しい母は、絶えず周囲を傷つけずにはいられない自己中心的な醜い男との結婚生活で、散々苛められ暴力をふるわれ苦労させられていた。本来母は東京生まれのおしゃれな人で(某出版社で働いていた)、父は貧乏人あがりの田舎者。元はといえば「お嬢様と奉公人」のような関係だったはずで、どう考えても不釣合いな夫婦なのだが、劣っているはずの父が美しい母を支配し、暴虐の限りをつくして君臨しているのが私の家庭の日常なのであった。よって私の中では早くから「美は善であり、醜悪さは悪である」という図式が固定し、誰に非難されようがこの嗜好を改めることなどできないのである。
              「自分が母に少しも似ていない」というのは悪を意味し、これは私にとって殆どトラウマに近い。だが、私は父がそうであるように実は「その気になれば」交際術に長けた人間で、誰もが好む気の利いた会話のすべをも持ち合わせており、必ず望みの少女を自分の「いつも一緒に居るお友達」にしてしまうことができた。ちなみに美人の原型がそもそも母であるからにして、私は別にこの「美しい者」と理解しあいたいわけでも、ましてや性的関係を持ちたいわけでもない。単に、一緒にいたい、のである。

              しかし大学に入って私は呆然とした。私の大学は容姿に恵まれず、いかにもモテなさそうな女が行くところで有名なのだが(笑)周りを見渡してみると本当に誰も美しくないのである!私は落胆したが、そろそろ自分の「美意識過剰」を矯正し、人間的に円満になるべきだろう、と反省し、周囲の人々にむやみに美を求めるのはやめようと考えたのである。(←あたりまえ!)

              で…私は猫を飼うことにした。(長い前置きだったw)

              それも、私が飼うからには並大抵の猫ではならない。最も美しく、最も高貴で、完璧な顔の猫でなくてはならなかった。些細な美的「ほころび」があれば、そこから野火が燃え広がるように私の憎悪ははじまってしまう。ペットを飼うからには責任が生じることを承知しているし、それには彼が死ぬまで愛されるに足る美貌の持ち主であることが絶対条件なのである。私は猫の本を調べまくり、「チンチラ・シルバー」こそが私の理想とする猫であると狙いを定めた。あの、モンプチという猫缶の宣伝に出ている奴だ。月並みな趣味といえばそうなのだが、この猫のなかで完璧に顔が整っている子は案外少ない。十分に眼が大きくなかったり、眼の下のラインが鼻の位置より下がっていたり、頬に変なふくらみが出たり、眼が金色だったり(私の猫の目はエメラルド・グリーンでなくてはならない)鼻の色が黒すぎたり(東雲のようなラベンダー色でなくては)、眼のふちに入るアイラインがまだらだったり、「シルバー」が濃すぎたり薄すぎたりするのだ。犬猫雑誌などで「我が家のアイドルです!」などと投稿されている猫など、殆どが醜い。「個性」などというのは私にとってはごまかしの言葉にすぎない(だから印象派絵画も嫌いなのだ。画家の主観でどう見えようが私の知ったことではない。ちなみに私は印象派出現当時の画壇と同じ侮蔑を持って「印象派」という言葉を使っている)。プラトンのイデア論ではないかが、純血種の猫というのにはすべて「イデア」がある。イデアそのもの、は無理でもそこに一番近い猫をこそ、私は飼わねばならなかった。探し回った結果私が下した結論は、結局「血統のいいものほど完璧に近い」ということだった(殺伐w)。かくて、曽祖父・祖父とチャンピオンの猫、「chypre of alexandrite(シプレ・オヴ・アレクサンドライト)」が私のところへやってきた。アレクサンドライトというのは光線によって緑から紫に色の変わる宝石で、私は海外に居たりして彼と離れ離れのときは、彼の眼とほぼ同じ大きさのこの宝石をいつも中指につけていた。彼の眼は翡翠色で、闇のなかでは蛍の光のようになるものの、決して紫になったりはしなかったのだが。

              彼と出会って、私は自分の美意識が完全に満たされる、という至福を味わった。本当に完璧に美しい猫で、世の中のあらゆることに批判的な私ですら全くケチのつけようがないのだった。さらに(本来どうでもいいことだが)性格も完璧だった。去勢などせずとも大人しく、変な癖もひとつもなく、人をひっかいたり噛んだことも一度もなく、周囲の雑種など相手にもせず(勿論私は犬にせよ猫にせよ雑種は嫌いだ。純血種でも醜いやつはさらに嫌いだけど。)、朝晩7時きっかりに同じ餌を食う。まるでよく出来た機械のようで、生涯にわたって何一つ悪いことをしなかったのである!(Mの言ではないが、彼がした悪いこと、それは私を残して死んだことだけだ。)「猫じゃらし」をとってきてやってもじゃれついたりもせず、玩具や蝉や蟷螂を見せても、常に「つん」と超然としていた。まさに皇帝のように気位の高い、遊び心のない猫だった。(往々にして高貴な者は不器用でぎこちないものである。)「この猫は愛嬌がなくてつまらない」と皆が言ったが、私が求めているのは「外見」である。それに、愛嬌はなかったわけではない。「ねえねえ。」と言って背中を「とんとん」と叩くと、振り向いて「ん??」と人間そっくりの声でいうのが可愛かった。高いところから飛び降り着地したときに思わず「あん!」といった。愛称として「ぷぷ」と付けたので、電気釜や携帯のボタンを「プ!プ!」と操作すると、後ろから近づいてきて「にゃー(はーい)?」と間違って返事をした。(君を呼んだんじゃないよ、と言うと、納得いかない様子だった。)わきの下やおなかを掻いてやると自分が舐めているものと勘違いし、ざらざらした痛い舌で私の手を一生懸命舐めはじめるのも可愛かった。餌がほしいときは二本足で立って前足をテーブルにかけ交互にてんてん叩くという芸当をした。他のねこのように自分で扉を開けたりすることができず、出入りしたいときは爪で優しく音を立てて「知らせ」、あくまで人間に出してもらうのを辛抱強く待った。身体に悪いのであまりあげたりしなかったが、彼はその容貌に相応しくフランスから買ってきたばかりのカマンベールやブリー・ド・モーやロックフォール、メゾン・ド・ショコラやジャン・ポール・エヴァンのトリュフ、アイスクリーム、シェ・シマのバターケーキといった「いかにも」西洋人のようで、高級なものが皆好きだった。またたびやキャット・ニップには酔いやすく、昔キャット・ニップをつめた小さな枕を作ってあげたら、素直に人間のようにそれを頭の下に敷いて寝た。皆がテレビに注目していると、自分のことを見てもらいたがってわざと画面を隠すようにテレビの前に座った。鼻が短いペルシャ猫らしく、熟睡すると「ぷうぷう」と小さくいびきをかいた。泣き声は甘く「ねちねち」していた。「おいで」と呼んでもなかなか素直に来ず、こっちがじりじりする頃になってのうのうとやってきた。私は夜中におなかがすくとスイート・コーンを一缶食べる癖があるのだが、彼は缶詰を開ける音に反応し、いつのまにか寝床から出てきて寄ってくると「ひとりで、ずるい。」という顔をした。ほかの野良猫を家に入れると別人のような逆鱗を見せ追い払った。私は毎日彼を思いつきで別の名前で呼んだ、あかちゃん、ぷーにゃん、どんどん、ふわふわちゃん、ほにゃらほにゃら、るんるんちゃん、ちいさいちゃん…

              で、それより何より、彼は完璧に美しかった。
              彼のお陰で、私はもう「美少女」だけに友人を限定するのをやめ、気楽に人付き合いができるようになったといっても過言ではない。どうせ家に帰れば、最高の美少年が待っているのだから、社会生活では普通に「性格重視」で友を選び、心地よい交遊を楽しもう、という気にもなったのである。

              ところが、ほどなく私は海外に行かねばならなくなった。彼は日本で売っているある特定銘柄の猫缶しか食べない。ウズベキスタンではまず手に入らない缶詰だ。私は現地で売っているという乾燥エサでも食べるよう訓練を始めたが、彼は怒って四日間断食をして抵抗し、衰弱してしまった。ついに私のほうが根負けし、泣く泣く実家に預けることにした。

              ウズベキスタンで、私は段々苦しくなってきた。酸欠状態の金魚のように「美」に飢えはじめるのである。私は「醜い人間」だけに囲まれて口をぱくぱくさせながら、自分自身を飾り立てることと、ウズベク語の本を翻訳しようとしたり(結局やり通せず…)文法書を書いたりすることで日常をやり過ごしていた。そして、私はある日「まあまあ可愛い顔をした」友達から誘われて「タシュケント在住女性の集会」とやらに出席する。世界各国から来て様々な理由でこの町に住むことになった外国人女性の集りで、会場はバングラディッシュ大使の余り立派とは言えない公邸であった。

              (話はそれるがそこで私はスゴイ印度人と会った。なんせ第一声が「My house is big!」というものだったのだ!驚いて「はい?」と聞き返したら、彼女は舌打ちをして「私の家はデカい!」と繰り返した。その後も形容詞を紹介するための超単純英語構文のような口調で「私の夫は金持ちだ!」「私の息子は賢い!」ということばかり言っている。私は困って近くで所在なさげにしていた日本人女性を捕まえ、無理やり「ついでにご紹介いたしますわ、この方は○○さんです…○○さん、この方はインドからいらしたそうです」などと紹介し、逃げようとした。パーティで変な客に捕まったら、この手を使うに限る。するとインド人は「私は最高カーストに属している!貴方は?」と彼女に聞いてきたのだ。○○さんは早口のインド人英語と彼女の個性的過ぎる会話術に慣れなかったため、すっかり誤解し、「私の夫はイトーチュウに属していますの。」と、とんちんかんな返事をした。インド人は彼女に「イトーチュウとは何か?上から何番目のカーストか?」と聞き募る。○○さんは「えっと、イトーチュウというのはショーシャで、ショーシャというのは日本独特の仲介業で、まあ簡単に言えば…」「早くおっしゃい、イトーチュウは最高カーストに属する私と口をきくことが許される階級か?」「え、なんですの?タシュケントに来てもう三年になります。」…あたしはくすくす笑いながら、後ずさりしてその場を去ったのは言うまでもない。)

              そこで私は庭に降り注ぐ春の雪の中で舞う、美しい幻影を見た。典雅な鳥の舞。鶴か?と思ったらそうでない。それは孔雀だったのだ。それはまるで狩野派の金屏風の中の孔雀が、紙ふぶきが落ちてくる舞台で生き生きと踊りだしたかのようだった。私は、こんなに美しい生き物は見た事がない!、と思い、その場で「私も孔雀を飼おう」と決めた。

              タシュケントにはテジコフカ(今は場所を移動したがまだ続いている)という日曜蚤の市というものがあり、それは動物バザールも内包していた。私は「ねずみ御殿」から早速引っ越すと(あんな不潔な家で孔雀を迎えるわけにはいかない!)、初夏の暑い日、テジコフカに行った。ラッキーなことに孔雀はすぐ見つかった。売り手の男は「結婚式かい?」と訊いてきた。なんとこの孔雀は食用で、金持ちが宴会するときなどに派手に飾り付けられて食卓に置かれるという。日本で言えば「伊勢海老」のようなものだったのである。私は不機嫌に「食べるもんですか。飼うのよ。」と言い捨て、言い値の75ドルを払ってダンボールに無造作に詰め込まれた雄の孔雀を家に連れ帰った。孔雀は暑さに(タシュケントは六月でも40度近くになったりもする)、舌を出し「はあはあ」していた。私が憧れていたより、「マヌケ」な姿で、ちょっとガッカリしたが、水を飲ませ、巨大な檻に入れると(本来大家の犬がいたところだ。)優雅な足取りで素直に入っていき、この上なく気高く座った。その生まれながらの躾のよさと、自らの美しさに感嘆する周囲にかまいつけない超然とした態度は「ぷぷ」と似ていなくもなかった。「ぷぷ」も初めて我が家に来たその日から落ち着きはらっていたものだ。乾燥トウモロコシなどのエサをあげると必要以上に激しくつついて食べた。でも性格は本来臆病で、あまり人には慣れず、少しでもいやな事があると「首を太くして(猫は尻尾を太くするが)」すたすたと逃げてしまうのだった。私は中のほうの翼を片方切って、彼を飛べないようにした。

              その日から私の日常は輝きだした。「ぷぷ」が伊東美咲だとしたら、私の孔雀は夜会服を着たモニカ・ベルッチのように美しいのだ。モニカ・ベルッチと結婚できたら、誰でも(特に最初は?)有頂天になるだろう。私はこの美しい生き物といつも一緒にいることができ、孔雀は一言も余計な口を聞かず、ただただ私のつまらぬ生活に優雅に介入し、気まぐれにその豪奢な羽を扇のように広げる。幸い台所はタイル張りだったので、私は孔雀と台所で過ごし、野菜クズなどが出るとそのまま孔雀にあげていた。にんじんの皮やメロンの種などを孔雀は器用に嘴で受けてそのまま食べるのだった。台所に!孔雀が!居るのである!それだけで、どんなくだらない日常も夢の色彩を帯びて虹色に輝く。孔雀の食べ物の嗜好は案外庶民的でラーメンからチーズまで何でも食べ、啼き声は「ばあほう!」という粗暴な大声でおよそ彼に似つかわしくないものだったが、私は多分、「ぷぷ」以上に彼を熱愛した。彼は「ぷぷ」よりも余計に魔術的で美しかったからである。私はその艶やかな色彩を誇る羽が、ウズベキスタンの苛烈な太陽光線に反射し、空気を震わせるようにしてあたりを支配するのを何よりも愛した。その美しさは凄まじく、圧倒的で、長く見ていると眼が痛くなるほどなのだ。

              その年の暮れのことである。師走のパーティーシーズンで、私は髪のセットや衣装選びや式典準備に忙しく、あまり彼を省みる暇がなかった。実は彼は寒さに弱っていたのだが、私は最初にみたのが「雪の中の孔雀」だったこともあり、孔雀は寒さに強いのだろう、と勝手に信じていた。最後の日々、孔雀は弱って冬の陽だまりに寂しく座っていた。その姿は日本の動物園で見るのと余り変わらぬ、凡庸な観賞用の鳥でしかなく、「また、夏が来ないかな…」と思いながら、私は自分自身が装うことに没頭し、絹のドレスが汚れぬよう通りすがりに少し彼を撫でて「元気?」と訊いてやるだけだった。元気じゃないよ、寒いよ!と彼は訴えなかったので、私にはその体調不良が分からなかった。さらに痛恨なことに「糞の掃除」を他人に任せていたので(私は美しいものしか見たくなかった)、彼がずっと下痢をしていたことに気付かなかったのである。孔雀は常に清潔な大理石の床の檻のなかに、美しく鎮座していた。

              そして、彼は私がネイリストを家に呼びマニキュアとペティキュアをしてもらっているほんの3時間くらいの間に死んでしまった。奇しくも、私は「孔雀の羽ような爪にして」と注文し、素晴らしい作品が出来上がったところだった。ネイルが終わって、玄関脇の使っていなかったトイレに入れていた孔雀を見てみると、もう彼は断末魔の苦痛に喘いでいた。その日の朝、私は横に渡した丸太の止まり木から彼が落ちたのを見て、さすがに「脚の力が弱っているのかな?」と気がつき、抱いてみると以前より随分軽くなった気がしたので、慌てて家に入れて看病らしきものをしていたのである。本当は極端に臆病者の孔雀は「僕は死ぬ!ああ、怖い!怖い!」と暴れた。「お願いだから、死なないで!死なないで!」と絶叫したが、もうなにもかも遅かった。涙のなかで、その極彩色が無駄に!無駄に美しく踊って滲み、痙攣し、そして動かなくなった。私はしばらく彼に覆いかぶさって「気付いてあげられず、悪かった。あたしが馬鹿でした。」と泣いて詫びた。

              しかし数時間後、立ち上がった私のしたことは、我ながらおぞましい。私は執事(実はロシア小説に出てくるような『何でも屋』の使用人。名誉だけ与えておだてて月給はかなり抑えていた。勿論顔は悪くない。)を呼びつけ、「この孔雀を剥製にする。ついては今夜じゅうに剥製屋を調べてほしい。見つからなければ博物館や動物園にもあたってみろ」と命じたのであった。

              私の考えでは、孔雀の「形」がある限り、彼はまだ死んではいないのだ。私にとっての彼の価値はその容姿にあり、命はないものの「形」はそのままのこっているのだから。少しも失っていないわ、彼は存在しつづけるし、もう離れなくて済むし、永遠に一緒なの、と私はその考えに固執した。

              剥製は1週間で出来上がり、私の元に届けられた・・・そして私は自分の誤謬を悟ることになる。それはもう私のあの美しい孔雀ではなかった!剥製は醜かった。滑稽ですらあった。彼の体をそのまま使っているだけに、まるで生前の彼の美しさを侮辱しているようにも見えた。特に最悪なのはその眼で、あの琥珀色の丸い愛らしい眼ではなく(眠くなると下から膜がでてきて閉じるのだ。私はよくプールに潜水して日光浴する彼に気付かれずに近づき水中から彼の寝顔を観察した)気味の悪い爬虫類のような濁った眼に変わっていた(ロシア人の剥製屋は「今、目ン玉がこれしかなくてさ〜。すまんなあ。」と言い訳した。)仕上がりにいくら不満でも、もはや台座を付けられた剥製を地中に埋めることは憚られた。仕方なく、私はこの悪趣味な剥製を世界中あちこちに持ち歩くことになったのである。(動物の剥製が飾られた家なんて本当に気持ちが悪い。私自身もそう思う。しかし、もう作ってしまったものはどうしようもないではないか!)

              それでも私はこの剥製を「可愛がった」。首飾りをかけてやり、日光浴をさせてやり、撫でてやったが、もう孔雀は永遠に失われた、ことには気付いていた。美はそれを内側から照らす命の炎がなければ輝かない。失われていないのは、「ぷぷ」だけだ、まだ「ぷぷ」が居る、「ぷぷ」がいるから大丈夫、と思って生きてきたのに、私は先日この猫をも失った。呆然、とはこのことである。私は仕事でトルコに行っていて、またもや猫を実家に預けていた。下劣な父は私の猫であるからという理由で「ぷぷ」の嫌がることをわざとする。それも「可愛がっているふり」をして、陰で苛めるのだ。「ぷぷ」は心臓が悪いので、ストレスをかけるのは禁物なのに。勿論母には「あの男には決して触らせるな」と注意しておくが、結局のところ母は父に逆らえない。帰ってくると「ぷぷ」は後ろ足が麻痺していて、涎を垂らしながら激痛に耐えかねて啼いていた。私は1年ぶりくらいに父の部屋に行き「病院に連れて行かねばならない。準備をするからお母さんを呼んできて。」と声をかけた(私はもう思春期以来父とは滅多に口を利かない。)父は猫をいい加減に眺めやると「なんともないじゃないか、大騒ぎするな!俺に八つ当たりか?」と怒鳴った。心臓病(心筋肥大)の老猫が血栓を詰まらせ後肢を麻痺させたら、もう、おしまいだ。これを「なんともない」と言い、放置していた悪意と無神経に私は眩暈がした。「もう頼まない。お前が死ねばいいのに。」と言い残すと私は病院に向かった。多分、死んでしまう、と分かっていた。待合室で母はのんきに「病院に来たんだから、ついでに爪も切ってもらったらどう?脚、動かないなら丁度いいわよねえ?」と言った。私は人前でこの馬鹿女を殴り倒したくなったが、爪を手の平に食い込ませ、自分でも可笑しいほど震えて耐えた。

              今回「ぷぷ」が死んだとき、その死体はとても綺麗だったけれども(寝姿のぬいぐるみのようだった)、賢明にも私はもうコレを冷凍しようとか剥製にしようとかは考えなかった。一晩一緒に過ごしてから、裏庭の桜の大木の下に深い深い穴を掘って埋めた。一晩たっても「ぷぷ」は可愛くて、トルコに行く直前私が洗ってやったときのシャンプーのいい香りがまだ残っていて、少し身体を堅くして眠っているようだったので、埋めてしまうのは辛かった。私も墓穴に一緒に入り生き埋めにされたかったくらいだ。鼻のあの、暁の海のような色がチアノーゼで真っ黒になっているのだけが生きている時との違いで、静かに丸くなっており、呼吸困難に陥った最後の苦しみの残滓は微塵もなく、優美で安らかだった。埋めてから次の日もその次の日も土に手を突っ込んで「ぷぷ」を探した。辛うじて指先が泥交じりになった毛皮に触れた。11月の表土は思った以上に清潔でゲジゲジなどの気味の悪い虫も居ず、彼はいい匂いのする腐葉土のベッドで冬眠しているかのようだった。この季節に死んだのも私の美意識に完全に適う。でも、もう掘り返す勇気はない。万が一、彼が美しくなくなっていたら、私は彼を愛せないのだから。私は彼を見ようとはせず、枯葉散る桜の樹の下で柔らかな毛皮をじっと撫で続けた。

              12年ぶりに、この醜い世界にまた私は放り出されてしまった。「そもそも皆大嫌いだ。」と再び私は宣言した。もう我慢ならない。ぷぷが居ないのに、耐えられるはずがない。
              周りの者は「きっと天国に行く」とか「そこでまた会える」とか「魂はいつも一緒」とかタワゴトを吐いて私を慰めようとした。
              私はかっとして言い返した。「何が分かる。あいつに魂などあるものか、あいつが考えていたことといったら『飯が食いたい』ということと、『風呂は嫌いだ』ということだけではないか?あいつは外見が全てだった。あの目はもう閉じられて、身体は硬直している、そしてあとはもう腐るだけだ。そのうち臭い体液が口や肛門から流れ出し、蛆が沸き、肉という肉は微生物に食い尽くされるだろう。あいつは永遠に失われ、二度と!二度と再び私と会うことなどなく、冥福も昇天も天国もなにもない。」
              母は「あなた、偉かったわね。よく毎回、あの子の病気に気付いてあげてたね。お母さんたち、何もわからなくてごめんなさい。」と泣き崩れた。その髪は真っ白で、いや、少しだけ黒い毛が混じり、私が愛した猫の毛並みによく似ている。次はこの人か、と思うと私は彼女を許すほかはなかった。

              来年、桜が咲くのを私は待っている。この桜はソメイヨシノではなく山桜で、殆ど純白だけど春霞のなかでは銀色がかって見えるのだ。「ぷぷ」は天使や桜の精にはならない。「ぷぷ」は腐って桜の根がそれを養分として吸い、そして真っ白な花びらとなって私に降り注ぐ。

              2006.09.01 Friday

              バカトルコ史・その3

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                文章を書く喜び、というのは確かにあるが、それにもましてすごい、と思うのが、言葉を一旦紡ぎだすと、その言葉が磁石のごとく世の中に転がっている事象を鮮やかに結びつけていく、その働きである。
                例えば、「千葉シンイチ」について何か書くと今までぼーっと見ていた「ホテル三日月」のCMが突然新たな回路で私とつながる。単なる偶然と言えば偶然かもしれないが、私からすると「自分の言葉がそれを呼んだ」ように思える。こうした呪術的な感覚を味わうのを趣味とする人は、たとえなんの得にもならなくても、文章を書くのをやめられないだろう。

                で、あの私が「ニアミス」したノーム・チョムスキーだが・・・
                「メディア・コントロール」(集英社新書)という本に、まさにあの当時のことが本人の口から語られているではないか!
                (ところで、この辺見庸との対談、初出があの『PLAYBOY』・・・。エロと平和(ラブ&ピース)?にしてもちょっと違和感ある。故・奥崎謙三とかと同じで、チョムスキーがあまりにアレだがら、こーゆー雑誌しか対談させないの?いや、日本ではこの雑誌が『意外と硬派』なのは結構知られているけど、トルコ人は『チョムスキーがプレイボーイで対談した』ことを知ったら超驚きそう。)

                チョム「・・・私はつい先日までトルコに行っていました。ある出版人の裁判に出るためです。その出版人は私が書いた文章を出版した。トルコのクルド人抑圧について書いたものです。」

                辺見「あなたの著書の出版をめぐる国家治安法廷のことですね。トルコ検察庁が反テロリズム法を根拠にその出版人を起訴した。結果的に検察側は起訴を取り下げたと聞いていますが。」

                チョム「非常に重大な問題なのだが、しかしトルコではそのようなことを口にるすのは許されないのです。出版人は刑務所に入れられるかもしれない。彼を支えているのは、トルコの指導的知識人です。この人たちはまさに裁判という機会を捉えて禁じられた言論や、刑務所にいる人々の文章などを集めた本を共同で出版して退け、それを検察につきつけました。私もその出版にさんかしました。勇気があって誠実で高潔な知識人とはこういう人たちをいうんです。それにトルコの刑務所というところはハンパではない。・・・」

                で、ご丁寧にクルド人少女に歓迎される写真と、トルコのイスタンブール・ブックフェア(これが私が言ってる『ショボい図書市』)での「トルコ出版協会平和賞」受賞の写真とが掲載されている。
                また、別のところではこんな発言も・・・

                「2001年には思いつく限りのテロ国家が積極的に対テロ連合に参加した。その理由は明白だ・・・トルコはとりわけ熱心だった。自国の軍隊の出動を最初に申し出たのはトルコであり、その理由を首相が説明している。これはトルコが90年代における最悪のテロ行為と民族浄化を促進できるように、アメリカだけが喜んで兵力を投入してくれた−クリントン時代に兵力の80パーセントを提供した−ことにたいする感謝の意思表示だった。
                 トルコは感謝するあまり新たな対テロ戦争にさいして自軍の軍隊を投入すると申し出たのだ。ちなみにこれは少しもテロとはみなされない。なぜならば慣例によって『私たち』がやるのであればそれはテロではないからである。他の国々についても同様だ。それを数え上げるのはやめておこう。」

                詳しい話はよーわからんのだが、チョムスキーがどうやら「ものすごく反トルコ親クルド」だということはバカでも分かる。てか、少なくともこの本ではトルコは悪者であり、何一ついい評価はされていない。だいたい、私の読み間違いでなければ(何度読んでもそうとしか読めないのだが・・・)、チョムスキーはトルコ政府のPKK掃討作戦を「90年代における最悪の民族浄化」と言い切っているではないか!やばい!こりゃやばい!すごくやばい!読んでるだけでハラハラしてしまった。(私は彼の言う「勇気があって誠実で高潔な知識人」と対極にあるよーな人間だからv)

                しかしだ!こうした彼の反トルコ政府思想は殆どトルコの一般市民には伝わっていないのだ。つまり、チョムスキーが舌鋒鋭くトルコ「をも」批判していること、はあまり知られていない。トルコの市民は思想的に「反米」を基調としており(調査によれば世界一反米意識の高い国がトルコだ。逆に世界一低いのが日本。)、その意味でアメリカの戦争外交に批判的なチョムスキーには熱烈なファンが多い。新生トルコ共和国の最初の『敵』、ロイド・ジョージの戦略論をはじめとする第一次世界大戦前夜の大英帝国外国政策を批判していることもトルコ人にとっては高ポイントだろう。しかし、チョムスキーのトルコ政府に対しての批判、及びトルコ国内のクルド人問題(イラク国内ではない!)にへの批判は、あまりメディアに流れていない。
                こういうものとかこういう記事はたまにでるが、内容はあまり語られない。あと、オクタイ・シナンオウルという人が「こんなにクルド人の味方するなんて、チョムスキーは実はアメリカの二重スパイだろう!」とかトンデモ発言しているらしいが多分、この人はいやというほど英語の原典を読んでいるのだろう。→こうゆうの?)

                あと、彼は勝手に「トルコの指導的知識人」がその「反政府的な」人物を支えている、などと辺見に語っているが、これは半分くらい嘘だ。てか、そんな「ひねくれた」知識人はトルコでは「指導的」とはいえないし、「平均的」知識人(これが一番力を持つ)は、あからさまに反政府的な見解などしない。(なんと言ったらいいか、「日本の指導的知識人である福島みずほ氏、志位和夫氏のような人は憲法第9条改正に反対している」という文章に近い嘘である。大多数の日本人は「あいつらが指導的かよ・・・?」という感じがするはず。でももし事情を知らない外国人がそこだけをさらっと読んだら、アホの日本国民が「福島様〜志位様〜」と指導してもらって、政府に弾圧されつつもそちらに導かれている感じがするだろう・・・だから「半分」嘘。でもチョムスキー好きの人はそんな読み方しないよな・・・。)ま、そういう「チキン」な平均的知識人には「会ってもらえない」チョムスキー本人からすると、そうとしかいいようがないのは、オカワイソウであるが、世の中彼の思うとおりになんか回ってないのである。特にトルコは(笑)マルマラ・ホテルでの講演会が盛況だったのは殆どが有名人を見てみたいという動機に違いない。

                いや〜。驚いた。
                正直ここまでのビッグネームの人でなければ、トルコ入国すら危いのではないか?いや、入国はできても出国時には「クール便・貨物」扱いではないか?・・・よく無事に帰れたものである。

                で、ここで考えてみて欲しい。何故「トルコ政府を批判するチョムスキーの発言はトルコのメディアに発表されないのか?」ということを。「誰が」それをせき止めているか?それはメディア界そのものだ。彼らが自分の口をふさいでいるのである。ふさ「がれ」てるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。とにかく声を上げて「バカを見る」気骨はないから黙っているのだ。(「バカを見た人は刑務所にいるからその声は聞こえないんだよ!」、とチョムスキーは言っているが。でもその「バカ見た人」の影響力がチョムスキーが主張するより随分貧弱だと私は思う。ま、私は「羊たちの沈黙」しか知らないし、知る立場にないのは事実だ。でも北朝鮮じゃあるまいし、トルコは「操作された世論(コントロールド・メディア)」と現実との乖離具合はそれほどひどくない。彼はその乖離具合が自分の想定より少なければ『洗脳』と呼ぶだけかも知れないが。(たとえば彼の眼には、トルコ人が国旗やアタチュルクの肖像がやたら好きなのも、全体主義的洗脳と映っているかもしれない。そしてその認識は間違っている。私の「お友達」には「オルハン・パムックなんてこの手でぶっ殺したい!」と言うよーな発言をする人が多いが、別に洗脳されているのではなく、自己愛の延長としての愛国心に溢れているだけである。)で、私はチョムスキーが肉食動物に『草を食って生きろ』みたいな無理な論理を押し付けといて、しかも自分は発言するだけなことと(『この動物園の悪いところはここと、ここと、ここ!改善しろ。』とかずっと言ってるだけで絶対運営は引き受けない奴みたいだ。)、その論理を補強するために陰謀論者みたいな舌足らずな誇張や嘘を発言するところが嫌いだ、と思った。なぜメディア・コントロールを批判する本で、自分も同じことをするのか理解に苦しむ。ああ、若さを失う代償にこんな嘘発見器が脳に備わってしまうのは、世知辛いことでもある・・・。世界はどんどん色あせていく。私はもうこの男が隣に座ろうとびびらない、かもしれない。彼は言語学に専念するか、せめてアメリカの政治学だけに言論をとどめるべきである。浅い「最高知識」など振りかざされるのは彼が「偉人」であるだけに迷惑だ。日本でもどこでも『マルチな才能のある人』をあがめる傾向があるが、人間、一つの分野を極めることも難しいのにましてや他分野をや。ある一分野で成功した人間がその名声を生かして他分野に殴りこみをかける場合、その他の分野の知識なんてたいしたことないのにハッタリかましてる場合が多い。信用すべからず。とにかく彼にはロクな知識もないくせにトルコとか日本を語るな!と言いたい。それは自分が批判したソシュール的構造主義の単純すぎる応用ではないのか?!でも『民衆』は浅い知識のほうをよく受け入れるのもまた事実。すごい卑近な例を出すと、私のトルコ語の話は普通の人には面白くないらしく、人気がない。他人を喜ばせようという意図がないことも大きいが、知識が『マニアックすぎる』のも一因かと思われる。人間は複雑な要因を考慮した上での判断保留より、浅はかな断罪を好むものだ。村上隆の浅いオタク文化だけ本家よりウケるように・・・ああ、すごく話が脱線してしまった。)

                で、私が思うに「出版協会平和賞」なるものをブックフェア主催者が授けたのは、単なる「ポーズ」だ。あれは、「こんなムサ苦しいところにようこそいらっしゃいました、なにはともあれ、図書市にハクつけてくれてありがとう!たいしたものじゃありませんがお土産あげるから早く帰ってね〜!」という賞だと思う。
                彼らは出来ればそんな「危ない奴」とは口も利きたくなかったに違いない。
                だからこそ!
                実際、彼には誰も近寄らなかったではないか。(あとで何をどう言いくるめようと、私はこの眼で見た!タダ事ではないからしつこく覚えているのだ)
                私はこれをして、「チョムスキーが大物だから皆びびってるの?」「口を利いたら名誉すぎてズルイってことになるからから公平を期して全員牽制しあってた?」と言う風な検討違いなことを考え、それを公表したが、違う!違う!違う!

                奴らは「トルコ政府」にビビってたのだ!
                この「キ印有名人」のシンパだと思われたら大迷惑、トルコ社会で生きていけなくなっちゃう!ということで、誰も隣に座ろうとすらしなかったのだ!「気骨ある」ブックフェアの主催者&スポンサーが心から「平和賞でもあげたくなっちゃうほど敬意を表している」ならば、堂々と話しかければよいではないか?チョムスキー本人だって、そういう「勇気があって誠実で高潔な知識人」が好きなわけだし。別に「憲兵」が同席して見張っているわけじゃないんだから、チョムスキーを敬愛する「知識人」なら彼の隣に座って直接話す栄誉に浴したいとおもって当然だろう。彼らが席すら隔離してたのが、いい証拠(何度も言うが、すっごく不自然に彼の前だけ開いていたんだってば!)、大抵のトルコの出版関係者、知識階級なんて「お上怒らせたら、おまんま食い上げですがな〜」としか考えてないっつーこと!思い知ったか!このレベルの低さ!(ってもしかして、知ってたからドタキャンしたのかしら?)
                ま、だからって「トルコの指導的知識人は彼(F・T?)を支えている」なんて誇張しちゃだめ・・・辺見庸はともかく、わたくしというこの海亀が見逃さないから。ふはは。(直接本人に言わず、陰でブログ書いてあざ笑うって、なんて小心者なのかしら。。。)

                とにかく、ブログに思い出話など書いたおかげで、4年目にして謎が解け、スッキリ!
                (こういうのを私は言葉の魔力とよび、背筋がゾクゾクする快感を覚えるのでありました。)
                あと、よゐこの皆さん。
                トルコで本音を言いたかったら「チョムスキーくらい偉くならないと無理!」ってことがよくわかりましたね〜。
                また一つズル賢くなって勝手に自己満足の巻!

                NOT:私の考えの裏づけはもう一つあって、その場にいたある老婦人が、ちょっとした私の「反政府的発言(ってほどのことじゃないけど。確かクルドがらみの話)」にものすごくつっかかってきたのだ。闘鶏のごとく。年長者を怒らすと面倒くさいから「はいはい、わかったよ・・・」と引っ込んだのだが、さらに別の日そいつの「ホーム」に呼び出され、「第二ラウンド」としてみっちり「説教」を受けた。おそらくその婆さんもチョムスキーの反政府見解に不満で、それをちびの私に八つ当たりしたのでは?と今にして思いあたったのだった。。。4年経ってわかるなんて遅い!その場で分からず「みんなびびってんのかあ?だらしねーなー」などと考えていた私はやはり凡才なのだ・・・不覚。

                2006.08.17 Thursday

                変人官僚、ドSを救う…の巻

                0
                  25歳になったら、死のうと思っていた。(桐野夏生『ダーク』よりパクリ)
                  私はある病気に罹っていて、その病気を根絶するには寄生主の自分ごと消滅するしかなかったのである。
                  あと、8年・・・あと5年・・・というようにカウントダウンして過ごしてきて、私はついに25歳になっていた。

                  そんな時、トルコでとても「優しい」日本人に会った。
                  本当に優しい人で、断末魔の悪役殺陣師が刀を滅茶苦茶に振り回すがごとく、周囲の人を「だれかれ構わず」羽で撫でるようにするので、結構誰からも愛される人だった。(撫でられる必要のない人にとっては、ちょっと薄気味悪い感じかもしれない。ゲイじゃないかと思う人も多いだろう。彼の顕著な特徴は、他人をその肩書きや年齢や性別や年収など、属性で判断しないということだ。いずれにせよ、憎めないけどちょっと変人と思われているはず。)

                  私はその人とアルジャンティン通りのカフェで会い、初夏の風に吹かれて、屋外で短いランチを共にした。
                  あたりには『ケサラン・パサラン』とか『クラムボン』とかよんでいた綿毛の塊が飛び交っていたのだが(多分ポプラの花だ)、その綿毛にまぎれて彼が振り回す羽のひとつもふわふわと舞い降り、偶然私を掠めてしまった。
                  「生きてればいいんですよ。」と彼はきっぱり言ったのだ。
                  殆ど初対面の人からそんなことを唐突に言われ、私は「エスパーに心を見破られた」気分で、呆然としてしまった。
                  (おそらく彼にとってはそんな「親切な」言葉を星屑のように撒いて歩くのは日常茶飯事なので、もうとっくに忘れてしまっただろう。)

                  五月の風をゼリーにして食べたい、と言ったのは萩原朔太郎だったが、アンカラの初夏の清冽な光はゼリーになるほどの湿り気がない。陳腐な言葉は、その乾いた光に照射されたおかげで、奇跡的に私に届いた。その後は、ひたすら不機嫌そうに顔を顰めて、無言でサラダの中のオリーブの実をつつきまわしていた。余りに長いこと未来を見なかったので、退化した網膜にすべてが眩しくてたまらないのである。(どうでもいいが私は彼のサラダの取り分け方が大好きだ。スプーンとフォークを片手で操って大胆に素早く分けてくれる。その人の手の動きは普段はなんだかぎこちないのだが、サラダを取り分けるときは妙に器用で的確なのだ。銀器の間から、油に濡れた色とりどりの野菜の破片を白い皿に投げ出してもらうのは、奇術のような効果で私を喜ばす。)

                  その後も数えるほどしか会っていないのだが、いまだにその人に会うと、特別に照れくさい気持ちになる。
                  「貴方の一言のおかげで、まだこうして楽しくやっていますよ。」などという、恥ずかしい事が言えるような仲でも何でもないのだが、なんというか私の意に反して、「やや?あのひとだ!」とおしりのほうで見えないしっぽを思い切り振っているような感じになる。で、やにわに馬鹿な小型犬のようにちんちんをしている始末だ。
                  私は本来、意地悪で「つんつん」した人間なので、その人と他の人が一緒にいると、キャラの統制が取れなくなってしまうから、これは困ったことだ。(またどうでもいいが、この前『日本昔話』を見ていたら、高慢な娘の役で、本当に市原悦子が『つんつん』と口にだしていて面白かった。ト書きを間違えて読んじゃったんじゃないのだろうか?『つんつん』と自分で言いながら歩く人って初めて見た。私もいつか言ってみたい。)

                  つくづく思うが、余力があったら(あったら、でよろしい。でも30歳以上の大人はやはり余力があるのが望ましい。あくまで理想。)、やはり人には優しくしておくべきだ。
                  いい加減な一言やテキトーなあてずっぽうですら、それが「優しさ」から生まれるものであったなら、誰かを偶然救うかもしれない。
                  毒舌ばかり吐き、傷口に塩を塗りこんでは何人「殺して」きたか分からない私自身が「陳腐な一言」で命拾いしたというエピソードは皮肉というほかはないのだが・・・。

                  そして蛇足とは思うがSキャラらしく付け加えると・・・その優しさが効果を発揮するには容姿端麗であるほうが有利だ。
                  でも人間はそれぞれ違う審美眼を持っているのでさほど気にする必要はない。


                  NOT:
                  思い出したが、私も初対面で、あるご婦人から、なにやら激しくが自分が「致死的なまでに辛い状態」であることを告知されたことがある。
                  『ムスリムの夫が・・・』に始まる、よくある惨劇だ。
                  それは公式なパーティー会場だったので、私は完全に「仮面モード」でなにか適当な社交辞令を口にしたのだと思うが、彼女にには逆効果で(当たり前だ。真っ赤な嘘なのだから。)、ついに「あなたみたいに幸せな人にはお分かりになるものですか!」と吐き捨てられてしまった。
                  勿論、私は「幸せに見える」だけであって幸せではない。
                  カラまれた形になり、反射的にかっとした私の脳裏には死の方程式が浮かび、そこから導かれる「殺し文句」を探しかけたが、場所が場所なのでじっと我慢したのだった。
                  陰惨な迷宮でのた打ち回っている人を救うことは難しいが、死へ後押ししてやることは簡単である。
                  余裕がない大人は他人を救わないでいいから、せめて傷付けるのはやめときましょう・・・。

                  2006.08.15 Tuesday

                  文学のなかのバカトルコ・その2

                  0
                    「バカトルコ」か、「文学のなかのトルコ人」か、どちらに入れるか迷うが、とにかくトルコに関する記述を発見したので、書いておく。
                    「坂の上の雲」のなかの「エルトグロール号」についての挿話である。
                    これは勿論「エルトゥールルErtuğrul 」号なのだが、司馬遼太郎は平気でテキトーに書いている。
                    ま、トルコ側の資料でも日本人の名前など散々間違えているから、おあいこであろう。

                    ちなみに冷血な私はこの話を通訳するのが大嫌いだ。村人がどーこーという部分が特に嫌だ。日本人の話し手の押し付けがましい話し方も嫌だし(なぜか必ず説教臭い)、聞き手となるトルコ人が「そんな話、しらねーよ」という冷淡な態度だったり、立場によって「へい、昔から日本人は我々によくして下すって・・・」などと露骨に胡麻すったりするのが、どちらにしても非常に不愉快なのだ。よって、この件については無視する。司馬遼太郎もねちねちした友好秘話にしたてたりはせず、事実だけをさらっと書き流しているのは好感がもてる。これは、作者の、といより、町おこし運動などなかった昭和44年当時の清い認識であろう。(私がこの話から学んだことは、日航機墜落事故から学ぶべきことと同じで、老朽化した船や飛行機は整備が万全でないと、とんでもない悲劇を引き起こす、ということのみ。トルコ人を助けただのなんだと恩着せがましく語る前に、何故沈んだかのほうを知っておけ、と思う・・・。アリ船長をはじめ乗員はすでに出航前に船体が危ないことを知っていたという話もある。)

                    で、私が注目したいのは、ちょっとバカトルコな司馬遼太郎のトルコ人観である。
                    曰く、
                    「元来が中央アジアの野蛮人であったこの民族は固有の文化というものがあまりない。宗教はアラビア人から借りた。ズボンとはきものはサラセンから借り、服の上着はペルシャ人から借り、ターバンはインド人から借りた。なによりもきらいなのはキリスト教であり、西欧の文化はいっさいうけつけず、キリスト教国を圧迫することに宗教的使命感をもっていたようであった」

                    ・・・ほら、バカだ。たとえば、外国の本に日本人に関して、
                    「元来が極東島国の野蛮人であったこの民族は固有の文化というものがあまりない。宗教はインド人から借りた。衣食住の全ては文化は中国人から借りた。なによりもきらいなのはキリスト教であり、西欧の文化はいっさいうけつけず、キリスト教国を圧迫することに宗教的使命感をもっていたようであった。島原の乱をみよ。」
                    などと書いてあったらどうだろう?かなりイラっとくるではないか。このトルコに対する牧歌的無神経と無知、それこそが「バカトルコ」なのだから、司馬遼太郎もある面「バカトルコ」組なのだ。

                    しかし、さすが司馬遼太郎とゆーか、概括的トルコ人観はともかく、具体的な個々の描写は鋭くトルコ人の特徴をよくとらえている。

                    トルコに帰る途中、下士官たちは自分たちの「おこづかい」をトルコ人ではなく、日本人に「預かってほしい」と懇願したというのである。懇願された日本人大尉は「それは筋違いではないか」と言い、トルコ人士官に預かってもらえばよいことだというのだが、下級士官達はこう言う。
                    「あなたはトルコの実情をしらない。トルコでは士官をはじめ支配階級はすべて腐敗しきっていて、これほど信用できぬものはない。かれらに金をあずけることは盗賊にあずけることだ」

                    そしてトルコ人士官は「自分の部下の下士官や兵をいっさいかまいつけず、まるで他人のようであり、無視しきっていた」そうで、日本人の大尉は「この点、ちょっと理解しがたい連中だ」と漏らすのである。

                    トルコ人はやたらと「unvan役職」に拘るのは事実だ。
                    名詞交換の時など、平気で「Sizin unvaniniz ne?(で、あなたの役職は?俺より偉いの?偉くないの?)」と聞いてきたりする。
                    「旅行者(misafir・・・常におごられてばかりいても顰蹙を買わないでいられる役得な立場)」でも、「外人オトモダチ(これは要は異国情緒あふれる彫像としての役割だから、別に貧乏だろうと低学歴だろうとブサイクだろうと語学ができなかろうと許容される。民芸品と同じ扱い)」としてでもなく、普通に対等にトルコ人の中流階級(日本語だと上流といったほうがいいかも)と付き合いたいと思ったら、なんらかの「unvan」がないと正直厳しいと思う。しかもunvanがあったらあったで、トルコ人のなかでもとりわけunvan好きな人々が多く自分の周囲に集まってくることになる。何らかの集まりで、unvanを秘せば、徹頭徹尾無視され、それが偶然明らかになったとたん、接吻と抱擁とお世辞とが雨あられと降ってきて突然人気者になる、などというのはよくあることだ。unvanひとつで、まさに「手のひらを返される」わけだが、その顔に毒蜘蛛の如く唾を吐きかけてやったらどんなにスッキリするだろう、と内心思ったとしても自分の正体を知られてしまったのであるから、鷹揚にニッコリする以外はない。そういう人々と付き合っていると(別に付き合いたくもないが「彼らが」付き合いたがってしつこくするので、嫌々付き合うのである。その投げやりな態度は倣岸不遜に見えるので、その手のトルコ人からの反応は上々だ。偉そうにしてナンボの世界だから。)その後も人に紹介されたり、レストランに入ったりするたびに料理長などを呼びつけて「この方は・・・であらせられるぞ」などと我々日本人から見れば鼻くそみたいなunvanを滔々と発表されたりして恥ずかしいことこの上ない。要は「偉い人の友人である自分は偉いのであるぞ」とトルコ社会の中で虚勢をはっているのである。他人の虚勢の道具に使われ続けることは、痛烈な屈辱である。よく日本でも名誉職にばかり就いている「やんごとなき人々」はこの手の待遇をゆめ屈辱と思わぬよう、よほどの「帝王学」を学ぶのだろう・・・と想像される。少なくとも私のようなスキゾフレニックな(社会性が薄い)平民には耐え難い扱いだ。

                    そして、勿論階級間で異常な不信感があるのも今に至るまで続いていることで、トルコでは「上官」「管理職」は日本に比べてすごく威張っている。自分が「部下」になった場合はその暴虐に腸が煮えくり返る思いがし、到底耐えられない。しかし自分が「上司」になってしまったら、今度は憎悪とやっかみの対象となり、ありとあらゆる手を使って「引き摺り下ろそう」「経歴に傷をつけてやろう」と陰謀が企てられることがあるのもまた現実なのだ。どす黒い悪意(これをしてナザールと言う)を避けるためには、金で解決する(オゴルor昇給させる)しかない。言っておくが人徳などというものは無意味である。その意味するところが違う。簡単に言えば、「非ムスリム」が同時に人格者である、というのは矛盾も甚だしく、最初からハンデとなるのだ。ご馳走する金も無く、付き合っている暇も愛情もない場合は(ひたすらトルコ人に「ベタ甘く」する、という手もあるが、その分自分にしわ寄せが来るのでそんな贔屓をするにも暇と愛情が前提条件だ)、・・・徹底的に接触を避ける。なるべくボロを出さない、見せないようにするためだ。
                    私はなんとなく、「自分の部下の下士官や兵をいっさいかまいつけず、まるで他人のようであり、無視しきっていた」という冷え冷えした状況もわかる気がするのだ・・・。

                    勿論、司馬遼太郎が描写しているのは、オスマン帝国の話なのだが、似たような構造が今日にいたるまで見られるというのは、トルコ人の「国民性」とみていいのではないだろうか?(そして、トルコと関わりを持っている日本人もまた、トルコ人に感化されるのか、そもそも「トルコ人みたいな人」がトルコと関わるせいか、「トルコ人以上にトルコ人的」になってしまっている人もいるので、要注意なのである。)
                    私はこんな恐るべき社会の一員として生きたり(部外者として生きるのは平気)、トルコ人の下で働いたりすることは多分一生できないだろうと思われるので、それができる人々を心の底から尊敬する者である・・・。頑張ってね〜。


                    NOT:
                    思い出した。トルコの「金持ち」とオルタキョイのスノッブなバーに入ろうとした時(路地だったので、運転手は大通りに放置して自分たちだけで突入)、対応した門番がたまたまその「金持ち」を知らなかったらしく、「予約で一杯だから入れない。帰れ帰れ。」と「けんもほにょにょ」な態度で言った。「じゃあ、帰ろっか」と白けた気分で引きかえしかけたら、「○○様〜!」と取り乱した店のオーナーがすがり付いてきて、「金色夜叉」みたいな愁嘆場を演じた後、「特等席」が用意されたのである。席についても私は腹の虫が収まらず(hirsini alamamakという。断られるのはかまわないのだが、その豹変と露骨な媚が勘に触る。)、運ばれてくるカクテルに「嗚呼、酒がまずいこと!」と文句をつけずに居られなかったが(本当にまずかった)、「金持ち」は平然としている。いつものことよ、と言うわけだ。つまり、そこまで「金持ち」であっても、その事をちゃんと示さなければ、「蠅」のように扱われ、一旦そのことを明らかにすれば、途端に「皇帝」扱いされ、しかもそれに役者全員が「慣れている」社会・・・、なわけで。こんなところに居たら誰もがunvan気にするよーになるよなあ、誇示して得したくもなるよなあ、と感慨深かった。

                    サバンヂ財閥の御曹司(通称『サバンジ坊や』)とやらも、いつでもどこでも両腕に二人のモデルをはべらせた(と、いうより当人よりモデルがデカイので捕獲された宇宙人のよう)状態で歩いていたのを思い出す。最初見たとき、「漫画みたい・・・」と噴出してしまったのだが、なぜあんな「一目瞭然」なことをしてたのか、この一件で薄々分かった。おそらく「俺は金持ちだから常に丁重に扱え」というゼッケンを貼るわけにもいかないので、プライベート空間でも(当たり前だがサバンジ坊やと言えどもパーティー会場とかホテルのバーの中にまでボディーガードや専属社員などひき連れていけない)ちゃんと皆に分かるようにしていたのだろう。無用なトラブルを避けるための、彼なりの「親切心」だったのだ!

                    03:20 | トルコ | - | - | - | - |
                    2006.08.10 Thursday

                    サムライ・ブルー

                    0
                      その後も、私はまだまだしつこく千葉シンイチ氏の死の謎に囚われていた。
                      いわゆる有名人が嫌いな私だが、こういう変なマイナーネタに弱いのだ。
                      去年の今頃は、私の中で『ソガチュウ〜平壌の中心でジェンキンスと叫ぶ〜』というホラー映画が上映中で、主演・曽我ひとみさんのエクトプラズムを吸い込むような『大接吻』が繰り返し演じられていたものである。(そしてその後ろで上品そうに笑うヤクザ大臣。それは熟年女性の阿鼻叫喚を絵に描いたような構図で、私はおおいに震撼しつつも釘付けだった。)
                      で、どうやら今年は千葉シンイチ氏にちょっぴりとり憑かれかかった真夏の夜の夢なのだった。(私が取り付いてる、と言ったほうが的確かも)

                      大体、死の謎、というのは人の好奇心をひきつける。
                      『日本三大・なんで死んだかよく分からない奴』と言えば、〇暗舁概夫、風船おじさん(あれは自殺ではないのか?)、2田浩之(レイプマン役なんか引き受けたからか?)に違いないが、彼らに関しては多少情報がある。千葉シンイチ氏に関しては私の知る限りこの新聞記事しか情報源も転がっていないので、疑問に思っても解決のしようがないところが辛い。
                      あのアンカラの、どこまでも真っ直ぐな通り、伸びやかなポプラ並木、砂漠性の澄んだ空気、人々の心の風通しの良さ、に象徴される爽やかな印象自体が、このサムライ大使の死のイメージのおかげでジメっとニッポン文化の湿気を帯び、なにやらそこから黴が生えてきそうな感じで、気にかかってしょうがないのである。

                      情報がないのは仕方がないので、映画『憂国』で武山中尉役を演じ、周知のごとく最後に割腹自殺した三島先生の死の謎を、「また」ほり返し代替行為としようと考えた。

                       まずは「憂国」日本語版を高校生以来、久しぶりに読み返してみた。日本語版と書いたのは、その後トルコ語版を読んでいるからだ(読んだだけでなく、一字一句暗記していた。hançerlemekとか変な単語を知っているのはそのせいだ。)
                      で、トルコ語版で主人公を「少尉」と書いてあった印象が強く、前回そう書いたのだが、実は武山は「中尉」であった(誤訳?)。あとどうでもいいが、『花の焦げるにおい』とはあるが『百合』ではなかった・・・。
                       
                      そして私は、こんな文章に行き当たる。
                       「共に死ぬことを約束しながら、妻を先に殺さず、妻の死を、もう自分には確かめられない未来に置いたということは、第二のさらに大きな信頼である。もし中尉が疑り深い良人で あったら、並の心中のように、妻を先に殺すことを選んだであらう。」
                       これを読んだ瞬間、千葉シンイチ氏への興味がすうっと失せてしまった(小説は事実より奇なり)。そうだ、『憂国』とこの一件の大きな違いは、千葉氏は妻を殺して、自分もハラキリするのだが、憂国は中尉は先に死に、妻は後を追って『自殺』するということだ。私は戯れ歌にも描いたように、ここにどうやらひっかかってたらしい。(♪トルコに逃げて嫁殺す!切腹してチャラ、だってサムライ!♪)
                       すなわち「並みの心中」という、オカマの放つ冴えた毒舌に私も共感し、「あんな『並の心中』、要は単なるサムライブルーなんだわ。」と突然割り切れたのである。(ちなみにサムライブルーとは、武士に発症するらしき欝病のことで、マリッジブルーとかの類である。その病状の最終形態はハラキリ。)

                       その後は、久々に三島由紀夫への興味が復活し、さらに「三島由紀夫〜剣と寒紅〜」という本を読んで見たのだが・・・これが素晴らしい本だった。いやはや、これは私にとって史上最高の「暴露本」である。(と、いっても暴露本なんて人生で3冊くらいしか読んだ事がないが・・・。)こんな「どーせ、嘘八百の売名行為だろ?盗人猛々しい!」と酷評されている本をベタ誉めすると、馬鹿じゃないか?とか腐った女子か?と思われるだろうから、本音を言いたくないのだが、掛け値なしに感動したので、素直に記しておく。感動、というか胸が張り裂けそうに切なくなる。60年代に流行った「愛の不毛」などという言葉が、これほど似合う話もまた珍しい。
                       
                      私の現代風解釈も交えつつ(余計なことをしてあげます)、すごく簡単に要約すると・・・、
                      夢見がちな同性愛者の少年・三島由紀夫はよく「次郎」という名を自分の小説に登場させていた。なんとなく、その名にこだわりがあるのである。時は流れ、三島は26歳。男同士の恋の変遷も一巡し、ちょうど「禁色」のモデルとなった「悠ちゃん」に失恋した時、次郎という名の学生が前触れもなく自宅に現れる。学生の用件とは「禁色」に出てくるゲイバーの場所を教えろ、というあけすけなものだ。つまり次郎は「ホモ(この本では終始ゲイとは言わずホモと言っている)」であると最初からカミングアウトしていることになる。ホモで、しかも「次郎」・・・もーこれで、三島はこいつこそは『運命の男』だと信じ込み、美丈夫な彼に恋をする。しかし、この次郎と言う奴はしょーもなくて、何がしょーもないかというと「ペドフィリア」なのである。少年が好きな男ロリコンという奴で、現代でもこれはゲイの仲間内からも軽く侮蔑されているよーな性癖なのだ。マイノリティの中のマイノリティである。さらにしょーもないのはそのことを三島にはっきり言わないことである。はっきり宣言すれば、三島だって「変態の相手なぞするもんか!」と見切りを付けられたかもしれないのに、次郎はオカマらしいミーハー心で有名人三島由紀夫と一緒に居たくてそれを隠す。で、三島は彼を犯すのだが、彼が自分に「萌えてくれない」ことに傷つく。いや、最初は恋に夢中で、その恋が一方的であることにすら気付かないのだが、次郎はだんだん増長し、ある日けたたましいやり方で、三島にそれをわからせるのだ。三島は余りにもショックだったので、少しでも美しく、逞しくなろうとボディービルに没頭する。時が流れ、15年が過ぎ(15年間ひたすら鍛える!)、三島は次郎に再会する。そして、今度は筋肉ムキムキの自分に「萌えて」くれるだろうと思ってまた試してみるのだが、相変わらず次郎は自分に反応をしめさない。体を差し出してはくれるが、欲情しても愛してもくれない。それどころか、三島とのホモネタを小説にして発表して、軍人ごっこでさらに強がりを続ける三島の恥部を暴いて裏切る。どうにも悲しくなって三島は自殺する。「君ニ愛サレヌコンナ身体、切リ裂イテシマイタイ」

                      ま、超簡単に言うと、こんな感じである。私が思うに、筋書きとして「日出処の天子」という昔の漫画にとても似ている。性癖の違う人に恋をしてもいかんともしがたい、という冷酷な事実が赤裸々に描きだされていて、もどかしく、ひたすら切ない。さらには「母を恋うる記」のモチーフや、「アマデウス」的天才と凡才モチーフなどが、うまく絡められていて、本当に極上の出来なのだ。三島由紀夫のこんな情けない姿をわざわざ書かんでも・・・という声もあるらしいが、私は必要最低限のことを、努めて上品に書いていると思う。(すくなくとも「シーザーの憂鬱(叶恭子への暴露本)」などとは比べ物にならないほど上品だ。)

                      で、この上なく悲しく残酷なお話なのだが、その不毛を生きる「愛する側」の人というのは、「厩戸皇子」がそうであるように、恐ろしく魅力的なのである。なんせ稀代の天才、三島由紀夫というだけでもスゴイのに、その最高峰の知性の塊が、このしょーもない次郎の気を引こうとするとき、なんとも不器用で可愛らしいというギャップがたまらない。ここまでの「ツンデレ」が漫画や小説ではなく、現実にあっていいのか、と開いた口がふさがらないほどだ。一方、次郎というのは三島の描写をずらずらとしながらも、いまだに(今年の2月に亡くなってしまったのだから分からないまま死んだのだろう)、三島の「乙女心」を全然わかっちゃいないのである。(なにしろ、愛してないから。たとえば、次郎が浴衣の下に下着をつけないことに三島が驚いているのを、自分の育ちの悪さに顰蹙したものらしいとか言っているが、おそらく、独占したくてたまらない恋人が他の人の前でそんな無防備でいるのにやきもち焼いたのだと思う。あと、透け透けメッシュの黒シャツなんか着て目立ちたがり屋だなー、とか言ってるが、おそらく次郎にセクシーだと思ってもらいたくて『特別おしゃれしたの♪』、であることを分かっていない。)

                      こんな痛ましい天才の恋と孤独の喜悲劇を知ってしまってから、また憂国で描かれる完璧な愛と死の場面を読むと、三島由紀夫がかわいそうでかわいそうで(って同情されるのが大嫌いな人なだからこそ、死んだのだが)、涙なしには読めない。
                      この美男美女の完璧な愛の形を経験するどころか、この上ない冷酷にさらされた三島が気の毒だ。理想の構築が完璧であるだけに。
                      森茉莉か誰かも「かはひさふな三島さん」と悼んでいたが、まったく、可哀想、以外の言葉を失う。
                      よって、前回、「憂国」を茶化したことを、ひどく反省する次第なのである。悪かった、もうしません。


                      NOT
                      ・・・それで思い出したが、私は高校生の頃、こんな幼稚なことを考えていた。
                      このサムライブルーに罹ってしまった自決前夜の三島由紀夫を着のみ着のまま、神の手でひょいっとヨルダンのワディ・ラムかなんかに移し、清潔な少年かなんかに遊牧テントで一週間も世話させたら、彼はさすがにびっくりして自殺なんかやめたんじゃないか、と。で、のこのこアンマンの日本大使館に「パスポートなくしたんですけど・・・」と三島由紀夫が現れ、大ニュースになり、ごたごたしてるうちに、死ぬ機会を失う、という作戦だ。あと、タイムマシーンが発明されたら、まず、1970年11月に戻り三島由紀夫の死を食い止めよう、とか。モロッコかなんかに連れて行って無理やり去勢してしまえば、男性ホルモンが減っておとなしくなるんじゃないか、とか。ハゲるのを気にしてたようだから、よい薬を未来から持っていって毛を生やしてやろう、とか。今考えると自分が生まれる前に死んでしまった人にここまで親身になっているのが変だし、第一本人にとって大きなお世話だ・・・。しかし、この三島由紀夫を死なせないために編み出した奇天烈な作戦が後に自分のために役立ったのだから、妄想も馬鹿にしたものではない。

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